「無駄だな。杖が無ければ、何も出来ないんだ。最も、あったとしてもどうもならないと思うがな」
「‥そ‥‥」
「そういう訳だ‥‥‥すまない‥‥‥那々美‥‥‥」
引き金に添えられた和也の指に力が入れられる。ダン‥‥‥という小さな発射音が鳴り、銃口から硝煙の白い煙が昇った。
「‥‥‥」
和也は顔をしかめて拳銃を持つ手を下げた。
狙いは確かに那々美であった。そのままであれば、銃弾は那々美の胸を撃ち抜いていたであろう。が、的であった少女は突き飛ばされて倒れている。代わりに撃たれたのは、ちひろであった。
「ち、ちひろちゃん!」
正気を取り戻した那々美は、起き上がって崩れ落ちたちひろの顔を、上から見下ろした。
「‥那々美先‥輩‥‥‥‥大丈夫‥‥‥でしたか?」
口の端から、赤い糸が垂れる。
「どうしてこんな!」
「‥‥‥里架子先輩に任されてたんです‥‥‥那々美先輩の事‥‥‥だから‥‥‥」
苦悶の表情を浮かべていたちひろは、フと笑みを浮かべた。
「‥‥‥自殺するつもりでいて‥‥‥それじゃ駄目なんだって、里架子先輩に教えられ て‥‥だから私も‥‥先輩みたいになりたかった‥‥‥でも‥‥‥私‥‥‥こんな事ぐらいしか出来なくて‥‥‥格好悪いですね」
「‥‥‥」
那々美は大きく首を横に振ってちひろの手を取った。
「‥‥那々美先輩‥‥逃げて‥‥‥下さい‥」
首を垂れて、それきり動かなくなった。
「‥‥‥」
那々美は掴んでいた手を離し、胸の上で組ませる。
「和也さん‥‥」
怒りが込み上げてくる。それは止めようがなかった。
「‥‥あなたが今までどういうつもりでいたのか、私は知らない。だけど」
那々美は動きやすい様に、スカートの端を引き裂き、脇で結んだ。和也の正面に体を向け、足をわずかに開いて、両手の指を広げて前に突き出す。
「それは里架子の真似か? つけ焼刃ではどうにもならないと思うが?」
「あなただって、そうじゃないの?」
「俺は研究を続けてきた。遥が死んだあとも」
ふん‥‥‥と、和也は鼻で笑う。
夕日は落ち、辺りに暗闇が忍び寄る。普段であれば街の灯が、昼間の様に空を焦がしていたが、妖怪によって電気配線は寸断されており、数百年ぶりの太古の夜が訪れ様としていた。追い打ちをかける様に、暗雲か広がり、わずかに見えていた星を隠した。帯電した雲が時折白い光を見せる。
「力を使って読んだ未来の運命を、力で変えようと試みる‥‥‥行動自体は矛盾してい たが、それでも俺は里架子さんには期待していたんだ。素養のある彼女なら、もしかしたら‥‥‥と‥‥‥だが、駄目だった」
「‥‥‥」
雷か一瞬、世界を白一色に変える。黒い服を着込んだ和也の姿は、悪魔にも似ていた。
「和也! あなたは!」
広げた那々美の手の先から、旋風が現われ、和也を囲んだ。
「‥‥‥」
和也は目を細める。黒い風が現われ、那々美の旋風が四散した。
「ほう‥‥杖無しでも、力が使えたのか‥‥‥だが、それがあなたの限界だな」
「‥‥く‥」
那々美はあごを引いて和也を睨む。
「理力とは! 即ち! 想像力を方程式化したに他ならない! あなたは既存のものし か想像しえない! それこそが私とあなたの決定的な差という事だ!」
和也の足元から黒い風が舞い上がる。風のベールが晴れた後、和也は引きずる様な黒いロープを羽織っていた。
「例えば、一口に火と言っても、色々ある」
そう言って手の平の上に火の玉を創ってみせる。
「あなたが思い浮かべられるのは、せいぜいこの程度だろう。だが、これではものの役には立たない」
和也はニヤと笑った。野球ボール程の大きさだった炎は、バスケットボール程にもなり、更に大きさを増していく。
「‥‥‥」
那々美は瞳に燃える赤い光を映しながら唇を噛んだ。
火の玉は、人の丈の倍以上に膨らんだ。
「炎というからには、これぐらいでないと」
和也の手を離れて、地面に降りた。
「今度こそ、さよならだ」
火玉は、ゆっくりと地面を滑っていく。
「‥‥‥」
那々美は身構え、役に立ちそうな防御用の理力を探した。だが、迫ってくる炎を弾く程の何かを、思い浮かべる事は出来なかった。
「ああっ!」
不甲斐なさを悔しがる間もなく、炎は那々美を襲った。
”それで終わり? 情けないわね!”
