王宮の中庭は、朝日を受けて金色に輝いていた。
そこに集まる騎士団の鎧もまた、光を反射し、戦の気配をまとっている。
そして、その一角にエリアスは居た。
「……なぜ私はここにいるんでしょうか」
そして、心底呆れたように呟いた。
彼がいるべき場所は、本来なら王宮の執務室。
だが今、彼は討伐隊の先頭──レオナードの隣に馬を並べる形で、討伐隊に加えられていた。
(これは……絶対におかしい)
「エリアス様、こんなところに呼ばれてお気の毒ですな」
ふと隣から声がかかった。
振り向けば、騎士団の副隊長が苦笑している。
「……お気の毒、とは?」
「いや、そりゃあ……殿下に無理やり連れてこられたんでしょう? そもそも、エリアス様が戦場に出るわけがない」
騎士団の何人かも頷きながら、
「まあ、レオナード殿下の特別扱いは今に始まったことじゃないしな」
「むしろ、こんな危険な場にまで連れてくるとは、さすがというか……」
「私らとしては目の保養ですが……」
と、特に驚いた様子もなく話している。
(……なんともかんとも……文句を言われるよりはいいが……)
エリアスは内心、複雑な気分だった。
確かに、今の自分の立場を考えれば、ここにいることを「レオナードの特別扱い」と取られるのも無理はない。
唯一の救いと言えば、皆がエリアスのわがままと思っていないところくらいなものだ。
(いや、そうじゃない……問題は、なぜ彼がそこまでして私を連れてきたのか、だ)
エリアスはそっとレオナードの横顔を盗み見た。
彼はいつも通り冷静で、淡々と馬を進めている。
(……何を考えているんですか、レオナード様)
そのとき──
「エリアス様ーっ!」
遠くから明るい声が響いた。
振り向けば、ハルトが手を振っている。
「……」
(ハルト……あまり親しげな態度を見せないほうがいいのだろうな……)
そう思いながらも、ハルトの無邪気さに自然と手が上がってしまった。
「……お前は、何をしている」
冷ややかな声がすぐ隣から落ちてきた。
「……え?」
「戦場に行くというのに、余計な気を散らすな」
レオナードは視線を前に向けたまま、低く呟く。
(……俺は挨拶をしただけですけどね⁈)
エリアスは思わず口を開きかけたが、何も言わず口を閉じた。
レオナードの態度は、何かが引っかかるほどに微妙だった。
(……これもまた、俺がハルトに近づきすぎたせいか?)
その疑念が、胸の奥で燻り始める。
しかしエリアスがそれを口に出すことはなく、ただただ胸にもやもやを募らせながら馬を進める。
行軍の間も、レオナードは静かだった。たまにエリアスの方に視線をやるが、話す気配はない。
それは森に入っても変わらず、それに呼応するかのように森の中も静かだった。
騎士たちが馬を進めるたび、枯葉が擦れる音だけが響く。
(……不気味なくらい静かだな)
エリアスは無意識に背筋を伸ばした。
「もうすぐだ」
レオナードが短く言う。
その言葉とほぼ同時に──
「出たぞ!!」
前衛の騎士が大きな声を上げた。
突如として、黒い影が森の奥から飛び出してくる。
「っ……来たぞ!!」
レオナードの号令が飛ぶ。
その瞬間、討伐隊は即座に布陣を組み、迎撃態勢を取った。
次々に騎士たちが魔物に向かい剣を振るい、砂煙が立ち上る。
しかし、魔物は、こちらの攻撃をものともせず、騎士たちをなぎ倒していく。
「こいつ……強すぎる!」
前衛の誰かが、そう声に出した。
(これは……!)
エリアスも馬を操りながら剣を抜く。
今回の目的は──そもそも自分はついてくる予定ではなかったが──護衛騎士とハルトを守ることだ。その為に魔晶石も持たせてある。
ハルトの方はどうだろうか、そう思いエリアスが振り向くと、ちょうど魔物の一体が馬から降りているハルトに向かって飛びかかろうとしていた。
「ハルト様!!」
(……危ない‼)
そう判断するや否や、エリアスは咄嗟に馬から飛び降り、地面を蹴った。
「っ……!」
ハルトを突き飛ばすようにして、魔物の攻撃を受け流す。
直後、鋭い爪がエリアスの肩を掠め、鮮血が飛び散った。
「エリアス様っ!?」
ハルトが叫ぶ。
(……まだ動ける!)
