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『私を描いて』美しき彼女の命令。裸体に囚われ、心も体も堕ちていく。『緋色のキャンバス』
『私を描いて』美しき彼女の命令。裸体に囚われ、心も体も堕ちていく。『緋色のキャンバス』
ろーにす
現実世界現代ドラマ
2025年03月29日
公開日
2.1万字
完結済
才能枯れ果てた画家の前に現れた謎の美女。ヤバい契約の先には…。 描くほどに歪む心、逃れられない甘美な檻! あなたはこの刺激に耐えられるか?

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毎日1話更新で、5話で完結予定です。
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「ええ。あなたに、私の絵を描いてほしいのです」

どん底生活を送る元天才画家・圭吾の前に現れたのは、全てが完璧な謎の美女・菫。破格の待遇と引き換えに結ばれた契約は、彼女の裸体を、彼女の命令通りに描き続けることだった! 豪華なアトリエという名の檻に囚われ、毎日晒される完璧な肢体。屈辱のはずが、なぜか心は昂ぶり、筆は進む。目の前で見知らぬ男と肌を重ねる姿すら描かされ、精神は限界寸前…! 菫の抱える深い闇、その目的とは――

もう彼女なしでは生きられない!? 美しすぎる支配者に身も心も絡め取られる画家を描いた、倒錯的な短編ラブストーリー(?)

第1話 契約

 ほこりっぽいアトリエの隅で、高村圭吾たかむらけいごはキャンバスを睨んでいた。いや、睨むというよりは、ただ茫然と眺めている、と言う方が正確かもしれない。白い、あまりにも白いその矩形くけいは、彼の枯渇しきった才能を嘲笑あざわらうかのように、ただそこにある。もう何日、こうして筆を持てずにいるだろうか。


 かつては、描きたいものが溢れていた。指先からほとばしる情熱を、ただ無心に画布がふへと叩きつけていればよかった。若さゆえの勢いもあったのだろう。二十歳そこそこで応募したコンクールで幸運にも大賞を受賞し、一時はともてはやされた。個展も開かれ、批評家たちは彼の名を讃え、未来は輝いているように見えた。


 だが、その輝きは長くは続かなかった。


 二度目の個展は酷評された。「自己模倣」「才能の枯渇」「若き日の幻影」。そんな言葉が、彼のプライドを容赦なく切り刻んだ。評価を恐れるあまり、筆は鈍り、色を失った。かつて画面を支配していた大胆で挑戦的な筆致は影を潜め、代わりに現れたのは、誰の心にも響かない、ただ無難で退屈な絵ばかり。当然、絵は売れなくなった。


 生活のために始めたコンビニの深夜バイトは、彼の創作時間を無慈悲に削り取っていく。蛍光灯の白い光の下で無機質な商品バーコードを読み取るたび、自分の価値までスキャンされているような気がした。家賃はもう三か月も滞納している。画材を買う金どころか、明日の食費すら覚束おぼつかない。


 才能も、金も、希望も、何もかもが底をつきかけていた。アトリエの床には、描きかけで放置されたキャンバスや、空になった絵の具のチューブが無造作に転がっている。かつて夢を語り合った友人たちの活躍をSNSで目にするたびに、劣等感と焦燥感が胸を焼いた。もう、何も描けないのかもしれない。そんな絶望が、じわりじわりと圭吾の心を蝕んでいた。


 壁に立てかけられた姿見に映る自分は、ひどくみすぼらしかった。痩せて血色の悪い顔、伸び放題の無精髭、焦点の定まらない虚ろな瞳。これが、かつて将来を嘱望しょくぼうされた画家の成れの果てか。自嘲的な笑みが、乾いた唇から漏れた。


 その時だった。


 古びたアパートのドアをノックする音が響いた。低い、落ち着いた、それでいて確かな響きを持つノック音。こんな時間に、誰だろうか。家賃の催促にしては、少し丁寧すぎる。いぶかしみながらドアを開けると、そこに立っていたのは、見たこともない女性だった。


