目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

第十三話  こんな世界、壊れてしまえばいい

『嘘でしょ‥‥‥』

 那々美は持っていた珈琲カップを落とした。中の黒い液体が、絨毯の上に飛び散る。

『ほんとう‥‥‥なんだ‥‥‥』

 和也は力無く項垂れた。寡黙なその態度が、言葉に真実味を持たせ、込み上げてくる嗚咽に口を押さえる。

『兄さんが‥‥‥自殺なんて‥‥‥そんな‥ ‥‥』

『警察の話だと、研究廉の屋上から飛び降りたらしい‥‥‥報せを聞いて俺が着いた時 は、もう警察の現場検証が始まっていた』

『‥‥‥』

 必死に気持ち悪さに耐える那々美の肩を、和也は優しく押さえた。

『‥‥‥事故‥‥‥じゃないんですか?』

『屋上には三メートルの高さの柵がある。誰かよじ登れば、すぐに警備会社に連絡がいく様になってる‥‥‥だが、センサーは切られていた。解除コードは遥のものだった』

『‥‥う‥‥‥』

 堪え切れずに、ついに那々美は泣きだした。和也は震える肩を抱き締める。

 遺体の確認の為、二人はその足で警察病院へと向かった。

『こちらです』

 係員が扉を開ける。暗い室内に白い光がサっと差し込む。

『‥‥‥』

 ひんやりと冷たい空気が肌へと纏い付き、ノースリーブの服を着ていた那々美は、剥出しの自分の肩を掴んだ。

 それ程広くはない部屋には硬そうなベットが一つだけ置いてあった。白いシーツを被せられて横たわっている人物こそ、遥に違いなかった。

 和也は先にたって近付き、シーツをめくる。後ろの那々美に、ためらいがちに首肯く。

『‥‥兄さん‥どうして‥‥‥』

 自殺する程に、悩んでいた事を知らなかった。なぜもっと打ち明けてはくれなかったのかという悔しさが込み上げてくる。

『なぜなの?‥‥‥私じゃ‥‥‥力にならないから?』

 誰かが走ってきた音に、那々美と和也は扉を振り返った。四角い白い光の中、見覚えのあるシルエットが浮かび上がっている。

 ”‥‥遥‥”

『‥‥‥』

 それは里架子だった。顔色を変えずに近づいてくるその姿に、那々美は握り締めた手に力を込める。

『‥‥那々美‥‥‥大丈夫?』

『‥‥私は‥‥‥平気‥‥‥』

 悲しみは消えていた。

『‥‥‥ねえ里架子‥‥‥あなたは知っていたの?』

『‥‥‥何を?』

『‥‥‥』

 すぐには答えず、息を震わせながら吸い込む。

『原因よ。こんな時に他に何を聞くって言うの!』

 両手を広げて、里架子のすぐ正面に立つ。

『どうしてそんなに平然としていられるの! 兄さんが!‥‥‥兄さんが死んだのよ!』

『‥‥‥』

『わけを知ってるんでしょ! お願い! 教えて!』

『‥‥知らない‥‥‥』

『嘘! 私より、ずっと長い時間、一緒にいたから何か知っているはずよ!』

『‥‥‥』

 里架子は何かを言おうとして口を開きかけたが、すぐに下を向いてしまった。

『どうしたのよ! 何で黙ってるの!』

『‥‥‥』

『里架子!』

『あなたには‥‥‥関係の無い事よ』

『!』

 次の瞬間、那々美は里架子の頬を叩いていた。パンという高い音が響いた。

『那々美さん!』

 和也が間に入る。

『辛いのは誰も一緒だ。人に当たっても仕方がない』

『‥‥‥』

 頬を押さえた里架子が後ずさる。

『こんな‥‥‥こんな世界‥‥‥』

『‥‥里架子‥』

 はじめて見た里架子の涙に、那々美は驚いた。

『‥‥こんな世界‥‥‥壊れてしまえばいいのよ!』

『里架子!』




 ”那々美さん”

「里架‥‥‥子‥‥‥待って‥‥‥」

 ”那々美さん!‥‥‥那々美先輩! 起きて ください、先輩!”

