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静寂の中で、どこか遠くからかすかな鳥のさえずりが聞こえる。

ゆっくりと意識が浮上し、まぶたが重たく開く。

視界に入ったのは、白い天井。

そして、すぐ傍に座るカーティスの姿だった。


「……ん……」


小さく声を漏らすと、カーティスが勢いよく顔を上げる。


「エリアス! お前、やっと……!」


安堵したように、大きく息を吐くカーティス。

その様子を見て、エリアスはぼんやりと瞬きをした。


「……カーティス?……ここは?」

「医療院だよ。お前……ずっと寝てたんだぞ?」


カーティスは息を吐きつつ椅子から身を乗り出すようにしてエリアスの顔を覗き込んだ。

エアリスは医療院と言う言葉に少し眉を寄せた。

医療院は王宮内に設けられた、騎士や王族、貴族のための専門医療施設だ。

高度な治癒魔法を扱う宮廷魔導士や医療従事者が常駐しており、重傷者はここで治療を受ける。一般の治癒院とは異なり、完全に王族・貴族専用のため、限られた人間しか出入りできない。

自分は決して重傷と言うほどではなかったし、貴族と言っても下位だ。


「……なんでこんなとこに」


どうしてもそんな言葉が漏れた。

カーティスが眉を寄せてエリアスのおでこを極々軽く叩く。


「お前が怪我をしたからだよ!レオナード殿下が運び入れたんだ」

「……そんな大層な傷じゃなかったろ……」

「お前なぁ……でも、ありがとう。大活躍だったんだな」

「当然のことをしただけだよ。傷は……」

「治癒魔法で完全に治った。多少の違和感は残るかもしれないけど、動く分には問題ないはずだ」


カーティスの言葉を聞きながら、エリアスはゆっくりと指を動かしてみる。

身体に違和感はない。

これが王宮医療院の治癒魔法の力か、と改めて思う。


「……まあ、なら余計に大事ないな」

「いや、大事だったから!」


カーティスが呆れたように肩をすくめる。


「それに、お前が寝てる間、殿下が──」

「レオナード様が?」


エリアスが聞き返した瞬間、部屋の扉が勢いよく開いた。


「エリアス!」


鋭い声とともに、レオナードが姿を現す。

その表情は、明らかに普段と違っていた。

レオナードは足早にエリアスのもとへ向かい、その手を取る。

まるで、そこに確かに存在しているかを確認するかのように。


「……お前、ようやく目を覚ましたか」


普段の冷静な口調とは違う。

明らかに、感情がにじんでいた。


「レオ様……そんなに、慌てなくても……」


エリアスは苦笑しながら、手を引こうとするが──レオナードは強く握ったまま、離そうとしない。


「……お前、どれだけ寝ていたと思っている」

「だから、もう大丈夫ですよ。むしろ、文官の私をあんな場所に連れ出したのは殿下でしょうに。ぐっすりと寝て回復しましたけど」

「……」


レオナードは言葉を詰まらせる。

その視線は鋭く、それでいてどこか不安を孕んでいた。


「お前はいつも、無茶をする」


静かに、しかしどこか苛立ちを含んだ声で呟く。


「……そうでもないですけどね」


軽く流そうとしたエリアスだったが、その瞬間──レオナードの手が、ゆっくりと頬に触れた。


「っ……?」


指先が、やけに優しく滑るように頬をなぞる。

まるで、確かめるように。


「……勝手に傷ついてくれるな」


ぽつりと落とされた言葉は、普段の穏やかさとは違う、どこか焦燥を帯びたものだった。

エリアスは一瞬、何かを言いかけたが──無意識に目を閉じてしまった。


(……あれ?なんだ、これ)


いつものように、冷静に切り返せばいい。

だが、言葉が思うように出ない。

そうしている間にレオナードの指が頬をなぞり、そのまま顎を軽く引く。

目を開けば、すぐ目の前に金色の瞳があった。


「……お前は、いつも私を困らせるな」


静かに、囁くように言う。

エリアスは唇を引き結んだ。


(俺が困らされる方が多い気がするけど……)


レオナードは、しばらくじっとエリアスを見つめていたが──ふと、カーティスの存在に気づいた。


「……」


沈黙。

カーティスは呆れたように、ため息をついた。


「……そろそろ二人の世界から出てもらっても?」

「……!」


エリアスが慌てて体を引こうとしたが、レオナードの手がそれを許さない。

エリアスの顔は赤くなっていた。


「ちょ、殿下……!」

「エリアス、お前はしばらく休め」

「いや、仕事が──」

「もういい」


レオナードは、有無を言わさない声音で言った。

いつもの命令口調とは違う。妙に、優しい。


(……本当に、何なんですか、これは)


エリアスは思わず眉をひそめた。


「カーティス、お前はもう下がれ」


レオナードが短く命じると、カーティスはニヤリと笑った。


「はいはい。じゃ、僕は退散しますね」


立ち上がり、扉へ向かう。

エリアスは助けを求めるようにカーティスを見たが──カーティスは肩をすくめて、こちらを見ずに扉の向こうへと消えた。


「カーティス……!」

「殿下、ここ医療院ですからね。ほどほどにですよ」


小さく笑いながら、カーティスの声が遠ざかる。

扉が閉まる音が響き、部屋には二人だけが残された。

そしてまた訪れたのは静寂。

エリアスは深く息を吐く。


(……さて、どうしたものか……)


しかし、目の前の男は、エリアスを離す気がやはりないらしい。


「……お前は、本当に……」


レオナードが小さく呟く。

エリアスが戸惑いながらも視線を逸らそうとしたその瞬間、レオナードの手が再び伸びた。

手首を掴まれ、強引に引き寄せられる。


「っ……!」


間近に感じる体温。

レオナードの金色の瞳が、逃げ場を奪うようにまっすぐに自分を見つめていた。


「……お前は閉じ込めてしまえばいいのか?」


低く、抑えられた声。

それは誓いのようでもあり、呪いのようでもある。


「……何を……」


問いかける前に、顎を指で掬われる。

そっと傾げられる顔。すぐそこにある唇。

拒めば、無理には何も起こらないだろう。

けれど、身体は動かない。否、動こうとしていない。


「っ……」


胸の奥がざわつく。

心臓の鼓動が、いつもより強く耳に響く。


(……なぜ)


「……エリアス」


囁くような声とともに、唇が重なる。

その後の展開は、言うまでもない。


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