 絹のような艶を持つ黒髪は、夜の闇を溶かし込んだように深い色をしていた。仕立ての良い黒いコートに身を包み、その立ち姿はまるで、闇の中に咲いた一輪の黒百合くろゆりのようだ。化粧気はほとんどないのに、その整った顔立ちは人形のように美しく、特に印象的なのは、全てを見透かすような、深く澄んだ菫色すみれいろの瞳だった。


 その瞳が、じっと圭吾を見つめている。値踏みするような、それでいてどこか慈しむような、相反する光を宿した不思議な眼差し。圭吾は、その視線に射竦いすくめられたように、身動きが取れなくなった。


「高村圭吾さん、ですね?」


 凛とした、鈴を転がすような声。しかし、その声色にはどこか人間離れした冷たさが含まれている。


「……は、はい。そうですけど……どちら様、でしょうか?」


 ようやく絞り出した声は、自分でも驚くほど掠れていた。


霧島菫きりしますみれと申します」


 女はそう名乗ると、小さく会釈した。その所作は洗練されており、育ちの良さをうかがわせる。


「突然の訪問、失礼いたします。少し、あなたにお話がありまして」


「俺に……話?」


 怪訝けげんな表情を隠せない圭吾に、菫と名乗った女は、わずかに口元を綻ばせた。それは微笑みと呼ぶにはあまりにも微かで、感情の読めない表情だった。


「ええ。あなたの絵について、です」


 その言葉に、圭吾の心臓がどくんと跳ねた。絵について? 今の俺の絵に、一体どんな話があるというのか。まさか、また辛辣しんらつな批評を聞かされるのか? あるいは、どこかで展示されていた古い絵に関して、何か問題でも起きたのだろうか。


「どうぞ、中へ。……散らかっていますが」


 圭吾は反射的に女を招き入れた。警戒心よりも、彼女が何者なのか、そして何をしに来たのかという好奇心が勝っていた。


 菫はためらうことなくアトリエに足を踏み入れた。埃っぽい空気に眉一つ動かさず、床に散らばる画材やキャンバスをこともなげに避けながら、部屋の中央まで進む。そして、壁に立てかけられた古い作品――圭吾がコンクールで大賞を取った、荒削りだが強烈なエネルギーを放つ自画像――の前で足を止めた。


「……素晴らしい絵ですね」


 菫は、その絵から目を離さずに呟いた。その声には、初めて確かな感情――感嘆のような響きが籠もっていた。


「あなたの初期の作品。コンクールで拝見して以来、ずっと忘れられませんでした。この、燃えるような情熱、見る者の魂を掴んで離さない力強さ……今のあなたには、失われてしまったもののようですが」


 最後の一言は、鋭い刃のように圭吾の胸を刺した。核心を突かれた痛みと、過去の栄光を肯定されたわずかな喜びが、ないまぜになって押し寄せる。


「……今の俺には、もう、あんな絵は描けませんよ」


 自嘲を込めて言うと、菫はゆっくりと圭吾の方へ向き直った。その菫色の瞳が、再び彼を捉える。


「いいえ、描けますわ。あなたの中には、まだ炎がくすぶっている。ただ、それを解き放つすべを忘れてしまっただけ」


 断定的な口調。まるで、彼の心の奥底まで見通しているかのようだ。圭吾は言葉を失った。この女は、一体何者なんだ?


