目次
ブックマーク
応援する
2
コメント
シェア
通報

第六話  友達になる確率ってどんなもんなんだろうね?



 新都心と呼ばれる街は、不夜城の言葉の通り、日が落ちてもなお輝き続け、眠るという事を知らない。数年前までは、下町と呼ばれる木造の家も残っていたが、新山手線の環状地帯を中心に再開発がすすんだ現在、民家と呼べる建造物のほとんどが姿を消し、コンクリと鉄筋のビルが針山の様に漆黒の夜空へと突きささっている。緑色の光を放つビル街の窓は、壁面のほとんど全てに規則的に並べられ、何も見えない空とは対照的に、地上の全てをぼうっと輝かせていた。

 その中のビルの一つの根元に、学校帰りの制服を着たままの女子高生‥‥‥ちひろがたたずみ、そんな空を見上げていた。

 このネオ、エンパイアビルは、多くのテナントの入っている二百階を超す高層ビルの一つで、真下からでは先端で光っているはずの赤い注空灯すら、確認する事が出来なかった。

 それからしばらくして腕をあげて、時計に目をとおす。金属片の様なその平べったい腕時計の緑色の光の針は、午後の八時半を少し過ぎた辺りを指していた。

 ちひろは、時計の秒針を目で追い続ける。その間にも、近くの出入口から職員らしき人々が騒がしい声をあげて次々と出てきている。通りしな、壁に寄り掛かっている女子高生に、ちらと顔を向けたが、帰宅を急ぐ彼ら彼女達がそれ以上に興味を持つ事もなかった。

 ”PiPi”

 時計が三十三分を示した時、液晶文字盤全体が緑から赤に変わって点滅しだした。

「‥‥八時‥‥‥三十三分から‥‥‥四十分の間‥‥‥‥」

 突起を押して音を止める。それから何の躊躇もなく職員用の出入口に向けて歩きだした。 





「次に、このパイプを‥‥‥」

 そのビルの屋上、ヘリポートの印の丁度、中央辺りに、真っ赤な衣裳に身を包んだ一人の少女が、強風吹き荒ぶ中、ペンチを片手に何かの作業を続けていた。白いボンボンのついた赤い帽子が、激しく靡いている。

「‥‥重い‥‥えーっと、あとは‥」

 露出したパイプを切断する。一瞬だけあがった火花が、オレンジ色の光を周囲に投げ掛けた。焦げ臭い匂いが満ちたが、すぐに無くなった。

「‥‥これで‥ここはおしまい‥‥‥全く、いつもの事だけど、手間がかかる‥‥‥」

 バサバサと靡く赤い外套の中に手を入れ、制服の胸ポケットから古めかしい懐中時計を取り出す。

 蓋を開く、束の間の注空灯が、文字盤の針を浮かび上がらせた。

「三十五分‥‥‥そろそろ邪魔者が来る時間ね。でも‥‥‥」

 パチンと蓋を閉める。

「あなた達のそんな行動も、ぜんぶ私の計画のうち‥‥‥来てくれないと困るんだよね」『‥‥‥意味が‥‥‥分からないんです‥‥‥私がここにいる‥‥‥』 

「‥‥あんなコがいるから‥」

 ちひろの言葉を思い返し、顔をしかめる。

「どうせ捨てるつもりの命なら、仕掛けの一つとして有効に使ってあげるわよ。それが望みなんでしょ。恨まれる筋合いじゃ‥‥」

 ”里架子さん!”

 ”里架子!”

 予想していた通り、和也と那々美が最初に姿を現した。那々美はひらひらのレース付きのブラウスの上から、足首まである黒のジャンバースカートを着ている。童話に出てくる林檎を抱えた魔法使いそのままの出で立ちである。和也の着ているライダースーツに似た体にぴったりとした服は、里架子達の放つエーテルの力を最大限防ぐ効果があり、背負っている刃の付いていない銀色の剣は、創造された妖怪に対して効果があるものである。

