あたしは拾った写真を自分の寝室へ持ち帰り、時間をかけて眺めた。
セラディスとエリオード。年齢は恐らく十六、七くらいだろう。神父服に似た制服を着て、首から同じ黄金の太陽の首飾りを下げている。二人とも、今より頬に丸みがあり、カメラに向けられた笑顔には屈託がない。
ぴったりと寄り添った肩。よく見ると、二人とも互いの背に手を回している。
絵に描いたような理想の親友像。
理想的過ぎて、ただの親友というには嘘くさいくらい。
チリ、と胸が痛み、あたしは自分が嫉妬していることに気づいた。
何に対して?
セラディスの学生時代を知っているエリオードに?
神への敬意と勉学と友愛に囲まれて、美しかっただろう彼らの日々に?
このもやもやの湧き出る
まるで神に愛された天使たち。
エリオード、あんたどうして、こんな写真を投げたんだよ……!
この写真に写る二人の雰囲気と、今の二人の様子とでは圧倒的な差異がある。でも、それが何なのか、上手く言語化できない。
二人の間には、何があるのだろう。
写真を引き出しにしまい、あたしはようやくベッドに潜り込んだ。だけど、あまりにもいろんなことを考えすぎて、眠りにつくには時間がかかった。
翌朝、重い瞼をこすりながらダイニングへ向かうと、そこにセラディスの姿はなかった。
テーブルの上には、ひとり分の朝食。ただし、いつもよりも数段質素だった。
薄く切ったバタールの上に申し訳程度のハムが乗ったものと、オレンジジュース、以上。
「うーん、
作ってもらっている身で文句は言えないが、自然と肩は落ちる。あたしは冷えた朝食をもそもそと口に運んだ。
まあ、夜職やる前の学生時代よりはマシ。あのころはトウマに会いに行くお金を少しでも貯めたくて、朝ご飯なんか抜いてたっけ。
食べ終えたあたしは食器をキッチンへ持っていき、自分で洗った。キッチンは使用人用の部屋のすぐ近くにある。
エリオードの部屋に意識が向いた。あたしは濡れた手を拭いて、部屋のドアの前に立った。
トン、トン、トン。
「エリオード、いる?」
たっぷり五秒待ってみたが、中で人の動く気配はない。
不在だろうか。それとも、無視されてるだけ?
もう一度同じようにノックして、しばらく立ち尽くしてみたが、変化はなさそうなのであたしはその場を離れた。
どうしたものかと途方に暮れていると――
カランカラン。
玄関ベルが鳴った。
朝早くから誰だろう。
不審に思いながらドアを開けると、そこに立っていたのはティアリナだった。
「おはよう、マナシア」
「ティアリナ……どうしてここに? セラディスならもう出勤したと思うんだけど」
「そのセラディスに頼まれて、様子を見に来たのよ。朝食のお土産付きでね」
ティアリナは微笑んでバスケットを掲げる。そして柔らかな強引さであたしからドアノブを奪い、エントランスに入ってきた。
「いろいろ買ってきたの。テラスで食べましょう」
「あ、ちょ、ちょっと」
勝手知ったる様子で奥へと歩いていく彼女のあとを、あたしはドギマギしながら追った。
司祭館の裏手には、美しい庭がある。ラベンダーの紫、ローズマリーの深い緑、バラのピンクなどを含む色とりどりの生垣が左右対称に整えられていて、中央には小さな噴水があり、水が静かに流れる音が心地よい。
それらを眺めるテラスには、繊細な装飾が施された白いテーブルと椅子が置かれている。
ティアリナはテーブルにレースのテーブルクロスを敷くと、バスケットの中身を取り出し始めた。
「街の新しいパン屋さんで買ったブリオッシュに、ハーブ入りのバター。あと、特製のいちじくジャムもあるわ。サラダはフレッシュなルッコラとトマトに、モッツァレラチーズを添えて、オリーブオイルを軽くかけたものよ」
ティアリナは嬉しそうに並べながら、手際よく朝食の準備を整えた。
「それに、ベリーのタルトと、アップルゼリーも買ってきたの。デザートまで完璧でしょう?」
見ているだけで、心が躍るような朝食だった。
「今、紅茶も淹れてくるわね」
至れり尽くせり。
