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第15話:三人目のあなたへ

 カフェ・ルミエールを後にして、あたしたちは石畳の道をのんびり歩いていた。


「ねえねえ、見せたい場所ってどんなとこ?」


 あたしが尋ねると、隣を歩くセラディスがふと遠くを見つめた。


「ここから少し歩きます。私の大切な場所です。……マナシア、あなたと初めて出会った場所」


 セラディスの声が、懐かしむような響きを帯びる。

 彼はあたしを振り向くと、片手を差し出した。あたしは彼の方から申し出てくれることに驚きつつも、嬉しい気持ちで彼の手を取った。


 繋いだ手を彼に引かれて、あたしたちは街の中心地から外れ、人通りの少ない小道を抜け、さらに川沿いの緑道を進んだ。


 緑道を外れてさらに木々の中へ入っていくと、聞こえてくるのは草を踏む自分たちの足音と、風に鳴る枝葉の音と、鳥の声だけになった。


 やがて、視界が開けた。

 そこには、古びた石造りの教会が佇んでいた。蔦が壁を這い、窓には割れたステンドグラス。誰も使わなくなって久しいことが、一目でわかる。


「ここが、あたしとあなたが初めて会った場所?」

「はい。もう誰も使っていない、かつての聖堂です」


 セラディスは静かに教会の扉を開き、あたしを中へと案内する。

 ほこりっぽい空気と、かすかに残る香の匂い。大きな柱が並ぶ静謐な空間の奥に、小さな祭壇があった。


「ここで、マナシアを見つけました」


 セラディスは祭壇の前に立ち、思い出すように目を細めた。


「今から約一年前。私の大切なアレオン神の象徴――黄金の太陽の首飾りを、鳥が咥えて飛び去ってしまって……それを追いかけて、この教会に辿り着いたのです。すると、祭壇の上で、あなたが倒れていた」

「そんな……劇的な出会い方。まるでおとぎ話みたい」

「私も信じられませんでした、こんな古い場所に人がいるなんて。あなたが本当に人間なのかどうかも、初めは疑ったほどです」


 セラディスの言葉に、あたしは思わず笑ってしまった。


「あたしが、そんなに不思議な存在に見えた?」

「ええ。美しくて、儚くて……まるで空から落ちてしまった天使のように見えました」


 て、天使!? てっきりユーレイとか言われるもんだと……。


 あたしは照れくさくなって首を横に振った。


 でも嬉しい。セラディスがあたしに心からの綺麗な言葉をくれるたび、あたしは金で男の時間を買っていた現実での汚いあたしを棚上げして、綺麗なモノになれたような錯覚ができる。


「それで、あたしを見つけた後、あなたはどうしたの?」

「背負って屋敷へ連れ帰りました」

「ひとりで? こんな森の奥から?」

「はい。人を呼んでどうこうしていては、手遅れになるかもしれないと思い」

「そっか……」


 きゅうう、と胸が締め付けられて、あたしは堪らなくなった。彼にゆっくりと数歩近づいて、その胸に頬を寄せる。そして両腕を持ち上げ、背中へと回す。


「ありがとう、セラディス。あたしを助けてくれて」


 セラディスの両腕が、あたしの肩から背にかけてを優しく抱いた。

 けれどもあたしは、彼の手が少し震えているのに気がついた。


「セラディス?」

「礼を言われるようなことはしていません。私がしたことはすべて、私のエゴなのです」

「そんなこと……」

「私はあなたを連れ帰り、今のあなたの寝室へ寝かせました。すべて、ひと気のない早朝の出来事でした。すぐにお医者様を呼び、あなたを診せなければいけないと思いました。けれど私は結局そうしなかった。あなたが目を覚まし、自分の置かれた状況や、私のことをとても怖がったからです」


 なにそれ……とあたしは思ったが、口にはしなかった。"マナシア"が意識を取り戻してからの出来事はすべて、"マナシア"が知っていて当然のことだ。そういうふうに振る舞わなければいけない。


「私は、あなたが落ち着くまでは、お医者様含め、他人を近づけるべきではないと思いました。幸いなことに、あなたに目立った怪我はありませんでした。それからの数日間、私はあなたの存在を周囲に隠して生活しました。あなたは私に次第に打ち解けてくれて、とある話をしてくれました」

「どんな?」

「自分は別の世界から生まれ変わって来た人間だ、と」


 心臓が跳ねた。


 あたしは飛び退くようにセラディスの腕から逃れ、彼の深海のような瞳をまじまじと見つめた。

 彼の目は、嘘を吐いているようにも、冗談を言っているようにも見えなかった。


「マナシア、という名前は、その体に最初に宿った転生者――私が出会った最初の、そしてあなたのふたり前の彼女の、真実の名前です」

「ちょ、ちょっと待って、あたし混乱してる」

「あなたも転生者なのでしょう? 三人目のマナシア」

「わ、わからない。わからないよ……」

「四日前、ベッドで目覚めたあなたは私を別の名で呼びましたね。確か、トウマと」


 なんだこれ、なんだこれ。まずい展開じゃない? どうしよう、どうしよう。


 なんて答えるのが正解なんだろう。

 あたしが、自分はセラディスの助けた"マナシア"じゃないって認めたら、あたしは捨てられちゃうのかな……?

 そんなの嫌だっ……でも……


「あなたは、自分は死んだはずだと言いました。その台詞は、私が出逢った二人目のマナシアと同じです。彼女もまた転生者で、別の世界で命を落とし、気づいたらマナシアになっていたと語りました」


 駄目だ。全部バレてる。誤魔化しようがない。


「あなたの、真実の名前は何というのですか」


 割れたステンドグラス越しに差す陽光が、ちょうどあたしとセラディスとの間に小さな陽だまりを作っている。


 セラディスがじわり、とその陽だまりに一歩足を踏み入れる。

 対してあたしは反射的に一歩、影のほうへと後ずさる。


「どうして逃げるんです。私のことが怖いですか」


 陽に透けるアッシュブロンドの髪。漆黒の神父服。その上で煌めく金の刺繍。


「マナシア」


 彼が一歩歩み出て、あたしは一歩後ずさる。


 あたしの踵が壁に当たった。


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