「役者が揃った‥‥‥って訳ね」

 深紅の魔法使いは、不敵な笑みを浮かべた。

「里架子‥‥‥」

 那々美は表情を変えずにパチンと杖を伸ばす。その固い表情から強い意志が感じられる。

「あなたは今までつくってきた無数のしかけ‥‥‥それらは全て、この新宿を囲む様に 置かれてる‥‥‥こんな事をして何をしようというの? 本当は何が目的なの?」

「それで分からないんじゃ、やっぱりあなたはたいした事ないって事じゃない?」

「‥‥‥」

 那々美の表情が少しだけ動いた。

「里架子さん!」

 和也がヘルメットを取った。

「何をしようとしているか、話してくれないか? きっと力になれる!」

「力になる? 遥が死んだ時、和也さんは何をしてたの?」

「‥‥‥」

「力がほしかったのは、私じゃなくて、二年 前の遥だった‥‥だから‥」

 里架子の瞳に怒りの炎が燃える。

「ほんとに‥‥‥こんな世界‥‥‥消えてしまえばいいのよ」

「そんな事をさせる訳にはいかない!」

 前に出ようとした和也を、那々美が杖を出して遮る。

「‥‥里架子‥‥‥」

 那々美は持っていた杖をおろした。

「あなたが初めて私の家に来た時の事‥‥‥ 覚えてる?」

「‥そんな事も、あったかな」

「‥‥‥」

 束の間、二人は三年前のあの日を思った。 




『な、何?』

『いいから!』

 強引に手を引く那々美に、里架子は半ば驚いていた。吹き抜けの階段を上まで登りきった後、那々美は持っていたカードを差し込んで、突き当たりの扉を開けた。

『‥‥‥屋上?』

 そこは、三階建ての家の屋上だった。小さな庭園になっており、外れにはビニールハウスもあった。鮮やかな色の花の植えられたプランターが何段にも置かれている。

「こっち!」

 那々美はその奥へと里架子を導く。そうしてようやく手を離したのは、手摺りのある外れの所だった。

 見下ろすと、真下にある庭のプールが小さく見えた。

「あのね、里架子さん」

 那々美は柵を背に、悪戯っぽい笑みを浮かべて、くるりと里架子の方を向く。

「魔法使いって‥‥‥信じる?」

「え?」

 突拍子も無い事を言い出した那々美に、里架子は何度も目をパチパチさせる。

「どういう事?」

「呪文とともに、どんな不思議な事でも出来 てしまう人の事‥‥‥」

 両手を広げ、大げさな仕草で爪先立って一回転する。

「あなたは信じる事が出来る?」

「そんな‥‥‥事‥‥‥」

「私ね、実はその魔法使い‥‥‥魔女なんだ」

「‥‥‥」

 那々美は少し笑みを交えてはいたが、本気で言っている様だった。答え様がなく、ただ黙って顔を見つめる。

「魔法であなたを‥‥‥笑わせてみせる」

 また腕を掴まれた。 

「我は確率を極めし者‥‥‥」

「‥‥‥」

 前触れなく、那々美は『呪文』を唱え始める。

「全ての‥‥‥確率は‥‥‥我、那々美の望みのままに‥‥‥ある‥‥‥」

 那々美の表情は真剣そのものであった。苦しそうに眉間にシワを寄せ、額に汗を浮かべている。

「我が望むは‥‥‥天使の‥‥‥翼っ!」

「え?‥‥‥!」

 里架子の手を取ったまま、那々美は飛び降りた。





「‥‥‥そういえば、そんな事もあったかな」

 そう言いながら、里架子は油断無く身構える。那々美は首を振った。

「私達は友達だった‥‥‥どうして訳を言ってくれないの?‥‥‥それとも言えない様 な事をしているの?」

「言えない様な事って?‥‥‥例えば、世界を滅ぼすとか?‥‥変な本の読みすぎなん じゃないの?」

「なら、今の仕掛けは何? それじゃ、誰かが死ぬ事になるわ」

「へえ、さすがに知識だけはあるじゃない」

「‥‥里架子‥」

 那々美は泣きそうな顔になる。

「あなたは‥‥‥あなたはそんな人じゃない‥‥‥お願い、目を覚まして! 兄の亡霊 に付き合う必要なんてないじゃない! もう終わった事なのよ!」

「そんな人ってどういう事よ! 人の気も知らないで、言いたい放題!」

 里架子は指で宙に三角形を描く。

「だったら、私がどういう人間か、見せてあげる! 違うって言うんなら、止めてみなさいよ!」

 それまで黙って成り行きを見ていた和也が、間に割って入る。

「那々美さん、これ以上話し合っても無駄の様だ‥‥‥彼女は本気だ」

「‥‥ええ、分かってます」

 那々美は自分の今の表情を追い払うかの様に、頭を振る。

「我は確率を極めし者‥‥‥」

 目を閉じ、静かに指先にある冷たい金属の棒に意識を集中させる。