「!」
何処かで聞いた事のある声に、那々美は反射的に瞑っていた目を開けた。
足元に十字の亀裂が入り、中から水が勢い良く吹き出す。水柱は真下から火玉に突き刺さり、夜空へと持ち上げる。
「‥これは‥」
火玉を消してもなお、亀裂の勢いは止まらず、辺り一面にヒビが広がっていく。水は細かな霧となる。
”いつまでも腰抜かしてないでよ、みっともない!”
「‥‥り‥」
月明かりに浮かび上がったのは、赤い帽子に、赤いマントの魔法使いだった。
「何度も言ってるけど‥‥‥あんなはした妖怪で、私をどうにか出来るなんて思わない でよね」
少女は煤だらけの頬を手の甲で拭った。
「‥‥里架子‥‥‥私‥‥‥」
「悪いけど‥‥‥真打ちは最後に登場するものって、昔から決まってるのよ」
泣きそうな那々美の顔から、倒れたまま動かないちひろに視線を移す。
「許さない!」
頭を振る。
「和也さん‥‥いや、和也!」
人差し指を天の星に翳し、その腕を倒して和也に突きつけた。
「遥‥‥‥ちひろ‥‥‥那々美‥‥‥たくさんの人を不幸にしてきたあなたを、私は許 さない!」
「すまない事をしたと思っている。だがそれ は‥‥‥」
「詫びてすむ事じゃないでしょ。こんなものまで使ったくせに」
里架子は結んだ手の中を開く。握っていた弾丸を和也に投げつけた。
「‥‥そうだな‥‥‥しかしなぜだ?‥‥‥あの時、確かに‥‥」
「悪いけど、私は理力の天才なの‥‥‥さあ、観念しなさい!」
里架子は足を一歩前に踏み出す。
「そうはいかない。俺にはまだやらなければならない事がある」
「‥‥じゃあ、どうする?」
「‥‥‥」
和也の顔が険しくなる。
「やるって言うの?‥‥‥上等じゃない」
二人の丁度真ん中ぐらいの地面が割れた。割って黒い竜巻が吹き出す。
「あいつ‥‥‥精神集中の道具も呪文もなしで‥‥‥」
竜巻は里架子の方に横倒しになる。
「壁よ!」
飛んできた瓦礫は、水柱で食い止められる。
”武器をおろし、投降しなさい!”
