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悠希の生活の中に然が突然入り込んできて一ヶ月が経過していた。
昔から友人だったかのように馴染んでしまったのは、然のスキンシップが過多だからだろう。
腰を抱き寄せられるのは始めこそ抵抗感があったものの、一週間も経つと諦めの念が出た。
今じゃされるがままだ。
力の差は歴然としているし、然は口で言っても辞めないので放置していると言った方が正しいかもしれない。
「悠希、こっち」
今日も席に腰掛けていると抱き上げられてまで膝の上に座らされた。今そのままの体勢でスマホを弄っている所だ。
「悠希、誰にメッセージ?」
「んー、母さん。今日会社の飲み会で遅くなるからご飯適当に食べてってさ」
「ならうちに来る? そのまま泊まればいいよ。明日一緒に学校行こ?」
「それ良いな。お前んち広いしベッド大きいから好き」
予定は決まった。即行で母親にメッセージすると「OK」と返事がくる。
母子家庭同士、互いの母親も意気投合したのもあって、今では親公認の友人関係になっていた。
平日でも構わずに寝泊まりするくらいだ。
「悠希来るの楽しみ。早く放課後にならないかな」
首筋に顔を埋められる。然の柔らかい癖っ毛が皮膚を掠める度にくすぐったくて笑いを溢すと、然に再度髪の毛攻撃された。
「ふはは。ちょっ、然、やめろ! くすぐったい!」
「悠希は首筋弱いよね」
ペロリと舐められる。
「おい、だからそれやめろって! くすぐったい!」
しばらくの間そんなやり取りをしていたら、周りから注目を浴びているのに気がつき無理やり然の頭を退ける。
「なあ、お前らって付き合ってんの?」
そう聞いてきたのはクラス内のムードメーカーでもある陽キャの男だった。
「何でだよ」
「空気感ヤバくね?」
何がヤバいんだろう。意味が分からない。
「普通に友達だけど?」
「え? ええーーー……」
困惑気味に視線を逸らされた。
「友達の家に泊まったりするだろ?」
「まあ、するけどさ。お前らが言うと妙に艶っぽいっつうか。怪しく聞こえるっていうか」
「はあ? 何言ってんだよ」
ますます訳がわからない。何故かドン引かれてしまったので正面から見つめる。
「普通の友達はそんな距離感ゼロの付き合いはしないし、膝の上にも乗らない、首筋にキスもしないもんだよ。お前らの距離は友達超えてると思うんだけど……」
大きく瞬きした。まさかそんな事を言われるとは思ってもみなかったからだ。
「人それぞれだろ。然は見た目怖いけど案外甘えたなんだ。大型犬みたいで可愛いだろ?」
「それ黒川にだけ。周りの奴らには番犬兼ね狂犬。全然可愛くない。黒川に近付くと睨んで……「悠希に変な事を吹き込まないでくれる?」……」
言葉尻を奪い、然が言った。
然の事を「番犬」と称した件には納得がいく。絡んできていた上級生が寄り付かなくなったからだ。
番犬で間違いない。うん、ありがたい。然が盾になってくれているのだと思う。
「黒川は? 蓮水をどう思ってるんだ?」
言われてみて初めて然との関係や距離感を考えた。
距離感ゼロと言われても、もうこれが普通になってしまっているし大切な友人でもある。今更離れるのは他人行儀な気がして嫌だ。
然が触れてこないのは違和感がある。
「然とは初めっからこんな感じだから今更変えるのもなー……。然と居るの楽しいし。オレは今のままが心地良い。然の隣はオレ。オレの隣は然が良い」
振り返るなり然に視線を向けて頭を撫でてやった。どことなく嬉しそうに見えて、様子をうかがうように顔を覗き込む。
「なんか良い事あったのか?」
「悠希が撫でてくれるのが嬉しい」
甘えるように掌に頬を押し当てられる。場所が場所だけに掌に唇が当たった。柔らかくキスされている気がしてドキリとしてしまう。そんな訳ないのに。
どうしてこんな気持ちになるのか分からなくて、モヤモヤを誤魔化すように胸元を掴んだ。
その様子をジッと見つめて観察されていたらしい。
「あー、なるほどね。そういう事か。やっと分かったよ。邪魔してごめんな。噛まれん内に俺はどっか行くわ」
——何が?
一人納得したクラスメイトが颯爽とその場を去っていくのをポカンと眺める。
こちらの疑問は置いてけぼりにされ、妙なモヤモヤと意味不明な胸の昂まりだけが己の中に残った。