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第九話  口ずさんでる歌は、悲しい歌らしい

「病院の跡取りを、再婚した相手の連れ子に 取られたから? それがあなたの死にたか った理由?」

 まだ半分入った缶を振りながら、里架子は呆れた様な声を出した。

「‥‥おかしいですか?」

 里架子の服を借りたちひろは、借りてきた猫の様に、おどおどしながら答えた。本物の黒猫は膝の上で大きなあくびをした。

「でも、私にとっては大問題なんです。父の為に今まで一生懸命やってきたのに‥‥私 は父にとって必要な存在だってずっと思ってきたのに‥‥‥それが急に‥‥‥」

「それは確かに不幸な事なんだけどねー」

 里架子はベランダの戸の開閉スイッチを押した。硝子だけで枠の無い戸が、スライドして開く。すぐに夜の冷たい風が室内に流れこんできた。

「あのさ、私が言いたいのはさ‥‥‥」

 里架子は缶を持ったままベランダに出て柵に寄り掛かる。

 見下ろすと、遥か彼方まで広がっている夜の街の灯は、黒い空との比較から緑色に燃え上がっている様に見えた。

「それでどうしてあなたが死ぬ必要があるのかって事。おかしいじゃない」

「そうでしょうか」

「それで、嫌だからって死ぬなんて‥‥‥何 の解決にもなってないでしょ」

「里架子先輩なら、どうしてますか?」

「うーん‥‥‥大病院の一人娘って、シチュエーションがピンとこないんだけど‥‥‥ ‥‥自分で病院開いて、鼻をあかして‥‥どうだ、まいったか! って言わせてる‥‥‥かな」

「そんな‥‥‥」

 肩をすくめ、少し冗談めかして答える。ちひろも少しだけ笑った。

「それはともかく、もう少しだけ‥‥前向きに考えてみたら?」

「前向きですか?」

「そう。とても死んでる暇なんてないと思うけどな」

「‥‥‥」

 ちひろは猫の寝顔を見つめた。

「先輩は、魔法の力があるから‥‥‥そんなふうに考える事が出来るんです。私には何もないから‥‥‥」

「あのね! それが後ろ向きだって言うの!  少しばかり力があったってなくたって、関係ない! 要は、気持ちの問題なんだから ‥‥‥そんなんじゃ、何をどうしたって駄 目じゃんか」

「‥‥‥」

 ちひろは項垂れて、体を震わせた。その反応は怒って大声をあげた里架子にも意外な程に大きかった。

「どうしたの?」

「い、いえ‥‥」

 顔をあげたちひろの顔を見て更に驚きは増した。瞳は涙に潤んでいた。

「ひょとしてさ‥‥‥あなた‥‥‥今まで、 誰にも怒られた事ない?」

「‥‥‥はい」

「例の親父さんは?」

「いえ」

「兄弟は‥‥‥いなかったんだっけ‥‥‥じ ゃ、友達とか?」

「その‥‥‥私‥‥友達‥‥‥いないから‥‥‥」

「はあ‥‥そうとう重傷みたいね‥」

 里架子はため息をつく。

 =私‥‥友達いなかったから‥‥= 

 確か、那々美もそんな事を言っていたな‥‥‥ちひろの言葉を聞きながら、里架子は彼女のそんな言葉を思い出していた。

『だったら、私が友達第一号って訳ね』

『‥‥友達‥』

 あの頃‥‥二年前までは那々美は友達だと言っていた。では、今ではどうなのか? 考えるまでもなかった。

「私は‥‥‥今でも‥‥‥」

「え?」

「‥‥何でもないよ」

「?」

 ちひろはきょとんとした顔で見つめる。

「じゃあ‥‥私が友達第一号って事でいい?」

 同じ台詞をちひろに言う。

「‥そんな‥‥私なんかに‥‥‥もったいない」

「うーん、まずは、そのひんまがった根性を 叩きなおさないとね」

 里架子は楽しそうな笑みを浮かべる。

 街の灯にまた顔を戻す。緑の灯を瞳に映しながら、ハミングを口にする。

 ちひろはじっと聞いていた。

「それって、昔の歌ですよね」

「‥‥‥え? うん、まあね‥‥‥」

「何だか‥‥‥すごく悲しい歌‥」

「でも、今は、まだこの歌が気に入ってるから‥‥」

 里架子は目を閉じて笑った。





『ここなんてどう?』

 里架子は那々美の手を引っ張り、返事を待つ前に半ば強引に繁華街のゲームセンターに入った。

『でも、こういうとこって、父兄同伴じゃないと入っていけないんでしょ』

『いいのいいの。細かい事、気にしない様に』

『‥‥‥』

 つまずく様に、那々美は店内へと入った。 所狭しと並んでいるゲーム台のほとんどに、人がびっしりと人がついており、その熱気に当てられた那々美は頭がくらくらしてきた。『ね、おもしろかったでしょ』

『‥‥‥そうかな』

『そんな一杯、人形取っておいて、何、不服そうな顔してんの?』

『これは‥‥‥何となく‥‥‥』

『あ! もしかして、魔法使った?』

『ちょっとだけ』

 UFOキャッチャーは、硝子ケースの中の小さな縫いぐるみを、クレーンをおろして釣り上げて取るというものであった。取れるかどうかは多分に偶然性が大きかったが、その偶然を操る事こそ本領であった。

