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第十二話  私とした事が、油断した?


「‥‥換魂?」

 ちひろの声に驚いたかの様に、グラスの氷が解けて崩れ、カランと小さな音をたてた。

「そう、失われる命と引き替えに別の命をたてる‥‥‥科学の話なのに、そこまでいくとますます魔術っぽくなってきたみたいね」

 里架子はストローでコーラの入ったグラスをかき回す。小さな泡混じりの黒いベール越しに外の人々が映った。

「‥‥遥の見つけた”理の力”は、決して無限の力を約束されたものじゃなかった‥‥‥魔法じみてはいるけど、これだって結局、エントロピー‥‥‥だったかな、それとか、質量保存とか、そんな自然の法則に従ってるものなの。‥‥‥だから無から有を創る事は出来ないし、何かの力を使う為には、他の何かを持ってこなくちゃならない‥‥だから、失うべき命を救うには、別の命が必要だった‥」

「‥‥でも‥」

「‥‥‥」

 ちひろが続けるその言葉を、その口が開ききる前に分かっていた。

 那々美はまだ生きている‥‥‥ならば、誰かの命を持って、救ったのか?‥‥‥と‥‥‥。

「‥‥‥遥ね‥‥‥飛び降りたんだ‥‥‥屋上から」

「‥‥‥」

「‥‥‥自分の命を‥‥‥使ったのかもしれないんだ‥‥‥」

「‥‥‥」

 ちひろは肯いたが、

「でも‥‥でもね、私は信じてないの」

「どうしてですか?」

「那々美を覆う死の影はまだ祓われていないのよ」

「失敗‥‥‥したんですか?」

「遥は失敗なんかしない!」

 勢いよく立ち上がった。椅子が後ろに倒れた。

「自殺なんか‥‥‥する人じゃない」

「‥‥‥」

「それに遥は言ってた‥‥‥自分が死んだら那々美が悲しむから、だから絶対、きっと他の方法を見つけるんだってっ! 約束したんだからっ!」

 里架子は自分でも驚く程の大きな声を出していた。まだ中身の残っていたコップが倒れて転がり、落ちて砕けた。店内はシンと静まり、皆、里架子に注目が集まった。

「‥里架子‥‥先輩‥‥」

「‥‥‥遥のやり残した仕掛けを‥‥早く‥早くしないと‥‥‥那々美が‥‥‥」

「‥‥‥」

「死んで‥‥‥死んでしまう」

「じゃあ‥‥‥那々美先輩にわけを話して‥」

「‥‥話せば‥‥‥理から外れてしまう‥‥ それじゃ駄目なんだ」

 里架子は首を横に振り、力を抜いてテーブルに手をついた。

 その時‥‥‥。

 ”な、何だあれは!”

 店内の窓際に座っていた男が窓を指して叫び、店内にいたほぼ全員が振り向いた。

「‥‥‥」

 ちひろも顔を向けた。

「‥‥‥あ‥‥‥」

 ”SYAAAAAAAA!”

 妖怪の巨大な黒い影が、そこにいた。





 午後の新宿は、突然出現した黒い怪物に慌てふためく人々でパニック状態になった。普段の喧騒とは違い、悲鳴や破壊音が交じり合っている。

「‥‥‥」

 途中で黒服に着替えてから駆けつけた那々美は、逃げる人々に押され、中々現場まで進めずにいた。逆行していく那々美に、舌打ちする者はいても、中世の魔女の服、それ自体をいぶかしむ者は誰もいなかった。

 ものの十分程で、辺りから人影は消えた。

「‥‥‥あれは‥‥‥」

 杖を抱えて走り続けると、前方に折れた街灯が見えた。十字路のその先、五十階建てのビルの向こうに、何か大きなものが曲がっていくのがチラと見えた。

「妖怪?‥‥‥でも‥‥‥大きすぎる」

 那々美は追いかけ、角を曲がる。

「!」

 足を止め、そこにあるものを見上げた。

「‥‥そんな‥」

 それは確かに妖怪だった。

 古生代の肉食恐竜を何十倍も大きくした様な‥‥‥そんな怪物が、刺の生えた尻尾をこちらら向けている。那々美は強い日差しの下の妖怪に、そこはかとない違和感を覚えた。妖怪は、人の意志‥‥‥それも死ぬ瞬間などの強烈な意識が時空エーテルに刻まれ、コピーされたものである。そのエーテルは強い紫外線に弱いはずであった。

「自然発生じゃない‥‥‥だけど‥‥‥こんなものを創る程の強い意志の人間なんて‥ ‥‥‥」

 里架子の顔が思い浮かんだが、頭を降る。

「あなたが求めていたのは‥‥‥こんな化け物なんかじゃないよね?」

 ”GIGI”

 妖怪は、ゆっくりと後ろを振り向いた。巨大な尻尾が沿道の車を吹き飛ばし、その車はショーウインドーに突き刺さる。

「‥‥く‥」

 地響きに那々美は立っている事が出来ずに、屈んで両手をつく。アスファルトがひび割れ、あちこちの消火栓から水が吹き出す。

 ”GUAAAAAA!”

