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第16話:ある日突然、あなたも消えるのでしょう

 背中が、ひやりとした石の壁に触れる。息が詰まりそうになるほどの緊張のなか、セラディスが静かにもう一歩、距離を詰めてきた。


「マナシア……」


 彼が呼びかける声が、教会の空間に溶けていく。静寂の中で、それだけがやけに響いて聞こえる。


「あなたの真実の名前を知りたい」


 それは問いではなく、願いのようだった。

 あたしは唇を噛んだ。心臓が壊れそうなくらい速く鳴っている。


 もし本当の名前を明かしたら、彼はどう思うのだろう? あたしが“マナシア”じゃないって、はっきり知られたら――。


「あたしは……」


 言いかけて、口を閉ざす。足元が揺らぐような不安に、思わず目を伏せた。


「どうして……知りたいの?」

「あなたのことを心から愛しているからです。そしてあなたの過去ごと、愛したいからです」


 その言葉に、あたしは胸を掴まれたような気持ちになった。

 逃げてはいけないと思った。あたしはゆっくりと目を上げて、彼の深い青を見た。


「あたしの名前は、真名まな


 セラディスの目が、わずかに見開かれる。


「マナ……可愛らしい名前です。マナ、そうですか……」


 彼は唇に指を触れた。それは彼が考え事をするときの仕草。そして考えがまとまると指を離し、


「二人目のマナシアの真実の名前は、マナキでした。あなたと同じように、別の世界で命を落とし、ここに転生してきた人間です」

「マナキ……」

「はい。気がつきましたか? 転生者の名前がよく似ています。それに三人には、元の世界で亡くなっているという共通点もある。転生者としてその体に宿る魂には、何か法則性のようなものがあるのかもしれませんね……」


 彼の声が、思索に沈もうとする。

 けれど勝手に沈んでもらっては困る。あたしにはもうひとつ、言っておきたいことがある。


「あのさ、セラディス。あなたはあたしに愛しているとか愛したいって言ったけど……あたしはあなたが愛した最初のマナシアじゃないんだよ?」


 彼は顔を上げて、真っ直ぐにあたしを見た。


「そのことは、あなたを愛さない決定的な理由になりますか? あなたは性格こそ異なれど、容姿も声もマナシアそのものなのに」

「だけど……」

「それにね、あなただって同じです」

「えっ?」

「あなたも、トウマという人を愛していたのでしょう? けれど今、彼とは違うこの私に心を向けてくれている。私はきっと、そのトウマさんに似ているのですね。あなたの目は時々、私を通して別の誰かを見ているような気がします」


 あたしは返す言葉を失った。確かに、そうだ。自分だって、似たようなことをしている。セラディスをトウマの代わりにしようと。


 後ろめたさで居心地が悪くなった。逃げ場を探すように、あたしは問いかけた。


「でも……愛してたっていう割に、最初のマナシアを半年間も寝室に軟禁していたって、ちょっとおかしくない?」


 セラディスの表情が少しだけ陰った。


「そう思われても仕方ありません。ですが弁解させていただくと、それは彼女自身の意思だったのです」

「どういう意味?」

「最初のマナシアは、元の世界で自ら命を絶って転生してきた人間でした。彼女は人との関わりを極端に恐れていた。人目に触れない場所で静かに暮らしたいと望んでいました」


 自ら命を、という言葉があたしの胸に針のように刺さる。


「それでも、私たちは少しずつ惹かれ合い、ついには、婚姻しておおやけに夫婦として生きていきたいと思うようになりました。そして私は彼女が公と繋がる第一歩として、親友のエリオードと、信頼する同僚のティアリナに、彼女を婚約者として紹介しました」

「それが、約半年前?」

「ええ。そして、そのすぐ後に、私たちは婚姻の儀を執り行いました」


 嬉しいはずの婚姻という言葉が、どこか憂いを帯びているのにあたしは気づく。


 しかし、とセラディスは続けた。


「結婚して間もなく彼女は、二人目のマナシア――マナキになったのです」

「そんな……」

「ある日の夕方、教会から帰ると、マナシアが玄関先に倒れていました。私は彼女を急いで寝室に運びました。……そこから先の展開は、あなたが現れた時と同じです」


 まるで記録をなぞるように語られる言葉が、確かな重みを持ってあたしの胸にのしかかる。


「私は最初のマナシアにも二人目のマナキにも、さよならを言うことはできていません」


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