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第十一話  大昔でもない、ちょっとだけ昔の事


 里架子は那々美の案内で大学の研究室を訪れたその次の日、今度は一人で部屋の扉を叩いた。

『やあ里架子ちゃん。どうしたの?』

 まだ午前中で、学校では授業をしている時間である。

『いえ、言われた図形を憶えてきたので、そ の報告ですよ』

『もう? そりゃすごいね、どうぞ』

 遥は口では誉めていたが、疑っているのは何となく分かった。が、里架子は余裕の笑みを浮かべた。

『おはよう』

 散らかり放題の研究室の中にいた、白衣の若い男が頭をさげた。昨日、遥を呼びに来た時、チラとだけ会っていたので、顔は憶えている。里架子は男‥‥‥和也に頭をさげた。

『もう憶えたんだって?』

『もうバッチリ!』

 遥と和也は顔を見合わす。

『じゃあ、その図形を思い出してごらん』

『いいですよ‥‥‥』

 里架子は部屋を見渡す。

『これ‥‥‥』

 空缶をテーブルの真ん中に置いた。遥達は少し距離を置く。

『‥‥‥』

 里架子は目を閉じた。それから険しい顔でパっと見開き、人差し指と中指を立てる。

『‥‥‥』

 ぶつぶつと小さな声で何事かを呟く。遥は息を止める。缶はカタカタと音を立て始める。ゆっくりと傾き始め、宙へと浮かんだ。

『はっ!』

 里架子は指をつきつける。次の瞬間、ベコ!と、アルミの缶は潰れて床へと転がった。少しだけ残っていた珈琲が、床に染みをつくった。

『こんな事が‥‥‥』

 口を開けたまま、遥は缶に近寄った。

『信じられない。君に昨日渡した図形は、ご く小さなものを浮遊させるぐらいしか出来 ないものだったはずなんだ‥‥‥それが‥ こんな‥‥』

『‥‥‥』

 和也は潰れた缶をじっと見つめる。

『これが単に図形が変形してしまった結果な のか、精神の強弱によるものなのか‥‥実 に難しい問題の様だ』

 遥は缶を手に取った。

『っ!』

 激しい痛みに手を離す。缶は熱を持って赤くなっていた。

『‥‥‥ますます信じられないな‥‥‥どう なってるんだ‥‥‥』

 二人の視線は、自然、里架子に注がれる。

 当の里架子は腰に手を当て、えへんと笑っただけだった。

『さっき君は何かを言っていたみたいだね』

『呪文‥‥‥みたいなものです。那々美の杖 と同じかな‥‥‥気にしないでください』『いや!』

 和也が間に入った。

『言葉に出して何かを言う‥‥‥結構、重要 な事かもしれないぞ‥‥‥条件付けという 点では杖と同じかもしれないが、言葉なら その時々に応じて変えられるしな』

『すると‥‥‥実際にエーテル体に働きかけ るのは、基本となる図形‥‥‥そして精神 の波長の様なものがプラスされて初めて力 として発動される‥‥‥難題だよ』

 意味の分からない里架子は二人の会話にただ首を傾げる。

『どうですか?』

『上出来‥‥‥いや、それ以上さ!』

 遥は興奮を隠せないでいた。

『これなら出来るかもしれない‥‥‥里架子ちゃん。君にはこれからも協力してほしい んだが』

『他の魔法も教えてくれます?』

『ああもちろん。だけど教えられるのは僕の方だと思う』

『もちろん、教えてあげる』

 里架子はふざけてそう答えた。


 それから半年。



『うーん‥‥‥やっと終わったー!』

 終業のチャイムの後、校舎から次々と制服の少女達が出てくる。その中の一人‥‥‥里架子は、両手を広げておもいきり伸びをする。薄雲が後ろから静かに影を落とし、並木に沿って影を伸ばしていく。

『よし』

 里架子は先に両手を地に付け、片足を後ろに伸ばして屈み、頭を低い位置に置いたまま、腰をあげた。

『ねえ里架子、そんな格好だと後ろから見えるよ』

『平気、平気、ここ女子校じゃない』

 陰りは意外に速く、校舎と大通りの真ん中まで伸ばしていた。

『‥‥‥よし』

 里架子は元、陸上部。それにプラスして今は理力があった。

『我は風‥‥‥』

 信じられない速さで、駆け出す。

 スタートダッシュであっと言う間に、陰りに追い付いた。

 ”ねえ里架子、待ってよ!”