拡声器によって響いたその声は、いつの間にか周囲を囲んでいた自衛隊のものであった。
迷彩服を着込んだ一隊が、里架子達に小銃を構えている。
「‥‥‥邪魔が入ったな」
それを見た和也は走りだす。竜巻は跡形もなく消え去った。
「逃がさない!」
里架子はすぐにあとを追った。
「ま、待って!」
那々美が更にその後ろを追いかける。
和也が向かった先は、新宿東部‥‥商業ビルが無数に立ち並ぶ街の中心地であった。怪物によって壊された西区と違い、ここは比較的被害が少なく、まだ電気も通っており、建物の窓に緑色の灯が点々と並んでいる。七車線の大きな道路には、何事も無かった様に、ひっきりなしに車が行き来している。目に映るヘッドライトの光は後ろに尾を引き、それが幾重にも重なると、光の大河にも見える。
「‥‥‥」
クラクションを鳴らされながら道路を渡った里架子と那々美の二人は、高層マンションに仕切られた隙間にある小さな公園に辿り着いた。
「和也は?」
少し遅れて走ってきた那々美に聞く。那々美は首を横に振った。
何とか警察と自衛隊の追跡を振り切ったものの、和也を見失っていた。
「追い詰めたと思ったんだけどな‥‥‥」
二人は空を見上げた。ビルという板に囲まれた小さな四角い夜空があった。
「‥‥那々美‥」
「‥‥‥」
里架子は芝生を踏みしめながら近づいていく。
「私のしていた事‥‥‥知ってる?」
「‥‥‥」
那々美はゆっくり、そして大きくうなづいた。
「全ては、私を覆う死の運命を‥‥払う為だっ た」
「そっか‥‥‥知ってしまったなら‥‥‥もう理から外れてしまった‥‥‥だからやっ てきた事は無駄になっちゃったかもね」
「ううん、無駄じゃない」
那々美は大きく頭を振り、里架子の手を取った。
「ごめん‥‥‥ほんとにごめんね‥‥‥私‥‥‥あなたの事‥‥‥信じていなかった‥ ‥‥だから‥‥あんな事‥‥‥ごめん‥」
「那々美‥‥」
二人は星空の下、抱き締めあう。それは二年ぶりの抱擁だった。
「私ね‥‥‥」
里架子は先に体を離した。
「仕掛けは失敗したけど‥‥‥まだ諦めてないんだ」
「?」
「遥は言ってた‥‥理力が全てじゃなくて、そんな理屈を越えた所に運命というものが あるんじゃないかって‥‥‥聞いた時は、そんな馬鹿なって笑ってたんだけどね‥‥」
里架子はポケットから懐中時計を取り出した。真鍮製の蓋は、割れており、一目で壊れているのが分かる。
「‥‥それ‥私があげた‥‥‥」
「これが、銃弾を代わりに受けてくれた‥‥ ‥」
「‥‥‥」
「だから私もね、そんな気がする‥‥‥理力で占った運命は必ずしも、絶対じゃないって‥‥‥だってそうじゃない」
里架子はかぶっていた真っ赤な帽子を取った。夜風が里架子の茶色の髪を揺らす。
「理力だって人の思考を鍵にして魔法みたいな力を使ってる。だから‥‥‥強く、ずっ と思い続ければ‥‥‥絶対いつかその通りになるはずでしょ!」
「‥うん‥」
那々美は首肯いた。
「だからね、何だか知らないけど、理力の予言をそのまま実行しようとしている和也を、 捕まえなきゃいけない‥‥‥のっ!」
里架子は、の‥‥という言葉と同時に振り向く。新たに発生した地割れから地下水が噴水の様に吹き出す。
”遥だって自分で言ったその言葉を信じていた訳じゃない”
街灯の光が霧に重なり、人工の虹が空へとかかる。そのアーチの下から和也が姿を現した。
「あなたに何が分かるって言うのよ!」
「分かるさ。俺は遥の親友だった」
口調には押さえ様の無い激しい感情が篭もっている。
「俺と遥は、力を使ってどの程度、未来が予想出来るのか、実験していた。そしてその途中、偶然にも那々美さんの運命を知る事が出来た」
「‥‥‥」
「それ以来、遥は那々美さんの運命を変える力を探す事に全ての力を注いだ‥‥だが、見つける事は出来なかった」
「ちょっと待って! 換魂は!」
「そんなもの‥‥‥最初から出来やしない。誰かと誰かの運命を取り替えるなんて‥‥ ‥そんなに力は便利なものじゃない」
「なら、あなたが遥を殺したのはどういう訳よ!」
「あいつは死んだ方が皆の為だった」
苦々しくそう吐き捨てた
「ふざけないでよっ!」
ぼそと呟いた和也の最後の一言に、里架子は激情した。
「我は確率を極めし者‥‥‥」
「ふん!」
詠唱をはじめた里架子を、和也は鼻で嗤い、風の鎌を先に投げ付ける。
「里架子!」
那々美は一杯に開いた手の平を突き出して叫ぶ。今にも消えそうな不安定なエーテルの雲が浮かび上がり、里架子の代わりにその鎌が突き刺さり、すぐに消えた。
「‥‥‥我、汝の久遠の命、断たんと欲す。業魔の剣にて、汝を討つ!」
その間に里架子は呪文を言い終える。
”UOOOOOOOO!”
