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第22話:繰り返される罰もある

「エリオード」


 セラディスが去って間もなく、ティアリナが口を開いた。その口調は今までに比していっそうシスターらしく、穏やかだった。

 声色まで違う気がする。耳にすっと入り、脳に染み込むような彼女の声は、北風と太陽で例えるならば太陽のように、迷える子羊を温かく包み込んで導くのだろうと思った。


「あなたの気持ちはわかるけれど、ああいう迫り方はセラディスを追い詰めるだけよ」

「……あんたには関係ないだろ」

「いいえ、あるわ。私も彼の友人だもの」

「ただの同僚だろ」

「そうね。たとえセラディスが私を同僚としか思っていなかったとしても、私が彼を大切に思う心は変わらない。……あなたと同じよ」


 エリオードの眉がぴくりと動いたが、彼は何も言い返さなかった。その理由はなんとなくわかる。ティアリナのようなシスターに優しく諭されて、猛虎のごとく反論できるほど、エリオード自身も自分の言動に自信があるわけではないのだ。


 つまり、良くないとわかって、やっている。わかっていても、とめられない。


 その気持ちには共感できるところがある。あたしも昔――トウマを推し始めた初期のころ、お店の中で大声で駄々をこねて、店長さんに宥められたことがある。


 大好きなトウマを困らせて、お店にも迷惑をかけて、よくないことだとわかっていたけれど、やめられなかった。


 トウマをあたしのものにするためなら何でもしてやるという気持ちと、引っ込みがつかなくなったこと、その両方であたしは、同担女のテーブルに行かなければいけないトウマの腕を抱いて離さなかった。そうやって泣いて縋るあたしを、騒ぎを聞きつけてやってきた店長さんが、優しく慰めてくれたのだ。


 ああ……あのころはあたしも青かった。


 エリオードを見ていると、昔のあたしを思い出す。もっとも、ホストと姫という関係性と、十年来の親友同士という関係性とでは、コインの表裏ほどの違いがあるけれど。


 だけど、そんな一方的な同情シンパシーが、あたしの口を滑らかにする。


「ねえ、今からティアリナと一緒にお昼ご飯作ろうと思ってたの。エリオードも一緒に食べよ?」

「……いらねぇ」


 ショック! 言わなきゃよかった。あたしの馬鹿!


 エリオードは目を逸らし、そのままあたしたちの脇をすり抜けて玄関アプローチを歩いていく。


「どこへ行くの?」


 ティアリナがエリオードの背に声を掛ける。


「セラディスを追う気なら、やめておきなさい。彼、今日は本当に忙しいのよ」


 エリオードが足を止め、沈黙した。


「ユダリスク様からの書簡も来ていたし、近々何かあるのかもしれないわ」


 その時、あたしにはエリオードの肩がわずかに揺れたように見えた。でも、少し遠かったし、見間違いかもしれなかった。


「別に追わねぇよ。夕飯の買い出しだ」


 振り向かずにそう言い残して、エリオードは歩き去った。



 夕食時、テーブルを挟んだ向かいでスープを口にしていたセラディスが、突然手を止めて、ぽつりと言った。


「明後日から、一週間ほど留守にします」

「えっ? どこか行くの?」

「聖都アウレリアへ」

「アウレリア……」


 あれ、それってどこかで聞いた名前かも。

 逡巡してみる。ごくごく最近聞いた気がするのだが、思い出せない。


「ユダリスク司教に会いにいくのか」


 給仕をしていたエリオードが口を挟み、あ、それだ、とあたしは脳内で膝を打つ。昼間にティアリナの口から聞いた都市の名前だ。ユダリスク司教が今いる場所だという。


 セラディスは明らかに気まずそうな表情を浮かべた。


「……どうしてそれを」

「勘だ。セディは、わかりやすいから」


 セラディスはため息混じりにスプーンを置き、表情を引き締めた。


「はい。ユダリスク司教との面会のために、アウレリアへ行ってきます」

「俺もついていく」

「そんなこと……許されると思っているのですか、


 冷徹と紙一重の、冷静な声だった。そして、何か意味深な気もする。

 またこれだ。あたしにはわからない、セラディスとエリオード――二人の間の言葉にらない会話。


 あたしは二人の醸し出す雰囲気に居心地の悪さを覚えつつ、口を開いた。


「ねえ、ユダリスク司教って、そんなに恐ろしい人なの?」

「いいえ」


 セラディスはきっぱりと否定した。あたしに言葉を掛けるときには、いつもの穏やかで優しいセラディスだ。

 その切り替えを見事だと思う一方で、どこかうすら寒い心地もする。


「多くの信者、そして神父やシスターに尊敬される、偉大な司教様です」

「なぁんだ、よかった。エリオードが変な顔してるから、あたしてっきり、超怖い人なのかと」

「大丈夫ですよ、安心してください。ルミナスでの信者たちの様子を、少し話しに行くだけです」


 セラディスの言葉と微笑みに、あたしは胸を撫で下ろす。けれどもセラディスのそばに立つエリオードは、なおも神妙な表情を崩さなかった。


 きっと、連れていってもらえないことを不満に思っているのだろう。仕事なんだからしょうがないじゃないか。やっぱりエリオードって、ヤンデレ彼女じみてんだよなぁ。


 やれやれ、と思いながらあたしはパンをちぎって口に入れた。それをごくんと飲み下す。

 何か喉に引っかかった小さなものを、一緒に胃に落とすために。


 ああ……こういう違和感に、気づかないふりをしたいあたしは軟弱者なんだろうか。

 だって、誰だって、『このまま何事もなく済めばいい』と思うじゃないか。

 それを口に出して言ってしまったら、何事か起こるための引き金みたいになりそうで、目を逸らしたくなるじゃないか……!



 夕食後、入浴も終えて、寝室で就寝準備をしていると、ドアがノックされた。


 まさか、セラディス!?

 あたしが行こうと思ってたのに、逆に来てくれたの!? 超ハッピー!


 ウキウキしながらドアに飛びつき、開けてみると、そこにいたのは――


「……エリオード?」


 予想外の相手に、疑問と不満が湧き上がる。


「なんであんたが。まさか、夜這い? 寝取り趣味だったりして?」


 軽くからかうように言ったけれど、エリオードの顔は真剣だった。なんだかちょっと怖くなるくらい真剣で、逆にあたしはその空気をぶち壊したくてへらへらしてしまう。


「ちょっとちょっとぉ、あたしはそういうのNGだからぁ」

「マナシア、頼みがある」

「え、無理無理。筆おろしとかしないからね。あれ、この表現通じるのかなぁ」

「明後日からのセディの出張に、お前も同行してくれ」


 ……え!?

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