『遅いぞー! 私、先に行ってるから!』

 学校の勉強そっちのけで研究室に通い詰める日々が続いている。元々、理力の素質があったせいか、その上達ぶりは遥達の予想を越えており、まさに水を得た魚だった。

『里架子ちゃんは、風が吹けば桶屋が儲かるって諺を知ってるかい?』

 実験の合間に、遥達は里架子の持ってきた茶菓子で休憩を取った。

『まあ、何となく‥‥はは‥』

 実の所は知らなかったが、笑って適当に誤魔化した。

『予想もしない事が原因で物事は起こるって事だよ』

 和也はポテトチップスの袋を破って机の上に置いた。そして言葉尻を取る。

『まさにその言葉こそ、この研究の肝を指し てると言えるな』

 二、三個程掴み、また隣の研究室へと去っていった。

 遥の研究をソフトウェアの面で支えているのは和也である。和也もまた、連日遅くまで研究に付き合っており、かなり疲労している様だった。

『肝‥‥‥ですか?』

『そうなんだ』

 うなづいた遥は紅茶に口をつける。

『この理論の優れている点は、一見、何の関係も無い些細な原因から巡り巡って大きな 力が発揮される、その些細なものを明白にする事にある。‥‥‥例えば、雨を降らす為に猫のヒゲを切るとかね』

『何か‥‥‥呪いみたいですね』

『その通りだよ。十年程前に流行った風水も、昔から伝わっている迷信の類も、結局、この理論の範疇にあるんだ。もちろんそれらは最大公約数的で、正確に力は発揮しないんだけどね』

 カップの紅茶を飲み干す。

『そう言えば、服を作ってきたって?』

『まあね、家庭科の成績だけはいいんで』

 里架子は持ってきた鞄から、衣裳を取り出した。

 先端に白いボンボンのついた二またになっている帽子、そして首で止めるマント‥‥‥どちらも目に染みる程真っ赤だった。

『こりゃ‥‥‥随分、派手だねー』

 遥は困った様に感想を口にした。

『那々美と違って、私って杖じゃ意味が無い様だから、これぐらいしないとね』

『‥‥そんなものなのか‥』

 遥はため息をついた。

『最近、那々美は来ない様だね』

『んー、何か用事があるみたいで』

『そうか』

『用があるなら呼んでこようか?』

『あ、い、いや、いいんだ』

 慌てて手を振る。

『那々美の話だと、学校では仲良くやってくれてるみたいで‥‥‥有り難いと思ってる。 どういう訳か、那々美は今まで友達らしい友達も出来なくて心配してたんだ‥‥‥』

『どうしたんです? 急に改まって』

『うん、実は話しておきたい事があって』

『私に?』

『那々美の友達として‥‥‥聞いてほしい』

『はい』 

『実は‥‥‥』

 遥はすぐに口を開かなかった。窓の風鈴が、チリンと小さな音をたてる。

『‥‥‥この研究をしているうちに分かった 事があってね‥‥‥那々美の事なんだが‥ ‥‥』

『‥‥‥』

 遥の表情はいつになく真剣だった。

『‥‥那々美は‥‥近い将来‥‥‥そう、二、三年以内に‥‥‥死ぬ運命にあるんだ‥』

『え?』

 まさか‥‥‥と里架子は笑おうとした。が、遥の顔からそれが冗談などではない事が分かった。

『これを試してみてくれないか』

『‥‥‥』

 手渡された一枚のディスクを、再生すると、現実には創造不可能な三つの立体図形が、ディスプレイ上に浮かび上がった。

『‥‥‥』

 里架子は目を閉じる。

 暗闇の中、その一つ一つを決められた手順で心に思い浮べた。

 赤、青、黄‥‥‥それぞれの図は互いに回転を始める。その中の一つ‥‥‥赤が拡大され、闇は朱に染まった。

 ”ああっ!”

 その悲鳴は自分のものなのか、那々美のものなのか分からなかった

 那々美が何か巨大な黒いものに押しつぶされる‥‥‥そんなイメージが一瞬だけ広がり、すぐに元の闇に戻った。

『これって‥‥‥』

 息を震わせながら目を開く。

『どうして‥‥‥何が原因で‥‥‥』

『そこまでは分からない‥‥‥知ったのも偶然だったし‥‥‥もう少し研究が進めば、 それもはっきりしてくるんだろうけど‥‥‥そう悠長な事も言ってられない。しかし‥‥‥』

『‥‥‥』

『僕は見つけたんだ。那々美を救うただ一つの手段を!』


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