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第五話  たまには思い出に浸るのもいいんじゃない?


「‥‥‥‥‥」

 里架子は、今‥‥‥図書館の中へと意識を戻した。

 さっきまでいた賑やかな集団は、いつの間にかいなくなっていた。一人、残され、手元のノートへと視線を移す。

 それから一時間程、暗記をして、時折ペンをもってメモをつけたりしていた。

「うーん‥‥‥」

 肩が凝ってきたので、椅子が後ろに倒れるギリギリまで仰け反らせて伸びをする。

 ”すみません”

「‥‥‥」

 上下逆さまになった景色の中に、一人の下級生が入っていた。里架子はすぐに体を起こし、座ったまま振り向く。

「あの‥‥‥もしかして‥‥あなた‥‥‥」

「‥‥‥」

 その下級生は、夕べ、工事中のビルの屋上から飛び降り様としていたその彼女であった。「ふぅーん、どうやら、息災の様ね」

「‥‥‥」

 里架子の言葉を聞いて、彼女は大きく息を吸い込んだ。里架子自身は、特に関心なさげに、それだけ言ってまた机に顔を戻した。が、彼女は黙ったまま離れる気配は無かった。

「まだ、何か用があるの?‥‥‥えーっと、名前は?‥‥‥」

「河合ちひろです。一年E組です」

「‥‥ふーん‥後輩か」

 隣に立った彼女を見上げる。

「本当に私は死ぬのでしょうか?」

 無表情という言葉がぴったりくる顔をしている。死を恐れている様子は微塵もない。

「へー、つまり信用出来ないって訳?」

「そういう訳じゃ、ないんですけど」

「どうして、そんなに死にたいの?」

「‥‥‥」

 ちひろは口を噤んだ。そのまま黙っていなくなると思い、里架子は背を向けて勉強の続きを始める。

「意味が‥‥‥分からないんです‥‥‥」

「‥‥‥意味?」

「どうして‥‥‥私はいるのか」

「‥‥‥」

 里架子はペンを置いて振りかえる。

「どういう事?」

「‥‥‥」

 聞き返すと、ちひろは今度こそ本当に押し黙ってしまった。

「まー、他人事だし、理由なんてどうでもいいけど‥‥おせっかいついでに、証拠を見せてあげようか?」

「証拠?」

「そ」

 里架子は音をたてて立ち上がった。なぜか彼女を見ていると、無性にイライラして仕方が無かった。

 力を発動させるには、冷静でいる事が最も重要な事である事は、十分に分かっていた。

「‥‥‥我が求むは、巨鳥‥‥‥」

 回転する球形に似た図形を一つ、頭の中に思い浮かべる。

「‥‥‥羽ばたきは、風を呼び‥‥‥」

 そこに、楕円の図と、棒状の図を重ねあわせ、複雑な突起を絡めあわせる。

 新たに現れた円錐をその上に突き刺し、分散した小さな図を、個々に思い浮かべる。

「‥‥風は‥」

 ちひろの肩越し、開け放たれた扉の向こうの廊下を、誰かが横切った。里架子はハっとその人物に目をやる。一瞬だけこっちを見て微笑んだその人物は、自分の顔によく似た人物であった。

「‥‥‥お姉ちゃん‥‥」

 それは幻などではなく、よく言われる所の幽霊というものである。が、それはただ、人の強い意志が空間に刻れる事によって残ったただの自然現象の一つにすぎず、亡霊自体は、元の人物とは全く関係はない事は、その力を操っている里架子にはよく分かっていた。