エーテル体の三つ首の巨大な蛇が現われ、咆哮をあげる。首の一つが和也に鞭の様に振り降ろされた。
「!」
和也は素早く後方に飛び退いた。地響きとともにコンクリの地面が砕ける。
「元々、研究していた先見の力は、那々美さん一人の為のものじゃない」
和也の頭上に、帯電した黒い球体が現われる。あげたその手をおろすと、その球は妖怪に飛んでいき、命中して双方共に消えた。
「‥‥‥俺は一人で研究を続けた。その結果、重大な事が分かった‥‥‥それは‥‥‥人 の世界そのものの行く末だ」
「‥‥‥?」
「世界はまさに命数を使い果たそうとしている‥‥‥近い将来、何かが原因で全ては無 になる」
”‥寿を削り、身を削り、心を削り‥‥請い、焦がれんと欲するもの‥‥‥‥”
里架子と和也が言い争っている間、那々美は一心に詠唱を続ける。
「‥‥‥風の剣、光の車輪‥‥」
閃光が闇夜を切り裂く。その輝きの中から現われた風は、避けようとした和也の上着を切り裂いた。
「‥‥くっ!」
和也の足元がヴーンと低い音を立てる。ゆっくりと浮かび上がると、足下には黒い球体があった。
「神ならぬ人が運命に抗える唯一の手段」
「それが理力って事?」
「そうだ‥‥‥一つだけ言い訳をさせてもらえるなら‥‥遥を手にかけたのは、そうせ ざるをえなかったからだ‥‥世界の滅びの運命を変える為に‥‥‥彼と那々美さんの死は必要不可欠な要因なんだ。それがトリガーだ‥‥」
「‥‥‥」
里架子は振り向いて那々美の顔を見つめた。
「そんな‥‥‥兄を‥‥人を仕掛けにする様なやり方‥‥」
「那々美さん‥‥‥あなたを覆う死の影は払われていないと言ったはずだ」
「そんなもの!」
那々美は広げた手の平を空に掲げる。
「そんなもの、私の力で振り払って見せる!」
手の先から、金色の光の棒が伸び、月へと突き刺さる勢いで飛んで消えていった。
「もし‥‥‥違うと言うなら、俺を倒して証明してみせろ!」
玉乗り状態のまま、和也は空へと舞い上がった。
「上等っ!」
「待って!」
追いかけ様とした里架子は、那々美に腕をつかまれた。
「離して!」
「挑発に乗っては駄目よ。一人では危険だわ」
「誰が一人で行くって言ったのよ」
「え?」
「もちろん、あなたも一緒」
「でも‥‥‥空を飛んだら」
「同時に二つの力を使えない事ぐらい知ってるわよ。那々美の一人や二人や三人、私がまとめて面倒見るから、思う存分、力を使ってよ」
「そんな事‥‥‥」
「出来るわよ! 何たって、私は天才なんだからね。誰も私には勝てないんだから!」
「‥‥そうだったわね‥」
那々美は笑った。それはごく自然に浮かんできた笑みであった。張り合って、意地を張っていたのがひどく馬鹿馬鹿しく思えた。