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第十話  やっぱり他人は鬱陶しいね


 結局、ちひろは事件のあったその晩は里架子のマンションに泊り、翌朝二人で登校する事になった。

 電車から降り、学校までのしばしの道を歩いていく。

「‥‥‥先輩のマンションから学校まで結構距離がありますね」

「‥‥そうね‥」

 鞄を片手に、里架子は一歩先を歩く。

「レンタルDVD屋が二軒もあるんですね。先輩は利用してるんですか?」

「私、あまりそういう所、行かないから」

「そっか‥‥‥ネットで音楽、落としてるんですね」

「そうじゃなくて‥‥‥本当に興味が無いから行かないだけ‥‥‥」

 交差点の四隅には無数の人々が、信号機の耳障りな電子音を聞きながら、シグナルが赤から緑色に変わるのを待っている。まだ六月だというのに、アスファルトには薄っすらと陽炎が登っていた。

「全然、興味ないんですか?」

「遊んでる暇なんて無いしね」

「やっぱり‥‥‥魔法の勉強ですか?」

「‥‥‥そんな所かな‥‥‥」

 里架子は曖昧な返事を返しながら、ちひろの言う様に、普通に遊んだりしなくなってしまったのかを改めて思い返してみた。

 少なくとも中学生ぐらいの時までは普通に流行の映画を見たり、音楽を聞いたりしていたはずである。なぜ変わったのか‥‥‥野絵実と遥‥‥‥人の偶然の死を幾つか垣間見た事による。そしてそんな不条理な運命を変えるべく、理力を覚え、使い始めたのである。

「運命なんて‥‥‥そんな言葉一つで‥‥」

『‥‥運命‥‥‥そんな言葉一つで、全てが片付けられはしないと僕は思うよ』

 昔‥‥‥里架子に力を教えている最中、遥は口癖のようにそう言っていた。

『何、言ってるんです? この力があれば運 命を変えてけるじゃない』

『いや、でもね‥‥‥最近、何となく思うんだけど、理力という理屈を越えた所に、運命の本質があるんじゃないかってね。それに、もしかしたら幽霊や妖怪も単なる自然現象と決め付けるべきじゃないかもしれない』

「‥‥理屈を越えた‥‥‥所か‥‥それじゃ、困るんだよな‥‥‥私は理力で、運命を変 えるつもりなんだから‥」

 里架子は膨らんだ鞄に目をやる。中にはちひろが赤い悪魔と呼んだ衣装が入っている。この服は、図形をイメージする際に欠かせないものである。

 信号が青に変わり、人々は一斉に歩きはじめる。そんな人の波に飲まれる様に、二人も歩き始める。空ははっきりとしない雲が薄く広がっていた。

 国から企業への規制によって、新しく生産される車は電気式のものへと変えられたが、公害を意識するには少し時期が遅すぎた。何処か遠くでブレーキの音が響き、条件反射で二人は顔を向けた。

「‥‥もしかして‥‥‥先輩にも悩みがあるんじゃないですか?」

「そうかもね」

 里架子一度だけ頭を振り、また歩き始める。ちひろはその後を早足で追いかけた。

 人工的に作られた緑‥‥‥広い並木道が続いている。真っ直ぐ行けば学校があり、登校途中の他の生徒の姿も見え始めた。

「駄目ですよ!」

「‥‥‥」

 ちひろは駆け足で里架子の行く手に立ち塞がった。

「どうして先輩は何も教えてくれないんですか?」

「え?」

 ちひろの声に、他の生徒達が足を止めた。

「夕べ‥‥‥先輩と争ってた人‥‥‥学校で 見た事あります。先輩と同じ三年生ですよ ね‥‥‥どうしてそんな事をしてるんです ?」

「‥‥あなたには関係無い事よ」

「先輩は言ったじゃないですか。友達だって。私‥‥‥凄く嬉しかったんです」

「‥‥‥」

「友達って、悩みを相談しあったり、何でも言える‥‥‥そんな仲の事を言うんじゃないですか?」

「‥‥‥」

「だから‥‥‥悩みがあるなら、言って下さい。その‥‥‥私じゃ、何も力になれないかもしれないけど‥‥‥でも‥‥‥」

「‥‥‥」

 学校へ行ったら適当に一時間程授業に出て、早退しようと思っていた里架子は言葉に詰まった。下を向いてしまったちひろの肩に手を乗せる。

「友達‥‥‥か‥‥‥」

 また那々美の事を思い出し、険しい顔で、ぐっと手を掴む。

「そこまで言うなら、ちひろ‥‥とことん付き合ってもらうわよ。友達としてね。覚悟 は出来てる?」

「‥‥‥」

 ちひろは息を止めたまま、コクンとうなづく。

「私のやろうとしてる事はね‥‥‥世界の破滅‥‥‥」

「‥‥‥」

「だと思う?」

「わ、分かりません」

「じゃ、マクド行こうか? アルタ2横のマクド」

「でも、あそこっていつも混んで‥‥‥」

「甘い、甘い、昼間は 結構、穴場だったりするのよね」

「え?」

 それまで凄みを利かせていた里架子の口調が、がらっと明るくなる。

「一から説明しなきゃならないけど、それだと、ちょーっとばかり時間がかかるだろうか らね。学校じゃ何かと不便だからねいいでしょ」

「‥‥はい」

 最初は驚きの顔だったちひろの顔が、嬉しさにニコと笑った。

「何処までもお供します。里架子先輩」

「地獄の底までも?」

「はい、また間違ってたら、叱って下さい」

 ちひろは里架子に腕を絡めて寄りかかった。

「いい覚悟ね。上等じゃない」

 二人は笑いながら今歩いてきた道を引き返した。





 ”‥‥‥で、このXをYに代入‥‥‥”

