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第二話  ほんの少しの時間で変わってしまったもの


 都内にある私立の女子高に入学した里架子は、北海道にある家を出て、一人でアパート暮しを始めたばかりだった。

『うん、分かってる‥‥‥ちゃんとご飯は食べるって。‥‥‥お金は計画的に使うって ‥‥‥もー、しつこいなー‥‥』

 実家からの電話を切り、うんざりした顔で、ソファーへドサリと座り込む。

『全く、いつまでも子供扱いなんだから』

 口ではそう言ったものの、いざ一人になってみると、見ず知らずの土地に出てきた淋しさがひたひたと染み透ってきた。

『でも‥‥‥あそこには‥‥‥いたくない』

 膝を抱え、見たくもないテレビをつける。 実家の周辺は畑以外ほとんど何もなかった。 だから親の反対を押し切ってでも、倍率の高い東京の学校の試験を受けたのである。余裕とまではいかなかったが、努力の甲斐あって里架子はそこそこの成績で入る事が出来た。

 入学式を終え、それから授業が始まるまで一週間程の間があった。が、こっちには親しい友人は誰もおらず、ぼーっと何もない時間だけが過ぎていった。

 そうして初日を迎える。

 校門の前で、丈の短い赤白チェックの制服の集団を目にした里架子は、自分も同じ服を着ている事に何か不思議な感じがしてならなかった。

 教室は三十個程の机が並ぶ普通の建物で、そこにもやはり制服の集団があった。彼女達は友達どうし、笑いながら何かを楽しそうに話し合っている。一人で入ってきた里架子に一瞬、彼女達の注意がいったが、会話が途切れる事はなかった。

 知り合いのいない自分は、ここでは浮いた存在になりそうだな‥‥‥そんな事を考えながら里架子は椅子を引いて腰をおろす。指定された席は窓際で、左に少し視線をずらすだけで、校庭の桜の木がよく見えた。

 ”では、皆さん席に着いてください”

 最初はホームルームの時間だった。担任は四十代後半くらいの女性で、きつい印象を受ける。その先生は、これから一年の日程を説明するので、メモしておく様にとの旨を早口で説明した。

『あれ?』

 鞄の中に手を入れ、中のものをガサガサとあさる。

 筆記用具を丸ごと入れ忘れたらしく、里架子は肩をすくめてため息をつく。

『ま、いいか‥‥』

 記憶力には少しは自信があったので、メモは取らずに黒板の字に集中した。

 =妹なんかいらない‥‥‥=

『‥‥‥‥‥』

 数年来、心の中に響いてきた言葉が、また蘇ってくる。里架子はそれが肉体的な責め苦ででもある様に顔をしかめた。

『どうかしたの?』

 隣の席になったコが声をかけてきた。

 艶のある長い黒髪は、それだけでも目立っていたが、その上、色白な事もあり、美人という表現が合った。

『ちょっとね、筆記用具忘れちゃってさ』

『じゃ、私の貸してあげる』

 彼女が手渡したのは、シャープペンシルの類ではなく、鉛筆だった。先端はナイフできっちりと削られている。

『ありがと‥』

『いえ』 

 邪気の無い笑みに、里架子は少しだけ顔を強ばらせ、すぐに教卓の方に顔を戻した。

『‥‥‥』

 が、すぐにちらちらと横目で彼女を見る。

『‥‥‥なに?』

 さすがに気づいた彼女は、首を傾げた。少し慌てる。

『え‥‥‥うん、あなたの名前‥‥‥思い出せなくて‥‥‥何だったかなと思って』

 咄嗟にそんな事を口にした。

『那々美‥‥‥白倉那々美‥‥‥あなたは?』

『渡瀬里架子‥‥』

 ほんの一瞬、那々美が過去に消えた姉と重なって見えた。里架子は憑かれた様に腕を伸ばす。

『‥‥‥』

 彼女は驚いた様な顔でじっと里架子の手を見つめる。が、握りかえす様な事はせず、微笑み返しただけだった。

(‥‥‥変な人‥‥‥)

 里架子は心の中で呟く。


 それが二人の出会いだった。





『我は確率を極めし者‥‥‥』

 深夜の工事現場にたたずむ那々美と里架子は、同時に同じ言葉を口にした。

『全ての確率は、我‥‥‥』

 二人はそこで一呼吸置く。

「‥‥‥那々美の望みのままにある」

「‥‥‥里架子の望みのままにある」

 里架子は大きく息を吸い込む。

「我、汝の久遠の絆断ち、汝を討つ!」

 メキメキという金属の折れ曲がる音が響く。金属の磨耗という偶然によって足場が抜け始め、近くにあった大型クレーンが那々美の方に倒れかかってきた。

「‥‥身を削り、寿を削り、心を削り‥‥‥ 焦がれんばかりに‥‥‥」

 那々美は構わずに言葉を続ける。揺れる足場に立ちながら、里架子は横目で那々美を見ながら肩をすくめて笑う。

「ほらほら、早くしないととんでもない事になるかもよ」

「‥‥‥欲するは風の大地」

 那々美は不意に起こった風に巻き上げられ、体を上空へと飛ばした。直後、倒れたクレーンが那々美のいた足場をへし折り、数百メートル下の暗闇の中へと落ちていった。

 つくりかけのビル全体が軋み始める。里架子はすぐに何事かの言葉を口にし、無造作に飛び降りた。偶然にも流れてきたデパートの大型バルーンがクッションとなり、そのままゆっくり下へと降りていった。