「‥‥里架子‥‥‥‥」

 ちひろに肩を揺さ振られ、那々美は重い目蓋を開いた。

「?‥‥‥私は?」

「やられたんですよ、あの‥‥‥何ていうのか、怪物に‥‥」

「‥‥‥あなたは?」

 見覚えがあったが、はっきりとは思い出せなかった。

「一年の河合ちひろです。先輩の事は里架子先輩から聞いています」

「‥‥‥里架子」

 =‥‥‥壊れてしまえばいいのよ‥‥=

「!」

 その名前にハっとして、那々美は呆けていた精神が引き締まった。体を起こす。何処かの病院の様で、並んでいるベットには、怪我をした人が横になっていた。水色の服の医師達が忙しなく走り回っている。

「‥‥‥」

 起き上がってから、額に斜めに包帯が巻かれている事に気付いた。

「そうか‥‥‥私は‥‥‥」

 妖怪‥‥‥エーテル体の攻撃で吹き飛ばされた所までは覚えている。

「あなたは‥‥‥エンパイアビルの屋上にいた‥‥‥」

「はい。里架子先輩に‥‥助けてもらいました」

「‥‥‥だから里架子の手伝いをしてるの?」

「違いますよ。私はただ‥‥‥里架子先輩の役にたちたくて‥‥‥自分から‥‥‥」

「‥‥そうさせる様にしむけたのよ‥」

 険しい顔で那々美は横を向いた。枕元にあった杖を持ち、ベットから降りて廊下に出た。

「先輩は誤解してます。里架子先輩はそんな人じゃありません!」

「‥‥‥」

 ちひろを無視して歩き続ける。病院の外に出ると、遠くに火災の煙があがっているのが見えた。

「‥‥‥‥‥」

 黙って街を歩いていく。

 ”待って下さい!”

「‥‥‥」

 人込みに阻まれていたちひろが追い付いた。

「那々美先輩だって、里架子先輩に助けられたんですよ!」

「‥え?」

 那々美は顔を戻した。

「どうして、里架子が私を助けるの?」

「そ、それは‥‥‥」

「‥‥何を知ってるの?」

「わ、私は何も‥‥‥」

 ”那々美さん!”