「‥‥ただのエーテル体のくせに‥‥」

 ともかくも、これで集中力が途切れてしまった。図の一つを思い浮かべ続ける事が出来なくなってしまった。

「‥駄目だな‥‥」

 舌打ちして、鞄に机に広げていたものを詰める。

「‥‥‥あの?」

「ごめん、ちょっと調子悪いみたい」

「‥‥‥」

 ぽかんと口を開けていただけのちひろは、鞄の中に、何か赤いものを見つけた。途端に昨夜の記憶が蘇る。

 赤い外套を纏った悪魔‥‥‥。

「‥‥‥」

 ちひろのそんな様子に、里架子は目を細める。

「何?」

「‥‥い、いえ、何でも‥‥」

「もし、死に急ぐんだったら‥‥‥」

 ノートの端に目を通す。

「今晩‥‥‥ネオ、エンパイアビルに来てみ る?」

「今晩?‥‥‥でも‥‥‥」

「警備の事なら、心配いらない。八時三十三 分から四十分の間に、裏口から堂々と入れ るから‥‥‥入ったら、三番のエレベーターで屋上へ‥‥‥」

「‥‥‥」

「でもね、もし来たら‥‥‥あなた、死ぬわよ」

「はい」

「相変わらず、いい覚悟じゃない」

 素直に答えるちひろに、里架子は鼻を鳴らした。ちひろを残し、肩に鞄を担いでその場を後にする。

「!」

 廊下に出て、誰かとぶつかりそうになる。

「‥‥り‥」

 那々美は一瞬だけ驚いた様だったが、すぐに何も無かった様に、里架子が出てきたばかりの図書館の中へと入っていった。

 すれ違った二人は、振り向く事なく、無表情に、互いの進むべき道を無言で歩いていく。 すぐに少女達の雑踏の中へと溶け込んでいった。 





『おじゃまします‥‥‥』

 大きな邸宅の門を前に、里架子は中へ入る前から、挨拶する。

『まだ、電源入れてないんだけどな‥‥‥』

 那々美は困った様な顔で笑う。門をくくった二人は広い庭を通って玄関の前に立った。那々美は制服の胸ポケットから小さなカードを取り出す。門の脇にある隙間を通すと、点灯していた小さなランプの光は、赤から緑色へと変わり、カチという音の後、門は自動的に開いた。

『凄いね』

 今では何処の家でも使われているカード式の鍵で、この鍵を使わずに中に入ろうとすると、すぐに警備会社に連絡がいく仕組みになっている。特に珍しいものでもなかったが、里架子は関心している。