 妖怪の咆哮が、体をビリビリと震わせる。それだけで気絶しそうであった。

「‥‥‥」

 那々美は唇をかみ締めて、杖を掲げた。

「我は確立を極めし者! 全ての確立は、我、那々美の元にある!」

 妖怪が一歩、また一歩近づいてくる。ゆれ続けながらも那々美は、詠唱を止めなかった。

 ”UOOOOOO!”

 口を開いた怪物かれ洩れる声は、強風となり、一人、路上に立つ那々美の黒い衣装を揺らす。

「現れて我が力となれ、我が下部達‥‥」

 窓の破片が頬を切った。血は風に乗り、後方へと流れて消えていく。

 頭の中では無数の図形が現れては消え、次第に空中のエーテルを形にして操る準備を進めていく。

「我の敵は、汝らの敵!」

 ”KIHHHHHHH!”

 那々美なりにアレンジを加え、結果、現れたのは、二十メートル程の鎌イタチであった。以前のものよりはるかに大型である。それでも目前の妖怪とは比べるべくもなく小型であった。

「行きなさいっ!」

 絶えず変化し続ける図形を心で把握しつつ、叱咤の声をかける。

 ”KIIIIII!”

 鎌イタチは、その最大の武器を使って攻撃を仕掛けた。恐竜は口を一杯に開ける。そして、

 ”GAAAAAAA!”

「‥‥‥え?」

 その口から霧に似たものが吹き出され、鎌イタチは包まれ、吹き飛ばされて散り散りになって消えた。

「‥‥そんな‥‥‥」

 霧の勢いは止まらず、そのまま那々美へと迫る。

 防ぐ手だては無かった。

 視界は白一色に染まり、那々美は目を閉じた。





 ”其の力、騎士の盾とならん!”

 何処からか声が響き、直後、那々美の倒れている側のマンホールの蓋が、下から起こった爆発によって上へと跳ね上げられる。炎は壁の様に、怪獣の吐いたブレスを防いだが、勢いは止まらず、左右の店へと突き刺さった。ショーウインドーのマネキンが押しつぶされ、バラバラになって路上に散った。

「‥‥‥ったく、世話が焼けるったら!」

 風に飛ばされそうな赤い帽子のつばを片手で押さえ、里架子は悪態をつきながらマネキンの頭を蹴飛ばした。

「せ、先輩‥‥‥」

 転がってきた足元のマネキンの頭に、ちひろの顔から血の気が無くなる。

「ちひろ! 那々美と一緒に安全な所まで逃げてて!」

 気を失っている那々美の肩を持ち、ちひろの背中に担がせた。

「え、で、でも、先輩は‥‥‥」

 背中の重さに、ちひろは足をふらつかせる。

「あいつを何とかしないとね」

「そんな‥‥‥いくら先輩でも、どうにも出来ませんよ! 早く逃げましょうよ‥‥‥ わ!」

 怪物が一歩、足を踏み出した。倒れそうになったちひろを里架子が腕を取って支える。

「いいから、言う事、聞いて! 早くしないと余計な人間が集まって来て面倒なのよ!」

「‥‥‥余計な人間?」

「警察とか、自衛隊とか‥‥‥益体も無い奴らの事よ。捕まりたくないでしょ」

「はい」

「分かったらサっサと行く!」

「は、はい!」

 キツイ口調で言われたちひろは、那々美を背負ったまま危ない足取りで、怪物の反対側へと逃げはじめた。

「‥‥‥ほんと、世話の焼ける‥‥‥」

 一際強い風が、里架子の真紅のマントをはためかし、その下の制服を捲れ上がらせた。小石混じりの砂埃に、顔をしかめる。

 ”GUAAAAAA!”

 怪物がまた吠えた。低い地鳴りとなって下腹をくすぐる。

「‥‥‥しかし、よくもまあ、あんなデカぶつが出来たものよね」

 圧倒的に巨大な影を間近に、里架子は不敵な笑みを浮かべる。

「だけどね‥‥‥私は倒れないよ。こんな所で‥‥‥我‥‥‥」

 集中の為の呪文を言いかけたが、頭上から聞こえてきたプロペラ音に、図形の想像を中断した。

「‥‥‥こんな時にテレビ局のヘリ」

 パトカーも遠くからサイレンを鳴らしながら近づいてくる。それも一台や二台ではない。「‥‥‥さすがに‥‥‥まずいかな」

 里架子の立つ場所から少し離れた所でパトカーは一斉に停車し、中から降りた警官達は、アルミ製の盾を並べて構えた。

 ”そこは危険だ! 早くこちらに!”