 既に那々美は、下で待っていた。小さく言葉を呟き続けている。

「‥‥‥焦がれんばかりに欲するは、天空の刃‥‥‥」

 にわかに暗雲が広がり、小さな煌めきが雷鳴の前兆を見せた。

「‥‥‥欲するは、廉獄の剣!」

 里架子の言葉が終わると同時に、稲光が空を割った。クレーン車の椅子の上で眠っていた猫が驚き、わずかに開いていた窓から飛び出し、逃げた。その弾みでレバーの一つが押され、垂直に伸ばしていた巨大なクレーンは、真下にいる里架子に向けて下がった。

「‥‥‥」

 里架子は腕組みしたままその場を動かなかった。稲妻は偶然、そのクレーンの腕に直撃する。それで動きは止まった。里架子の頭上、わずかに五メートルである。

「‥‥‥人に蠢きし、負の心よ‥‥」

 那々美はすぐに次の言葉を続けた。里架子は目を細めた。

「目前にあるは我の敵、我の敵は汝らの敵、勝利の喜びは我と共にある!‥‥来たれ、この那々美の元へ‥‥そして力を示すがよい!」

 ”OOOOOOOO‥‥”

 先程、鉄骨の下敷きになった、姿無き怪物の呻き声が、那々美と里架子の間から聞こえてきた。怪物の重みで鉄板の敷かれた足場が、歪んで凹んだ。

「‥‥」

 再度現われた怪物に、里架子は眉をひそめたが、すぐに言葉を紡ぎ始める。

「‥‥‥全ての確率は、我、里架子の望みのままにある‥‥」

 ”GAAAAAAA!”

 雄叫びが、体をびりびりと震わせる。

「我の敵は汝らの敵、勝利の喜びは我と共にある! 来たれ、この里架子の元へ!」

 息継ぎせず、それだけ言いきる。

 駐車場に停めてあった、何台かの電気自動車のボンネットがベコと音を立てて潰れていく。二匹目の見えない怪物が、車の上を歩き、近づいてきているのが分かった。

「そして、力を示すがよい!」

 指を那々美の呼んだ怪物に向ける。

 ”GUAAAAAA!”

 ”AAAAAAA!”

 姿が見えている訳ではなかったが、埃が舞い上がった事で、二匹の怪物はぶつかりあった事が分かった。小説の中にでも出てきそうな翼の生えた大トカゲ‥‥‥竜のシルエットが月の光によって映し出されている。二匹は形こそ似てはいたが、里架子の呼び出したものは那々美のそれより一回り程、大きかった。 がっちりと腕を組み合い、力比べの勝負になった時、その差は露呈した。ゆっくりと菜々美の呼び出した影は押されていく。

 ”AAAAAAA!”

 里架子の怪物は、組んだ手を逆に引っ張った。那々美の影は、腕を引き千切られ、奇声を発して消えていった。

「‥‥‥く」

 一瞬顔を歪めた那々美は、正面に里架子を見据える。里架子はフフと笑った。

「それでおしまい?」

 笑って手をおろした。

「‥‥分かったでしょ、あなたの力じゃ、私には勝てないって。私はあなたと違って、遥‥‥‥彼に天才と認められたのよ」

「‥‥兄さんがそんな事を言っていたからこそ、私はあなたに負ける訳にはいかないの よ!」

「‥‥‥ったく、もうどっかに消えてよ」

 言葉の途中で、里架子は、話はこれで終わりと言わんばかりに、両手を振った。

「これ以上、私の邪魔しないでくれる」

「‥‥‥里架子」

 那々美は悲しげな表情を浮かべ、小さく頭を振った。

「それは出来ない‥‥あなたにこの新宿を好きにさせる訳にはいかない」

「へえ‥‥‥」

 里架子は目を細めた。

「どうしても?」

「‥‥‥」

 那々美は無言でうなづく。

「だったら‥‥」

 里架子が二本指を振ると、それまで止まっていた怪物が動き始めた。

 丁度その時、遠くからバイクの音が聞こえてきた。

 ”待て!”

 怪物の腕が那々美に向けて振り上げられる。バイクの人物が叫ぶのとそれは同じタイミングだった。

「せあっ!」

 真っ黒なライダースーツに身を包んだその男は、速度を緩めずに飛び降り、背中から銀色に輝く何か‥‥‥剣を抜く。そのまま怪物へと叩きつけた。

 ”GAAAAAAA!”