『どうぞ』

 里架子を先に入れ、那々美も中へ入ると扉は自動的に閉まり、勝手に鍵までかかった。

『‥‥‥』

 那々美は里架子の様子を盗み見る。

 なぜかは分からないが、彼女の表情はいつも何処となく暗い事に気づいていた。

 玄関は吹き抜けになっており、見上げた里架子はすぐに感嘆の声をあげる。

『凄いね、ここだけで、私のアパートの部屋より広いよ』

『でも、一人暮らししてるんでしょ。そっちの方が凄いわよ』

『そうかな』

『‥‥‥』

 屈託の無い、里架子の正直な感想に、那々美は思わず笑みがこぼれた。

 長い階段を少しだけ早足でのぼる。その間に那々美は、今日起こった事を思い返してみる。

『‥‥よろしくね』

 そう言って握手をかわしてから、まだ数時間しか経っていない。那々美にしてみれば信じられない事であった。

 それから幾つかの休み時間と授業を経てただけである。

『え、あなたの家って、あの有名な?』

『信じられないなら、来てみる?』

『行く行く!』

 そしていつの間にか、そういう事になっており、里架子はこうして遊びに来ている。

『‥‥‥』

 ちらちらと後ろを振り向きながら、那々美はまたクスと笑った。

『こんな広い部屋、一人で使っているの?』

『うん‥』

 里架子に案内したのは、自室の中の一つであったが、那々美はそれは口にはしなかった。『紅茶入れるね』

『やっぱりメイドさんがつくるの?』

『ううん、私』

『手伝おうか?』

 それから那々美は自分の身のまわりで起こった出来事を、出来るかぎり面白、話し続けた。

『それでね、お母さんたらね‥‥‥』

『‥‥‥そうなの?』

 二時間程たっても、里架子が笑う事は無かった。

 那々美にはそれが自分の事の様に淋しかった。

『ちょっと、こっち来て!』

 那々美は顔つきを変え、険しい表情で里架子の腕を引っ張る。

『な、何?』

『いいから!』

 二人は三階の屋上まで出た。




「‥‥あの頃は‥‥楽しかった‥‥」

 同じ部屋、那々美は硝子の写真立てを持って、小さな声で呟く。

 写っているのは、今より少しだけ子供っぽい二年前の那々美と里架子。二人とも浜辺でブイサインをだしている。そしてこの写真を撮ったのは、兄の遥だった。

 楽しかった‥‥‥おもわず口からついて出たその台詞に、那々美は自分でハっとする。 兄がそうさしむけたから‥‥‥だからそう感じていたかもしれないと‥‥‥。

『‥‥‥那々美、今日、誰か家に連れてきたのか?』 

『うん、クラスの‥‥‥友達』

『そうか』

 その時の兄の態度はどうであったのか‥‥‥。

 思い返せば、少しいつもと違っていた様な‥‥‥。

「違う!」

 思い出そうとした那々美は激しく頭を振る。

「私は、そんな事で友達になった訳じゃない!」

 机の上に置いてあった、銀色の棒を掴み取る。

「こんな‥‥‥」

 突起を押して、先を伸ばす。セラミックの棒はすぐに魔法の杖になった。

「こんな力で! どうして兄さんは!」

 電話の音に、那々美は杖を掴んだまま、パネルに顔を向ける。パネル下に、映像可‥‥‥の印が点滅したので、那々美は、その部分を指先で触れた。

 ”何かあったのか?”

 少し驚いた様な和也の顔がすぐに写った。

「何かって‥‥‥どうしてですか?」

 ”顔が恐いよ”

 冗談めかして肩をすくめる。

 ”それはともかく‥‥‥那々美さんの伝言を見たんだが‥‥‥”

「‥‥‥」

 那々美は静かに頭を縦に振る。

「次の里架子の目標が分かったの」

 モニターの下にある隙間に、ディスクを入れる。

 ”ほんとか?”

「ええ、たぶん‥‥‥」

 送られた地図を元に、すぐにブリントアウトされたその紙を見て、和也は唸る。

「今まで里架子が仕掛けを施した場所は四ヶ所‥‥‥五ヶ所目があるとすれば、たぶん そこだと思う」

 ”‥‥しかし‥‥‥これだと、新宿のど真ん中っていう事になるな‥‥‥揚羽商事本社ビルの三百メートル先‥‥‥それでいつなんだ?”

「‥‥‥」

 今度は横に振る。

「私の力じゃ、それ以上の事は分からないの」

 那々美は眉をひそめた。

 ”まあ、そういう事なら、そこを見張る事にするよ”

「すみません和也さん。もし、里架子が現われたら‥‥‥」

 ”分かってるって。那々美さんに真っ先に連絡するよ。いくら対エーテル用の装備をしていても、力を使えない俺がたった一人でかなう相手とは思えないからね”

「戦う必要はないんです。今度こそ、里架子を説得します。今ならまだ‥‥」

 ”しかし無理は禁物だ。彼女は那々美さんより‥‥‥”

「必要経費はすぐに振込みます」

 聞きたくない台詞だったので、途中で遮る。

 ”金の問題じゃないんだ‥‥‥俺にとってもね”

 そこで電話は切れ、モニターは灰色一色になる。那々美は一度だけ深呼吸した後、そこから離れた。

「‥‥‥」

 クッションに腰をおろす。ガラステーブルの上のリモコンに手を伸ばし、窓の光度を不透明なものへと変えた。

「‥‥‥」

 和也にああは言ったものの、力で里架子に勝つ自信は無かった。

『里架子ちゃんは‥‥‥天才なんだ‥‥‥』

 昔の兄の言葉が心に響く。

「だけど‥‥‥私が勝たなくては‥‥‥」

 今の那々美にとって、力で里架子に勝つ事が、最大の目標であった。 

 それがなぜか‥‥‥明確な言葉として心に浮かべる事すら、憚られた。


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