「高村さん。私は、あなたの才能を高く評価しています。そして、その才能がこのまま埋もれてしまうことを、ひどく残念に思っているのです」


 菫は、コートのポケットから一枚の封筒を取り出した。上質な紙で作られた、厚みのある封筒。


「単刀直入に申し上げます。私と、契約を結んでいただけませんか?」


「……契約?」


「ええ。あなたに、私の絵を描いてほしいのです」


 菫は、その封筒を圭吾に差し出した。


「これは、手付金です。これで身辺整理には困らないでしょう。そして、これが私の提示する条件です」


 もう一枚、便箋びんせんのようなものが差し出される。圭吾は恐る恐るそれを受け取った。美しい、流れるような筆跡で書かれた条件は、彼の理解をはるかに超えていた。


 ――私の邸宅に住み込み、制作に専念すること。

 ――生活に必要なものは、全てこちらで用意する。衣食住、画材、その他一切。

 ――その代わり、あなたは定期的に『私』を描くこと。

 ――描く場所、時間、そして姿は、私が指定する。

 ――制作された絵画の所有権は、全て私、霧島菫に帰属する。

 ――契約期間中、私以外のものを作品として描くこと、および外部での創作活動は一切禁止とする。


 信じられないような内容だった。まるで悪魔との契約だ。全てを保障する代わりに、魂を売り渡せと言っているようなものだ。


「……これは、どういう……?」


「言葉通りの意味ですわ。あなたは、私の求めるままに、私を描き続ける。ただそれだけでいいのです。生活の心配も、批評家の評価も、何も気にする必要はありません。ただ、筆を握り、私という存在をキャンバスに写し取っていただければ」


 菫の声は、甘美な毒のように圭吾の耳に染み込んだ。


 屈辱だった。画家としてのプライドが、そんな条件を飲めるはずがないと叫んでいる。自分の芸術を、金で、しかもこんな歪んだ形で縛られるなど、あってはならないことだ。


 しかし、一方で、抗いがたい魅力も感じていた。この泥沼のような生活から抜け出せる。再び、絵を描くことに専念できる。目の前のこの美しい、しかし底知れない女を描く……その行為自体に、何か倒錯的とうさくてきな興奮すら覚えていた。


 何より、彼にはもう、選択肢がなかった。この申し出を断れば、待っているのは路上生活か、あるいは絵筆を完全に折る未来だけだ。才能の枯渇を自覚している今、自力で再起できる可能性は限りなく低い。


 圭吾は、震える手で便箋を握りしめた。菫色の瞳が、彼の答えを待っている。その瞳の奥には、拒絶など許さないという、絶対的な意志が宿っているように見えた。


「……分かり、ました」


 絞り出した声は、自分でも驚くほど弱々しかった。プライドも、矜持きょうじも、この絶望的な状況の前では、あまりにも無力だった。


「その契約、お受けします」


 その言葉を聞くと、菫は満足そうに、再びあの微かな笑みを浮かべた。それはまるで、罠にかかった獲物を見る狩人のような笑みにも見えた。


「賢明なご判断ですわ、高村さん。では、早速準備を。車が下に待っています」


 有無を言わせぬ口調で、菫はきびすを返した。圭吾は、まるで操り人形のように、その後に続くしかなかった。


 アトリエのドアが閉まる直前、圭吾は振り返り、部屋の隅に置かれた、埃をかぶった自分の受賞作を見た。かつての情熱と、現在の絶望。そして、これから始まるであろう、未知の未来。


 車の後部座席で、菫は窓の外を眺めていた。その横顔は静謐せいひつで、何を考えているのか全く読み取れない。圭吾は、隣に座る彼女の存在感に息苦しさを感じながら、これから自分が向かう先――おり――に、言いようのない不安と、そして、ほんの少しの歪んだ期待を抱いていた。


 車は夜の街を滑るように走り抜け、やがて郊外の、木々が生い茂る一角へと入っていく。その奥に、巨大な鉄の門が見えた。門の先には、闇の中に沈む西洋風の大きな邸宅が、まるで眠れる城のように静かに佇んでいた。ここが、霧島菫の住処すみか。そして、これから自分が囚われることになる、美しくも冷たい鳥籠とりかご


 運命の歯車は、もう後戻りできないところまで回り始めていた。



―――




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