質素な朝食では満たしきれなかった空腹を思い出したかのように、胃がキュルルルと鳴る。
「うふふ、可愛いヒトね」
白くて綺麗な手が視界に現れたかと思うとあたしの右頬に添えられて、左頬にチュッと柔らかな感触。驚きの声を発する間さえ与えず、するりと去っていく彼女。
紅茶を淹れに行ったシスター服の後姿を、あたしは呆然と見送った。
「昨日、セラディスとエリオードの間で揉め事があったんですって?」
ブリオッシュをちぎりながらティアリナが何気なく言った。
「え?」
あたしは昨夜のことを思い出して手を止めた。セラディスがエリオードに襲われかけたこと……彼女はどこまで知っているのだろうか。
「セラディスがそう言ったの?」
「ええ。詳しくは聞いていないけれど、少し揉めたって」
あたしは迷った末、セラディスが襲われかけたことは伏せて、二人が何か言い合いをしていたこと、エリオードが荒れていたこと、彼の部屋の前で写真を拾ったことだけを話した。
そして、自室から写真を取ってきて彼女に見せた。
「あら、可愛い。学生時代のセラディスとエリオードね」
「すごく仲が良さそうでしょ?」
「ええ。写真を見る限り、大親友って感じがするわ」
「この写真が入った写真立てを、エリオードは投げたんだよ」
「乱暴ねえ……」
「写真立てに入れて飾っておくほど、大事な写真だったはずなのに」
ティアリナの眉がピクリと動いた。あたしは続ける。
「ねえ、ティアリナ。セラディスとエリオードって、どんな関係なの? どうしてエリオードは教会修復師の仕事をやめてまでこの家の使用人になったんだろう」
ティアリナは少し考え込んでから、ゆっくりと口を開いた。
「二人は、十五歳のときに神学校の寮で同室になったことで、仲良くなったと聞いているわ」
「それはあたしも知ってる。他には?」
「そうね……二人は揃って神父になることを志していたのだけど、エリオードはどういうわけか別の道を選んだ。その理由を、セラディスは恐らく知っている」
「理由って……」
「詳しくはわからないわ。でも、その理由には、セラディスが関係している気がする」
「どうしてそう思うの?」
「その話をしてくれたときの彼の表情が……まるで懺悔をしに来た子羊だったから」
懺悔――それは罪や過ちを告白し、悔い改めること。
「つまり、エリオードはセラディスのせいで神父になれなかった?」
「"せい"とまで言い切れない」
「でも、だからエリオードはセラディスに執着するのかな? セラディスをやっかんで」
「決めつけはやめましょう。私には、関係している気がする、としか言えないわ」
その時、テラスに繋がる掃き出し窓が開いた。
現れたのは執事服をまとったエリオードだった。渦中の人の登場にあたしの心臓は、話を聞かれたのではないかと跳ねるが、盗み見たティアリナの顔は涼やかなものだった。
「あら、エリオード。おはよう。修復師のバンダナとエプロン姿も似合っていたけれど、その恰好もなかなかね」
「何しに来た、ティアリナ」
「セラディスに頼まれて、ちょっと彼女のお話相手に」
「そのテーブルの片付け、俺はやらないからな」
「ええ、結構よ。それと、このあと彼女を借りていくわ」
え、借りていく? 初耳なんだけど。
エリオードの目があたしを一瞥する。
「俺に断る必要はない。勝手にしろ」
彼は吐き捨てるように言うと、掃き出し窓を強めに閉めて去っていった。
その足音が聞こえなくなるのを待って、あたしは口を開く。
「ねえ、あたしを借りていくって?」
ティアリナは優雅に微笑む。
「実は、私が今日来たもうひとつの理由がそれなの」
「というと?」
「お買い物に行きましょう」
「……それも、セラディスからの頼まれごと?」
「いいえ」
ティアリナは椅子から半ば腰を上げたかと思うと、テーブルの中央付近に片手をつき、もう片方の手をあたしへ伸ばした。
その白百合の花弁のような指先が、あたしの口の端を拭っていく。
あ、いちじくジャム。
ティアリナは指先を口に含んでちゅぷんと舐めた。
「私ともデートしてくれなきゃ嫌よ」