「‥‥‥」

 授業中、那々美は肘を付いて、机にはめ込まれた小さなモニターを見つめる。モニターには教師の説明に沿って次々と表示される内容が移っていたが、那々美はそれらを記録しておく事もせずに、何処か上の空な顔でぼうっと見つめていた。

 里架子は、昨日一緒にいた下級生と一緒に今日、学校を休んでいる。その事が気になって仕方がなかった。

 =私は‥‥‥その命を救おうと‥‥‥=

「‥‥‥」

 夕べ、高層ビルの屋上で、里架子はそんな事を口にしていた。彼女がこの東京中に仕掛けを張り続ける目的が、東京を破滅させる事だと思っていた。実は勘違いをしていただけなのではないかと、考え続けていた。

 もしかしたら、もっと別な事かもしれない‥‥‥那々美は思い当たるいくつかの建設的な目的を考えたが、それならば、なぜ里架子が、自分に大して隠す必要があるのかが分からなかった。

 張り巡らされた無数の仕掛けから、逆にその目的を割り出す事は不可能だった。里架子の作ったそれはあまりにも巧妙、かつ壮大なものであり、那々美の理解する所をはるかに超えていた。里架子以外に分かるとすれば、それは最初にこの理力を発見し、研究を続けていた遥以外にはいない。だが、その遥は既にこの世の何処にもいないのである。

「‥‥‥!」

 制服の胸ポケットがブルブル震えた。那々美はすぐに二つ折りになっていた電話を出して広げた。振動がおさまり、小さな画面の中に慌てた様な和也の顔が映る。

「どうかしたのですか?」

 周りに気づかれない様に、声をひそめる。

 =今、里架子さんの仕掛けをコンピューターで分析してて分かったんだ。どうやらすぐに でも新宿近辺に妖怪が出るらしい=

「‥‥‥里架子が‥‥‥やったんですか?」

 =そうだ=

「だけど‥‥‥理から外れた妖怪‥‥‥エーテル体の存在は、理の仕掛けそのものを破 壊してしまうかもしれないのに、それを里架子本人が任意に呼ぶなんて、変じゃないですか?」

 =‥‥確かにその通りだが‥‥‥だが、彼女の目的はこの東京を壊滅させる事にある=

「‥‥‥」

 =あるいは、創造した妖怪に、襲わせる事こそ、最終目的なのかもしれない=

「‥‥‥」

 那々美は否定すべき言葉を心の中で探した。が、何も見つからず、黙って唇を噛む。

 =すぐに来てくれると有り難い。里架子さんを止められるのは那々美さんしかいないん だから=

「‥‥‥分かりました」

 携帯を切り、机の端末の呼び出しスイッチを入れる。

 ”どうかしたの?”

 すぐに教卓に女教師の顔が映る。

「すみません、気分が悪いので、早退したいのですが‥‥」

 ”そう、じゃあ、お大事にね”

 教師は強く引き止めはしない。授業のほとんどは単位選択制であり、合計単位で進級、卒業が決まる。生徒自身の意志が多分に尊重されていた。

「里架子‥‥‥」

 ロッカーを開けて鞄を出す。中には魔法使いの衣裳と杖が入っている。

 並木道を走る。珍しく日が出ており、日差しの強さに那々美は手を翳す。

「‥‥こんな白昼に‥‥やめさせないと‥」

 脇道から茂みに入った。制服の上から黒のマントだけを羽織り、パチンと杖を伸ばした。

「我は確率を極めし者‥‥‥」

 頭の中で幾つかの図形が現われ、ぶつかって弾けた。次の瞬間、木々を薙ぎ倒す程の突風が那々美を空へと運んだ。





「はい」

 ハンバーガーショップに着くなり、二人は二階の窓際の席に陣取った。里架子はポテトとバーガー、シェイクを適当に見繕い、乗せたトレイをちひろの前に置いた。

「これ、私のおごりね」

「そんな‥それじゃ、悪くて‥」

「今さら言われてもね、もう払っちゃったしさー」

 里架子はカードをひらひらさせて笑った。

 二年程前から、買物のほとんどがカード払いになり、現金を持ち歩く必要は無くなっている。何処の店頭にもトリコーダーと呼ばれる銀行と直結した読取り機械が置いてあり、そこにカードを通すだけで買物が出来た。

「ま、話せば長い話になるから‥‥‥」

 里架子はちひろの正面に座り、ストローの紙袋を吹いて飛ばす。袋はしばらく宙を舞い、足元に落ちた。その先にある硝子窓からは、行き交う人々の姿が見えた。 

「‥‥私はね‥」

 頬杖をついてそんな人たちを見下ろしながら、里架子は一つ一つ、順を追って話し始める。ちひろは黙って耳を傾ける。




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