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第13話:ハグからの供寝からの……

 夕方、あたしはエントランスでそわそわしながらセラディスの帰りを待ち構えていた。懐中時計とにらめっこしつつドアの向こうに耳を澄まし、時々玄関を薄く開けて外を見ては、まだだなぁとがっかりして閉める。


 そしてついに――足音!


 タッ、タッと規則正しい靴音が、石畳のアプローチを近づいてくる。


 よっしゃあああ!


 勢いよく玄関ドアを開け、あたしは飛び出した。


「おかえりなさぁああい、セラディィイス!」


 そのまま、セラディスの胸に飛びつく。


「マ、マナシア!? 危ないですよ」


 彼は驚きながらも、ちゃんと両腕で受け止めてくれる。今日のミッション、ハグ成功!


「えへへ、いってらっしゃいのハグはしそこなっちゃったから、おかえりのハグにしてみた」


 玄関の奥――キッチンの方からドタドタと駆けてくる足音が聞こえる。


「セディ!」


 現れたのは、執事服の上に白いエプロンをつけたエリオードだった。夕食の準備中だったのだろう。抱き合うあたしたちを見て、眉間に深く皺を寄せる。


「おい、離れろ、背教者め!」

「またそれ? ボキャブラリーが貧弱だなぁ」

「いいから離れろ!」


 エリオードがあたしを引き剥がそうと腕を伸ばすのを、セラディスが制する。

 きゃーっ、あたしを守ってくれる旦那様、素敵!


「エル、落ち着いてください。これはただの挨拶のハグです」

「挨拶だと? だったらもう済んだだろう。さっさと離れろ」

「けーち、けーち」

「マナシア、あなたも人を煽るのはおやめなさい」

「……はぁい」

「まったく、油断も隙もない下品な女だ」

「エル、私の妻を侮辱する気ですか。そんな使用人なら即刻、全教委員会へ交代申請させてもらいます」

「わああっ、悪かったって、お前の奥さんは上品で良い女だよぅ……」


 叱られた大型犬のようにしゅんとしてセラディスの肩に縋るエリオードを、あたしは鼻で笑ってやった。



 そのあとの夕食時、あたしは昨夜の就寝前の出来事を思い出し、思いきってセラディスに切り出した。


「ねえ、今夜は一緒に寝てもいい?」


 セラディスは少し驚いた顔をしたが、すぐに優しく頷いた。


「一昨日と同じように眠るだけなら、構いませんよ」


 と、その横から冷や水をかける声。


「却下だ。25歳に満たない妻が夫と同じ部屋で一夜を共にするなど、仮に何もなくとも、はたから見たら教義破り同然だぞ」


 またこれか、とあたしはげんなりした。


「では、苦肉の策ですが……三人で寝るっていうのはどうです?」


 思わず出たセラディスの提案に、一瞬場が静まり返る。


「三人で、って……あたしとセラディスとエリオードで?」

「ええ。二階の予備寝室には、キングサイズのベッドがあったはずです。あそこでなら、少し窮屈ですが寝られないこともありません」


 馬鹿なのか天然なのかどっちだ、この夫は? いがみ合う妻と親友と三人で寝ようだなんて。


 あたしは呆れるどころかいっそ感心した。


 結局、あたしたちは就寝時間になると誰ともなく予備寝室へ向かい、セラディスを真ん中に、あたしが彼の左側、エリオードが右側という配置で眠ることになった。


「お前、セディに近すぎるぞ、離れろ」

「そっちこそセラディスにくっつきすぎ。使用人の立場をわきまえてよね」


 あたしとエリオードが延々と小声で言い争うのを、セラディスは微笑ましく眺めている。


「ふふ……懐かしいですね。学生時代の寮では、シングルベッドに二人で寝たこともありましたよね、エル」

「ああ、十五のころだったな。お前が夜中に、神学の試験どうしようって泣きながら俺のベッドに潜り込んできたんだ」

「泣いてはいません。緊張して眠れなかっただけです」

「お前が眠れるよう、俺が隣で教本を朗読してやったっけ」

「ええ。授業中みたいな眠気がたちまち襲ってきて、ぐっすりでした」


 二人の話に、あたしは思わず笑ってしまう。


「でもそれもすぐ、二人してガタイが良くなって、できなくなったよな」

「うふふ。朝起きて、君がベッドから落ちて床に転がっているのを見たときには笑いました。それが最後でしたね。懐かしいです」


 そう言ったセラディスが、あたしに目を向ける。


「マナシアとも、出会ったころに一緒に手を繋いで眠ったことがありましたね。怖い夢を見ると言っていたから」

「そうだったっけ……」


 あたしはその話を知らない“マナシア”なので、苦笑いを浮かべながら尋ねた。


「そのときのあたしって、セラディスから見て、どんな感じだった?」


 ちょっとでも“マナシア”のことを知りたい。

 セラディスは少し思案したあと、ふっと微笑んだ。


「何も知らない、まるで幼い子どものようでした。でも、それが悪いとは思いませんでしたよ。むしろ、守りたいと自然に思ったんです」


 胸が熱くなるような言葉に、あたしは何も言い返せなかった。エリオードもまた、セラディスの真剣さを受け止めたのか、茶々を入れてはこなかった。


 しばらくの沈黙のあと、セラディスが穏やかに言った。


「そうだ、明日は久しぶりにお休みをいただいたんです。よければどこかへ出掛けませんか?」

「ほんと!? やったー!」

「そうと決まれば、今夜は早めに眠りましょう」

「うんうん」


 寝る前に嬉しい予定ができて、あたしの胸はすっかりトキめいていた。


「お前、寝ぼけてセディに変なことすんなよ」


 エリオードの嫌味は、今だけは聞き流すことにした。


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