 男の剣は、怪物を真っ二つに切り裂いた。那々美は少し驚いた様に、そんな光景を見つめ続ける。

「和也さん!」

「さあ、早く!」

「‥‥‥」 

 和也と呼ばれた男は那々美へと手を伸ばす。細い腕を掴んでぐっと引き寄せ、倒れていたバイクの元へと走らせる。

 その間、里架子は何もしなかった。二人の様子を見守り、完全に姿が見えなくなった後、思い出したかの様にため息をつき、潰れた鉄板に視線を落とす。

「‥‥‥」

 冷たい夜風が真っ赤な死神のコートを揺らした。その下の赤白チェックの制服が目立つ。

「‥‥那々美‥‥」

 鞄を拾いあげ、強く抱き締める。

「‥‥‥?」

 背後で何か影が動く音が聞こえた。




『ほら、ここを持つとね‥‥‥』

 里架子の姉の野絵実がハムスターを檻から出し、手で持って里架子に近付けて見せた。顔の辺りに皮を持ってくると、皺が寄ってチャウチャウの様になった。

『あはは! 何、これー!』

 里架子は手を叩いて無邪気に笑う。

 二人の顔は鏡を見ている様にそっくりだったが、陸上部に入った里架子と比べて、姉の野絵実はどちらかといえば大人しめのコであった。里架子と違い、のばした髪を赤い紐リボンで結んでいる。

『いいなー、お姉ちゃんのそれ』

『じゃ、里架子のも、結んであげるね』

『え、変じゃない?』

『そんな事、ないよ。ほら、こうすれば‥‥』

『‥‥ほんとだ!』

 双子の姉妹はクスクと笑いあった。

 里架子が中学二年になった夏、家族四人で旅行する事になった。

『お姉ちゃんは?』

『さあ、その辺にいるんじゃない?』

 本州に向かう大型客船の甲板上を、里架子は姉の姿を探して人の間を走り回った。

 中央のホテル部分、後方の遊戯施設を抜け、里架子の足は先端部へと向かった。

 航海中の船の舳先付近は、意外な程に風が強く、里架子はかぶっていた帽子を押さえた。

『‥‥‥』

 風の音に混じり、微かに聞こえてくる歌声に、立ち止まって耳を傾ける。聞き覚えのあるメロディーは、恋愛を主題にした何の変哲もない今流行の歌であった。

『‥‥お姉ちゃん‥』

 姉の声は、聞き慣れているはずであったが、不思議な気分になり、里架子はしばらく、黙って聞いていた。

『あっ!』

 ぼうっとしていた為、帽子が飛ばされていく。

『‥‥まったく、落ち着きがないんだから』

 呆れた顔で野絵実が近づいてきた。

『あーあ、気に入ってたのにな‥‥‥』

 海面を流れていく帽子を目で追いながら、里架子はため息をついた。

『仕方ないよ。‥‥‥落ちちゃったんだから‥‥‥』

 帽子は小さくなり、フェリーのあげる白波に飲まれて消えていった。

『あ、そうそう、もうすぐランチタイムだから』

 さっきより少し身軽になった里架子は、また走っていく。

『そんなに急ぐと、転んで海に落ちちゃうよ』

 野絵実はゆっくりと妹の後を追った。

 そうして日程通りに旅行は終わり、帰りは飛行機になった。

『どうしてお姉ちゃんばっかりいつも!』

『そんな事ないよ、里架子の方が‥‥‥』

 二人は喧嘩を始めた。原因は取るに足らない些細な事であった。

 そんな二人から少し離れた所では、航空会社の係員の女性が、父親に何度も落ち度を詫びた。

『申し訳ありません、手違いがございまして。

 三十分後の三百五十二便は二名様の空きしか‥‥‥』

『仕方ないな。じゃあ私と母さんで別々に乗るとするか』

 丁度、連休の帰省のピークを迎えていた事もあり、こうして二人は別々の飛行機に乗る事になった。

『お姉ちゃんと別々の飛行機で良かった!』

『こら、里架子!』

 あかんべーをして後ろに隠れた里架子に、母親は困った顔になった。

『私だって‥‥‥もう妹なんていらない!』

 野絵実は頬を膨らませてぷいと横を無き、くるりと背を向けて歩きだす。里架子も黙って母親の元へと向かったが、二、三歩程で立ち止まり、後ろを振り向いた。

 人込みの中に姉の姿がゆっくりと溶け込んでいき、すぐに雑踏に紛れて見えなくなった。『どうしたの里架子?』

 母親が、不思議な顔のまま動かなくなった娘の顔を覗き込む。

『え? ううん、何でもない』

『‥‥‥里架子‥‥‥帰ったら、お姉ちゃん と仲直りするんでしょ?』

『考えても‥‥‥いいかな‥‥‥』

 隠れる様に母親の背中を押した。

 初めて乗った飛行機は、想像していたより揺れが大きく、地元の千歳空港に着いた時は、気分が悪くなり、家に戻る早々に布団に入った。 


 彼女の乗った六百人乗りのジャンボが事故をおこした事を知ったのは、目が覚めた翌日の昼の事だった。


 こうして夏休み最後の日は終わった。


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