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8-7

エリアスがハルトの隣に戻ると、すでにレオナードは少し離れた場所で貴族たちと話をしていた。

そのさらに奥には、王族として夜会を主催するエドワルドの姿がある。

セオドールも並び、彼らと対話をしているようだった。

ハルトもそれに気づいているのか、少し寂しげな表情を見せる。


(……俺は……こんなふうに気を遣わせるのも違うよな)


そんなことを考えていたその時――


「おや、こちらが御子殿か」


割って入ったのは先ほども聞いた優雅な声。

振り返ると、先ほどまで向こうで話していたロベルトが微笑んで立っていた。


「ロベルト先輩……」


エリアスが思わず口にすると、ロベルトは柔らかく笑んだ。


「エリアス、私にも紹介してほしいな」


ロベルトが少し首を傾げる。

貴族社会において、目上の者に名乗るのは下位の者からが礼儀だ。

つまり、ここで先に名乗るべきなのはハルトだった。


「こちら、ハルト様です。先般、王宮にいらっしゃいました」


エリアスが静かに紹介すると、ハルトは少し戸惑いながらも、丁寧に頭を下げる。


「ハルト様、こちらはロベルト・ヴァレント様です。先々王陛下の皇女殿下のご子息であり、陛下や殿下ともご親族にあたります。アカデミー時代には、私も大変お世話になりました」


エリアスがそう紹介すると、ロベルトは穏やかに微笑んだ。


「初めまして、ハルト殿。お噂はかねがね伺っていますよ」

「ハルトです。よろしくお願いします」


ハルトは礼儀正しく一礼したが、その声音にはどこか硬さがあった。

エリアスの知り合いとはいえ、ロベルトは王族だ。

ハルトも、その威圧感を無意識に感じているのだろう。

警戒というより、まだどう接していいのか分からない、といった様子だった。

しかし――ロベルトはそんなハルトの様子を気にも留めず、軽く手を差し伸べてにこやかに微笑んだ。


「君も大変だろう? 慣れない生活になって……」


「……」


ハルトは一瞬、エリアスの方を見た。

エリアスが小さく頷くと、ハルトも僅かに肩の力を抜く。


「私は王都暮らしなので、困ったときは頼ってくれていいよ。エリアスやカーティスとも知り合いだしね」


ロベルトの軽やかな言葉に、ハルトの表情が少し和らぐ。

ロベルトの物腰は優雅で、気さくでもある。

貴族としての洗練された社交術に、ハルトも安心し始めたようだった。


(……いや、でも)


エリアスはふと、違和感を覚えた。


(ロベルト先輩が、こんなにフレンドリーだっただろうか……?)


もちろん、彼はもともと穏やかな人物だったが、どこか一線を引いたところがあったはずだ。

だが、今の彼は やけにハルトに距離を詰めている 。

まるで、最初から 「親しくなるつもり」 だったような――


「そうだ、夜会だから、せっかくだし乾杯しようじゃないか」


ロベルトが、軽やかに声を弾ませる。


「お二人とも、一杯どうだい?」


そう言いながら、ロベルトはハルトと自分の分のグラスを、給仕から直接受け取った。


「っ……」


エリアスの背筋が ぞわり と冷える。


(まさか…… でも、ここで? 目の前で?)


エリアスの手元にも、同じように給仕がグラスを差し出してきた。

その瞬間、 エリアスの脳裏に、カーティスと話した小説の記憶がフラッシュバックする 。


(この流れ……! 小説通り……!)


まずい。

ロベルトが 毒入りのグラスを受け取ったのなら、彼は犯人じゃない?

でも、そうなると 誰が毒を? どこで? どうやって?

エリアスの心臓が激しく鳴る。


(ここで二人に飲ませるわけにはいかない……!)


「……では、乾杯しましょうか」


ロベルトがグラスを持ち上げ、ハルトに微笑む。

それに合わせるように、ハルトもグラスを持ち上げる。


その瞬間――エリアスはハルトのグラスを奪った。


「……っ!?」


ハルトが目を丸くし、カーティスが息を飲む。


同時に――エリアスは 迷うことなく、グラスを自分の口へと運んだ。


(……来るぞ)


喉を通る瞬間、わずかに 薬品の苦味 が広がる。

しかし、それだけではない。


――熱い。

いや、違う。体の中が焼けるように痛い。


喉を通過した途端、胃の奥から じわりとした熱 が広がり、

すぐに その熱が冷たい痺れに変わっていく。


指先がジンと痺れ、視界がぐらりと揺れた。


(やばい…… 思ったより強い……!)


「エリアス!?!?!?」


向こうでカーティスの声が響く。

ハルトが 顔を青ざめて手を伸ばすが、エリアスはそれを制した 。


「ロベルト先輩――」


声が少し掠れる。

しかし、意識を保てるうちに言わねばならない。


「……そのグラス、飲まないでください」


ロベルトの手が止まる。


「……エリアス?!誰か、その給仕を捕まえてくれ!」


ロベルトの表情がわずかに動揺する。

しかし、 その動揺の仕方が「予定外の事態」に対するものだった 。


(違う……? 彼が黒幕なら、この反応はしない……)


考えるよりも早く、エリアスの視界が再び揺らぐ。


(耐えろ…… 耐えろ……!)


だが、体が思うように動かない。

足が震え、力が入らない。

膝が折れそうになったその瞬間――


「エリアス!!」


低く、鋭い声が空間を裂いた。

聞き間違えるはずのない、レオナードの声 だった。


彼の足音が駆け寄ってくる。

エリアスの肩が強く支えられた―― だが、もう、何も見えない。


「レオ……様…… ハルト様、あとは……」


――その声を最後に、エリアスの意識はふっと闇に落ちた。


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