 那々美は両手でも持ちきれない程の縫いぐるみを抱えていた。

『ずるいなーもうー、早く行こう』

 それから二人が向かったのは、遥のいる大学である。

『凄い』

 里架子は物珍しげにあちこちに目を走らせる。通り過ぎる大学生も、高校生の二人組を振り返っていた。

 院生のいる研究管理廉は、一般の生徒のいる校舎とは別の場所にあった。

『ね、どうしても行ってみたいの?』

『うん』

『どうしても?』

 那々美は念を押した。本心を言えば、里架子には兄に会ってほしくはなかった。会って力の事を聞いてほしくはなかった。

 =本当かどうか確かめるべきだろう。駄目だったらそれでいいし、理力の才能があるなら、 遥の研究もはかどる‥‥=

『‥‥‥』

 そもそもは和也のその言葉が今回の里架子の大学訪問のきっかけである。

 もし、本当に理力の才能があったら‥‥‥里架子は力によって呼び寄せられた偽りの友人という事になる。

『こっち』

 エレベーターが開くと先に那々美が乗り、八階の番号を押す。

 二、三秒程ですぐに目的のフロアに着き、扉が開く。入り口にいた秘書らしき女性が、机越しに立ち上がった。

『あら、今日は遅いのね』

『ええ、ちょっと寄り道してきましたから』

 那々美は、縫いぐるみで膨らんだ鞄を見て、クスと笑った。

『兄さん、いますか?』

『ええ、ちょっと待っててね』

 机のモニターに向かって、那々美達が来た事を告げると、すぐに奥の部屋の扉が開いた。『やあ、いらっしゃい』

 丸眼鏡の人物がそう言いながら出てきた。那々美達はすぐに駆け寄る。

『疲れてるんじゃない、お兄ちゃん。たまに は夕食までに帰ってきたら?』

『そうしたいんだけどね、色々やる事があっ てね‥‥‥それで、こちらが‥‥‥』

 遥は里架子に顔を向けた。

『同級生の渡瀬里架子です』

 里架子は静かに会釈した。

『話は聞いてるよ。僕の研究に興味があるんだってね』

『え? はい』

 そんな遥の台詞に那々美は顔をしかめた。遥は研究の為に、二人を結びつける力を使った‥‥‥その力の成否はともかく、最初から知っていたはずの遥が、里架子に驚く事は何もないはずである。それにしては遥の態度は白々しかったし、そんな兄を見ているのが嫌だった。

『中へどうぞ』

『はい、失礼します』

『散らかってるけどね』 

 そして里架子と遥の二人の間に流れる和やかな雰囲気も、気に入らなかった。

 遅れて最後に那々美が研究室へと足を踏み入れる。

『これって、もしかして魔法の杖って奴ですか?』

 言葉通り、無数の書籍や器具の散らばる部屋の中、里架子は折畳み式の銀色の棒を持って騒いだ。

『これ持って呪文を唱えるんですよね?』

『まあ、傍からはそう見える事をする訳だけど、実際はちょっと違うんだ』

『どんなふうに?』

『うん』

 遥は杖を受け取る。真ん中の出っ張りを押すと、両端が伸び、長さは一メートル程になった。

『これはバネ仕掛けのただのスチールの棒に過ぎないんだ。だけど精神集中の為にはな る。あった方が頭がさえる‥‥‥気がする様になる』

『ああ、飾りみたいなものですか』

『ううん』

 那々美はその杖を兄の手から取った。

『杖を持つとほんとに魔法が使える様な気がしてくるのよ』

『そういうもんなのか‥‥』

『例えるなら‥‥‥そう、エプロンみたいなものかな』

『エプロン?』

『そう、エプロン付けると、さあ、これからやるぞって気になるでしょ。それと同じ』

『ふーん』

 家事をやらない里架子はただただ関心している。

『もちろん、実際に力を使うには‥‥』

 遥が間に割って入る。

『いろんな事を憶える必要があるけどね』

『いろんな‥‥‥事って?』

『頭の中に呼び起こす、簡単に言えば、立体 図形かな。だけどそれを実際に模型として 造る事は出来ないんだ。騙し絵の様に、三 次元的に捉え様とすると必ず矛盾が生じる』

『‥‥何だか、大変そうですね』

『男にとってはね』

『?』

『よく分かっていないんだけど‥‥‥それらの立体図正確にを想像する為の空間把握力、 そして力の強弱を決定づける情動‥‥それらは左脳と右脳という具合に、脳内で使う所が違っているんだ。力を現実のものにする為には、そのどちらも欠けては駄目で‥‥‥しかも、相互に情報をリンクする必要がある。男に比べて女の脳は左脳と右脳の情報交換がスムーズなのさ。だからこの力は、女向きなんだ』

『じゃあ、私にも出来ますね』

『やってみたい?』

『もちろん!』

 里架子は物怖じせずに答えた。

『じゃあまず簡単な所からだな、家にパソコンはある?』

『一応‥‥ですが‥』

『じゃあ、とりあえず、これを次に来るまでに憶えてきてくれ』

 遥は一枚のディスクを渡した。

『中に幾つかのCGが入ってる』

『その絵を暗記するんですね‥‥‥』

『憶えにくいかもしれないけど、急ぐものじゃないから‥‥‥』

『はい』

『それにね、それは単純に暗記という訳じゃないみたいで‥‥完全に暗記したはずの那々美も出来ないものもあったしね』

 思いも寄らぬ所で例えに使われた那々美は、二人の後ろで微かに眉をひそめる。

『そう‥‥図形から感性を読み取ると言うか‥‥‥』

『やっぱり難しいですね』

 ”おーい、遥いるか?”

 和也が入ってくる。

『教授が呼んでたぞ。お前また学校の備品勝手に使っただろ?』

『いやあ、許可なんて待ってたら、何年かかるか分からないしね』

『お前な、誰が頭下げるか分かってるのか?』

 それでその日は解散となった。里架子が再び大学のキャンパスに足を踏み入れたのは、その翌日の事だった。


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