 背広を着た警官が、メガフォンを持って叫んだ。どうやらそれは里架子に向けて発したらしかったが、

「‥‥‥あのね‥‥‥そっちの方が危険なんだけど‥‥‥」

 ”GIAAAAAA!”

 怪物が咆哮と共に霧を発した。

「くっ!」

 二本の指を立て、上下左右に素早く両腕を振る。突風が、瞬時に里架子を数百メートルの高さまで持ち上げた。

 ”うわあああああっ!”

 霧に包まれた警官隊は、盾ごと燃やされた。一面、火の海に包まれる。

 宙へと舞った里架子は、飛んでいたヘリの脚へと捉まり、懸垂してその脚へと座る。

「‥‥‥何て事を‥‥」

 ここまで聞こえてくる悲鳴に、里架子は臍を噛む。

 ”何か今、バランスが‥‥‥”

 不自然な揺れに、ヘリに乗っていた中年の女性レポーターが出窓から辺りを見渡す。

 ”なっ!”

「‥‥フフ‥」

 里架子に気づいた彼女は、顔が蒼白になり、中へと引っ込んだ。が、すぐにテレビカメラの四角いレンズが向けられた。

 ”み、皆様、ご覧下さい‥‥‥赤い服を着た少女がヘリに取り付いています!”

「‥‥‥ったく」

 里架子は顔をしかめる。

 ”年齢は‥‥‥十七‥‥‥八歳ぐらいでしょうか‥‥赤いマントのその下には何処かの 高校の‥‥‥”

「‥‥‥やばい」

 ”あっ!”

 制服のエンブレムを写される前に、ヘリの脚から飛び降りた。

「‥‥‥我、風の翼、欲す。業魔の翼にて‥‥‥」

 両手両足を広げて怪物の背中に向けて降下を続けるその途中、里架子は黒い靄の様なものに包まれた。

「‥‥我を支えん‥‥‥」

 エーテルの灰色のベールに包まれ、落下は止まる。里架子は態勢を整え、地上にいるのと同じ様に両足を開いて重心を落とし、身構える。

「‥‥‥」

 支えているエーテルを創る幾つかの立体図形を無意識の隅へと追いやる。

 下では怪物が暴れ、手当たり次第にビルを叩き壊していた。噴煙と火花がここまで昇ってくる。煙越しに遠くに無数に見える青色の光の点滅はパトカーのもので、警官隊は、何事が起こったのかを見定め様とする群衆の整理に追われている様だった。更にその彼方、斜めに見える地平線は、オレンジ色に染まり始めていた。

「‥二人とも無事に逃げてくれたらいいんだけど‥‥‥!」

 ”GUAAAAAAA!”

 怪物は下から灰色の息を放ってきた。里架子はすぐに避けた。その霧は竜のブレスに似てはいたが、怪物の体を構成するエーテルと同じ物質である。

「ま、あれじゃ自分の体の切り身、投げ付けている様なものよね」

 それから、二激、三激、里架子に放ってきたが、里架子は薄笑いを浮かべながら、余裕で避ける。

「はあ? どうしたの、それでおしまい? もっと撃ってきなさいよ!」

 ”GAA‥AAAA!”

 息切れをしながら、最後にブレスを放った後、怪物の大きさは最初の三分の一程度まで縮んでいた。

「ふん、どうやらそれまでの様ね」

 里架子は目を閉じる。目蓋の裏にくっきりと映っている図形を操り、自分の体をゆっくりと地上まで降下させた。

 瓦礫の山に降り立つと、覆っていたエーテルの幕は四散して消えた。

 ”gigigi‥‥‥”

 怪物は、すぐに里架子に向かって歩いてくる。小さくなったとは言っても、それでも五階建てのビルぐらいの大きさはあった。

「我は確率を極めし者‥‥‥」

 指を突き立てて構える。

「全ての確率は、我、里架子の望みのままにある‥‥‥」

 戦場の様になった通りを風が吹き抜け、里架子の赤い衣裳を揺らした。

「‥‥‥我、汝の久遠の命、断たんと欲す‥‥‥つ!」

 小さな衝撃の後、胸に堪え難い痛みを感じた里架子は、詠唱を中断して手を当てる。

 その手はマントと同じ色に染まっていた。

「‥‥‥血?‥‥‥どうして?」

 下の白いブラウスは血だらけで真っ赤になっていた。その染みは次第に大きくなっていく。

 ”UOOOOOO‥”

 怪物が近づいてくる。

「‥‥‥‥業魔の‥‥剣‥‥‥にて‥‥‥」

 片手で傷を押さえながら、片目をつぶりながら、図形の構成を再開した。が、痛みのせいで集中する事が出来ず、言葉だけが空回りした。

「‥‥‥理の中にあれば‥‥危険は‥‥‥全て察知出来た‥‥‥‥はずなのに‥‥‥」

 片膝をつく。足元には血だまりが出来ていた。

 怪物の吐く白い息が、里架子を包み込んだ。


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