目が覚めると、セラディスはいなかった。
あたしはぽっかり空いたベッドの半分を見つめながら、数秒間思考停止。
せっかく一緒に寝たのに、朝を迎えた瞬間にいないってどういうこと!?
あたしは布団を跳ね除け、すぐに部屋を出る。
寝室は司祭館の二階にあった。なので二階の廊下をぐるっと一周して、浴室や図書室のドアを片っ端から開けてみたが、セラディスの姿はどこにも見当たらない。
「むぅ……」
昨夜の甘い(?)雰囲気を思い返しながら、あたしは自分の寝室へ戻り、身なりを整えた。
ダイニングのドアを開けると、そこには完璧に身支度を整えたセラディスが、すでに朝食を前に座っていた。
「おはよう、マナシア」
「……」
「どうしました?」
「なんでもないっ!」
むすっとしながらも、テーブルに並べられた朝食に目を向ける。
焼きたてのパン、スープ、フルーツ、香り高い紅茶――朝から優雅だ。
「いただきます……」
セラディスは、あたしの拗ねた態度には何も言わず、いつも通り落ち着いた表情で食事を進める。
なんだか相手にされていないかのようで悔しい。
でも、負けないもん。そう遠くないうちに、夢中であたしの尻を追うようにさせてやるっ。
食事のあと、セラディスは教会へ向かう準備を始めた。
「今日は私ひとりで行きますので、マナシアは――」
「ついてく」
「……え?」
「たまには一緒に出勤してもいいでしょ? 夫婦なんだから」
この理屈はさすがにキツイなと自分でも思いつつ、畳みかける。
「ほら、昨日は結局行けなかったし。それに焼き菓子も用意したの」
あたしはにっこり笑いながら、手に持っていたバスケットを見せる。
中身は、教会で働くシスターたちへの差し入れだ。バターたっぷりのマドレーヌ、紅茶の香りが漂うフィナンシェ、そして淡い甘さと香ばしさのアーモンドクッキー。キッチンにいたメイドちゃんに急いで作ってもらった。
今日は教会へ行き、セラディスの同僚であるシスターたちを牽制する!
"良き妻"を演じながら、夫婦仲の良さを見せつけてやるのだ!
セラディスは小さくため息をついたが、反論はしなかった。
「わかりました。では、行きましょうか」
「うん、行こう行こう!」
昨日のように二人並んで、今日は私からセラディスの手を取って、仲良く手を繋ぎながらデート気分で朝の街を歩く。
柔らかい陽光とそよ風が心地よい。トウマとはいつも暗い時間帯にばかり出歩いていたから、明るい場所でトウマそっくりのセラディスの横顔を見上げていると、非日常感というか、不思議な気持ちになる。
あたしはトウマのアッシュブラウンの髪が日に当たると金色っぽく輝くことを初めて知った気がする。いや、彼はトウマではなくセラディスなんだけど。
街角を何度か曲がると、家々の屋根の上に聖アレオン大聖堂らしき尖塔が見えてきた。
「ねえねえ、あれがセラディスの職場?」
「そうですけど……何度も行ったことがあるでしょう?」
「あ、まあ、そうなんだけど、あはは」
まずい、まずい。つい何でもかんでも初めてみたいな反応をしてしまう。
ちゃんとマナシアらしくしないとね。せっかく推しと夫婦なのに、『最近あなた変わりましたね』なんて言われて離婚されちゃあ堪らない。
正面に立ってみると、聖アレオン大聖堂は、威厳と温かみを併せ持つ壮麗な建物だった。
白い石造りの外壁は陽光を浴びて神々しく輝き、その上には優雅な装飾が施された尖塔がそびえ立っている。
入り口には大きな木製の扉があり、扉の上部には彩り豊かなステンドグラスが、太陽の絵を描いていた。
「こちらですよ」
建物に見惚れていると、セラディスに呼ばれた。彼は正面の扉ではなく、大聖堂の脇から裏手へと回っていく。関係者用の裏口があるのだろう。
果たしてそのとおりで、セラディスはシンプルな木戸を開けて中へと入った。あたしも彼に続く。
「セラディス様、おはようございます」
「おはようございます、神父様」
掃除をしていたシスターや、通りがかりのシスターが笑顔で声をかけてくる。そのうちの何人かは彼の後ろに立つあたしに気づき、同じく挨拶をしてくれた。中には、
「おはようございます、マナシア様」
と名を呼んでくれるシスターまでいて、あたしの方は彼女のことをさっぱり知らないのに、申し訳ないような複雑な気持ちになる。
いや、そんなことを考えていても仕方がない。知らないものは知らないのだ。
今から覚えていけばいい!
そして覚えさせてやる、あたしがセラディスの良妻だということを!
「おはようございます、皆さん。朝早くからお疲れさまです」
あたしは極上の(作り)笑顔でシスターたちに挨拶をし、持参した焼き菓子を配って回った。
「これからもセラディスをよろしくお願いしますね」
「まあ、ありがとうございます」
「わたくしにお手伝いできることがあれば、何でもおっしゃってくださいませね」
「マナシア様ったらお優しい。さすがはセラディス様の見込んだお方」
「あら、そんなこと……」
「お二人は理想のご夫婦ですわ」
ふふ、完璧。
良妻アピール&夫婦円満アピール、大成功!
……と思った、次の瞬間、背後から聞き覚えのある声がした。
「良い香りね。私にもくださる?」
背中に、もにっと柔らかいものが当たる。
こ、こ、これは、おっ――
と同時に右頬にも、ぷにっと柔らかい感触。
目玉だけ動かして右を見ると、昨日会った美人シスターの顔が至近距離に(というか接触している)……!
「ティ、ティアリナ」
片手であたしの肩を抱き、もう片方の手であたしが持っているバスケットの中からフィナンシェを取っていく。そしてそのフィナンシェが、あたしのすぐ右横の柔らかそうな唇に挟まれて、齧られ、咀嚼の音と、最後にごくんと飲み込む音が、触れ合った頬の内側の骨を伝って鮮明に聞こえる。
な、な、なんかエッチな感じ……!
「美味しい。でもマナシア、あなたの手作りではないわね」
「ど、どうしてわかるの?」
「わかるに決まってるでしょう。私があなたの手料理をどれだけ食べたと思っているの」
し、知らないって。あたしがマナシアやってるのは昨日からなんだから。
というかマナシアとティアリナってどういう関係!? ティアリナはセラディスの同僚ってだけじゃないの?
ティアリナの急接近に目を白黒させているあたしに、セラディスは微笑みながら言う。
「それでは、私は朝のお祈りがありますので」
「え、セラディス行っちゃうの!?」
「ティアリナ、マナシアをお願いしますね」
「もちろんですわ。奥様のお世話は私にすべてお任せくださいませね」
あたしの肩を抱くティアリナの力が強まる。
え、あたしティアリナにお世話されちゃうの?
この背徳的ボディのシスターに?
「さあ、マナシア。こちらへいらっしゃい」
あたしは肩を抱かれたまま半ば強制的に、神父やシスターたちの通用廊下を歩いていった。