「やっと、その気になったみたいね」

 里架子もそれに応えた。




 警備員は、たまたま席を外してでもいたのか、ちひろは誰にも止められる事なく、指示されたエレベーターの前に行き着く。

「‥‥‥」

 指をのばして△の印を押してから、左右に何処までも伸びている廊下を見渡す。

 不思議な事に、さっきまでの雑踏が綺麗に消えていた。静まり返った屋内に、エレベーターの稼働する静かな音だけが唸り続けている。

 すぐに一階にランプが点灯し、シュっと扉が左右に開いた。やはり中には誰も乗っておらず、ちひろは吸い込まれる様に、乗り込んだ。

「私‥‥‥何やってんだろ‥‥‥」

 通過中の階の数字が光り、次々と変わっていく。

『‥‥‥来たら‥‥‥死ぬわよ』

「死ぬのなんて‥‥‥恐くな‥‥‥」

 里架子の言葉を、全て思い返す間は無かった。百九十階まで来た所で、ガガっと大きな音がしてエレベーターは激しく揺れる。

「‥‥‥く!」

 転倒したちひろは、床の薄い絨毯に額を打ち付ける。

 照明が緑色の非常灯に変わった。

「‥‥‥」

 痛む額に手を当てる。手に触るぬめりに驚いた。緑色の灯の具合で血は何か別のものに見えた。

 止まったまま動きだす気配はない。

「‥‥‥これで‥‥死ぬのか‥‥‥」

 少し斜めになった壁に寄り掛かり、ちひろは四角く、小さな天井を見上げた。

『‥‥‥先生が誉めてらしたわよ。ちひろは クラスで一番、頭がいいって』

 母親は、三つ編みにの小さな女の子の頭を撫でた。

『ちひろはこの病院の跡取りなんだからな‥ ‥‥』 

 少し離れた所で、恰幅のよい父親が娘に笑いかけている。

『へへ』

 小さなちひろは、子供らしい満面の笑みを浮かべた。

 小学生の頃‥‥‥母がいた頃が、ちひろにとって、最も幸せな時期だったかもしれない。 中学に入る少し前、元々、体の弱かった母は風邪を拗らせ、文字通り、眠る様に天に召された。

『‥‥結局‥何もしてやれなかったな‥‥‥』

『‥お父さん‥』

 母の遺影を前に、膝をつく父の背中に、ちひろはかけるべき声を見つける事は出来なかった。

 だからちひろは我武者羅に勉強してた。良い成績を取り続ければ、父が喜んでくれる‥‥‥そう信じて疑わなかった。

『ちひろー! マクド、寄ってこうよ!』

『‥‥‥ううん、私はいい』

『なーに? またお勉強?』

『‥‥う、うん‥』

『何だかちひろ、最近、付き合い悪いね』

『‥‥ごめんね』

 誘いを断り続けるうちに、小学校からの友達が一人‥‥‥また一人と減っていき、中学になってから新たな友達も出来なかった。それでもちひろは勉強を続けた。

 そして中学三年‥‥‥ちひろは進学希望の紙を持って、家から病院の方に歩いていた。 ちひろの希望として、有名私立高の名前が書いてある。そして、そこに入れるだけの実力がちひろにはあった。

 何人もの職員や、患者に挨拶された後、父のいる院長室の扉をノックした。

『お父さん、私』

 ”ちひろか? 入りなさい”

 誇らしげな顔で、中へと入った。

 ”こんにちわ”

『‥‥‥』

 広い室内の中にいた女性が最初に声をかけてきた。四十代ぐらいの品は良さそうで、笑顔は優しそうだった。

『‥‥こんにちわ』

『‥‥‥』

 ちひろも頭をさげる。

『紹介が遅れたな‥‥‥』

 ソファーに座っていた父親が、前に出てきた。そこに小さな男の子が座っている事に気づいた。手持ち無沙汰なのか、足をぶらぶらさせている。

『明子さんだ‥‥‥実はな‥今度、父さん‥ ‥‥再婚する事にしてな‥‥‥』

『え?』

『い、いや、黙っていたのは悪かった』

『‥‥‥』

 ちひろは、息を止めて彼女の方に顔を向けた。

『あなたが、ちひろちゃんね。話は伺ってるわ』

『‥‥‥』 

『このコは、彰人‥‥‥仲よくしてやってね、ちひろちゃん』

『‥‥‥』

 ちひろは混乱していた。にこやかなその笑顔に応えるべき言葉を、ちひろは探す事が出来なかった。

『‥‥‥』

 とって付けた様に、素早くお辞儀をして、早足で入ってきた扉へと向かった。一刻も早くその場から離れたかった。

『はあはあ』

 後ろ手に大きな音を立てて扉をしめ、初めて止めていた息を吐き出す。

『‥‥‥』

 新しい母が出来る‥‥‥その事実に、悲しいとか嬉しいとか、驚きとか‥‥‥その時は、そんな感情は何も浮かんではこなかった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?