 和也が、手を振りながら走ってきた。

「こんな所にいたのか。連絡が取れないから心配したよ」

「‥‥‥妖怪は?」

「自衛隊も出た様だから、恐らく今頃は退治されてるんじゃないかな」

 和也はライダースーツに付いた埃をはたき、ビルの彼方の煙に顔を向けた。那々美はただ黙っている。

 サイレンの音があちこちで響き続けている。

「あの‥‥‥里架子先輩は?」

 しばらくしてちひろが尋ねた。

「‥‥」

 和也は目を細める。

「‥‥君は?」

「里架子先輩の‥‥‥」

 ちひろは言葉を区切った。

「先輩の友達です」

「‥‥それじゃ‥‥‥君は彼女から”力”の事を聞いて知っている訳だ」

「‥‥はい」

「そうか‥‥」

 ちひろと那々美の方に顔を向ける。

「‥‥残念だけど里架子さんは‥‥‥」

「え!」

 聞いていた二人の顔が同時に強ばった。

「‥‥‥俺は‥‥里架子さんが、妖怪の発した炎に包まれるのを見た‥‥‥あれではいかに里架子さんでも‥‥‥逃げられない」

「そんな‥‥‥先輩なら、大丈夫です! 絶対、逃げています! 普通の人じゃないんですよ! 偉大な魔法使いなんだから!」

「‥‥‥」

 和也は否定はしなかった。呆然としていた那々美は、気を強く持とうと、激しく頭を振る。

「疑問が一つ残った事になるわ」

「‥‥‥疑問?」

「誰があの妖怪をつくったの?」

「里架子さん以外にあんな巨大なエーテルを創れる者はいない。あまりにも大きすぎて、 自分でも制御しきれなかったんだろう」

「‥‥‥街を壊すつもりが‥‥‥自分を滅ぼしてしまった‥‥‥」

「あ、あなたは!」

 ちひろに衿をつかまれ、那々美はその剣幕に息を止めた。

「どうしてそんなに自分勝手なんですか!」

「‥‥‥」

「‥‥‥里架子先輩は‥‥今までどんな思いでいたのか!」

「?‥‥‥分からないわ、里架子は私に何も言ってはくれなかったんだもの‥‥‥」

「それは‥」

 ちひろは手を離した。その場にへたり込む。

「みんな‥‥‥みんな、那々美さんの為だったのに‥‥‥それなのに‥‥‥こんな終わりなんて‥‥‥」

「私の‥‥‥為?」

「そうです! 那々美先輩の死の運命を変える為に、一人でやってきたんです!」

「‥‥‥」

 那々美は問う様な視線を和也に投げかけた。和也はあごに手をかけて考え込んでいる。

「‥‥‥すると里架子さんは、那々美さんの運命を力を使って予測したのか?」

「‥‥はい‥でも‥‥‥その力を見つけたのは‥‥‥那々美先輩のお兄さんの遥さんで ‥‥‥だがら‥‥‥遥さんは、自分の命と引き替えに助けようとして‥‥‥」

「なるほどな‥‥遥は失敗して‥‥里架子さんがそれを引き継いだという訳か‥‥‥」

「そんな!」

 那々美は金切り声をあげる。

「‥‥そんな‥‥‥で、でも‥‥だったらどうして、里架子‥‥‥言ってくれな‥‥」

「いや‥‥‥もし那々美さんにその事を話せば、仕掛けは意味をなさなくなる。だから話せなかったんだろう」

 和也が手をあげて二人の会話を遮る。

「‥り、里架子‥‥」

 =‥‥‥こんな世界‥‥‥壊れてしまえばいいのよ=

 心の中で里架子のあの言葉がくるぐると回りだす。その行為を食い止めんが為に今までやってきた事は何であったのか‥‥‥。そしてまた友人‥‥‥ずっと親友だった里架子を失ったのはなぜなのか‥‥‥。

「全部‥‥‥私が‥‥‥馬鹿だったから」

 あふれてくる涙を押さえる事は出来なかった。

「また問題を忘れている‥‥‥あの妖怪は何処から来たのか‥‥という事をね」

 和也は那々美の杖を取り上げる。

「そんな事‥‥‥もうどうだっていい‥‥‥」

「いや、重要な事だ。種明かしをしようか‥ ‥‥あれは実は俺が創ったものだ」

「え?」

 頭の中を舞う幾つもの?に、涙が止まった。

「それはどういう‥‥‥」

「まだ分からないのか?」

 和也はセラミックの杖を折り曲げ、道端に放り投げる。嘲って懐から黒光りする銃を出し、那々美に銃口を向けた。ちひろは両手で口を押さえて那々美の側に寄る。

「和也‥‥‥さん‥‥‥‥」

「そう‥‥全く、あなたは馬鹿だったよ。普 通なら気づきそうなもんだが‥‥‥」

「‥‥‥」

「信じていた人に裏切られる気分はどうです、那々美さん?」

「‥‥‥」

「しかし、あなたは俺を非難出来る立場にはいない。里架子さんも多分、同じ気分のままこの数年を過ごしてきたんだろうから」

「‥‥‥」

 那々美の目が大きく見開かれる。

「‥あなたを覆う死の影はまだはらわれてはいない‥‥‥なぜなら俺がその死神なのだ からな」

「どうして‥‥‥私を‥‥‥?」

「あなたには関係ない事だ」

「‥‥‥」 

「最後に一つだけ教えてやろう‥‥‥遥も俺が殺った」

「!」

 銃口に狙われてはいたが、那々美はその場を動く事が出来なかった。

「な、那々美先輩!」

「‥‥‥」

「力を使って下さい! 早く!」

「‥‥‥」

「どうしたんですか!」

「‥‥‥‥‥」

 ちひろに体を揺すられたが、那々美は人形の様に、何の反応も無かった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?