「魔晶石を投げてください!!」
エリアスは護衛騎士に向かって叫んだ。
「ハルト様、すぐに!」
「は、はいっ!!」
ハルトが魔晶石を握りしめ、祈るように力を込める。
すると、石が淡く光り始め、結界のように護衛たちを包み込んだ。
「……すごい」
護衛の一人が呟く。
「これなら、耐えられる!」
「っ……今のうちに仕留めるぞ!!」
レオナードも剣を振るった。
その鋭い一閃が、魔物の首を跳ね飛ばし、それが勢いよく飛んでいく。
情勢を立て直してからは早かった。
レオナードの指揮により、今度は次々と魔物が倒されていき──ようやく、魔物が全滅したのを確認し、エリアスは息を吐いた。
戦場に張り詰めていた緊張がようやく解け、辺りに安堵の息が広がる。
いつのまにか陽はすでに傾き、空には深い赤が滲んでいた。
エリアスは呼吸を整えながら、剣を地面に突き立てる。
自ら魔物を斬ったわけではないが、乱戦の中で必死に動いたせいか、腕と足がやけに重かった。
(……なんとか、護衛騎士もハルト様も無事だ。まあ結果的にはいいか)
胸をなで下ろし、近くにいるハルトへと視線を向ける。
彼は興奮した様子で護衛たちと話していた。
それに応じる騎士たちも、明るい表情を見せている。
「エリアス様!」
とびきりの笑顔で駆け寄ってきたのは、そのハルトだ。
その顔を見た瞬間、どっと疲れが押し寄せる。
「本当にありがとうございました!エリアス様が助けてくれたおかげで、俺も護衛の皆も無事でした!」
「……私は、当然のことをしたまでですよ」
苦笑しながら答えるエリアスだったが、正直なところ、もうあまり体力が残っていない。
普段から訓練を受けているわけでもない自分の体力なんか騎士に比べれば子供のようなものだろう。
それに──腕が、痛む。
(さっきの魔物の爪が、掠ったか……)
右肩を少し動かすと、鋭い痛みが走った。
鎧の隙間を縫って攻撃を受けたようで、じわじわと血が滲んできている。
(まあ、この程度なら問題ないな。あとで治療を受ければいいだろう)
そう思っていた、その時──
「エリアス!」
レオナードの声が響いた瞬間、すべての音が遠のいたように感じた。
視線を上げると、そこにいたのは焦燥を滲ませたレオナードの姿。
普段、どんな時も冷静でいる彼が、今は明らかに取り乱した様子でこちらへ駆け寄ってくる。
(そんなに、大きな声で……)
軽く息を吐き、エリアスは微笑もうとした。
しかし、その瞬間──
「お前、怪我してるじゃないか!」
レオナードの手が、怪我をしている反対側の肩を掴む。
思わず体が引き寄せられ、エリアスはふらついた。
「ちょ……、レオ様……この程度、大したことありませんよ」
軽く流そうとしたエリアスだったが、レオナードの表情はまったく緩まない。
むしろ、さらに険しくなる。
「ふざけるな」
その声の低さに、周囲の騎士たちが息を呑んだ。
まるで剣を向けられたかのような鋭い威圧。
「なぜすぐに報告しなかった」
「ええ……?それはその……討伐中でしたから」
「言い訳にならん」
冷徹な一言。
そのまま、レオナードは迷いなくエリアスを抱え上げた。
「なっ……!?」
突然のことに、エリアスは思わず目を見開く。
「レオナード殿下!?」
「黙っていろ」
「いや、あの、私は歩けま──」
「余計な体力を使うな」
淡々とした口調のくせに、腕の力は強く、絶対に降ろす気がないのが伝わる。
エリアスが身じろごうとすると、その腕はさらにきつく締められた。
(……え、なんですかこれは……?)
困惑するエリアスを乗せたまま、レオナードは馬へと歩く。
その途中、
「エリアス様!」
駆け寄ろうとしたハルトが、エリアスの無事を確認して安堵の表情を浮かべた。
「大丈夫ですか!?無理しないでください!」
その声に、エリアスは口を開こうとした。
だが、レオナードはそれを遮るように歩みを止め、冷ややかに言い放つ。
「お前は、お前の役目を果たせ」
「……え?」
ハルトの表情が一瞬、驚きに揺れる。
そのまま、レオナードはハルトに一瞥もくれず、馬へと歩を進めた。
(……ハルトに冷たくないか……?)
エリアスは、微かに眉を寄せる。
ハルトは王宮にきたばかりで、まだ心細い部分もあるはずなのに。
「……あの、せめて少し話を──」
「エリアス」
「……っ」
名を呼ばれるだけで、無意識に口を噤んでしまう。
レオナードの低く静かな声には、それだけの圧力があった。
そのまま、エリアスは馬に乗せられる。
しかし、レオナードは馬の後方に乗ると、エリアスの体を強引に抱き寄せた。
「ちょ、レオ様⁈」
「このまま動くな」
耳元で、囁くように告げられる。
エリアスは軽く息を詰まらせた。
(……これ、皆に見られてるじゃないか……)
片腕で腰を固定され、もう片方の手はしっかりと手綱を握るレオナード。
その胸に背中を預けるような形になり、エリアスの意識は落ち着かなくなる。
「……こんなに強く抱きしめる必要あります?」
「ある」
即答だった。
「お前はこうしていないと、また勝手な真似をするからな」
「勝手な……私は、ただ当然のことを──」
「私にとっては、当然ではない」
断言する声に、エリアスは言葉を失った。
(……何なんだ、この人は。連れてきたのはあなたじゃないか……)
すべてを支配しようとするかのような態度。
まるで、逃がさないとでも言いたげな強引さ。
(所有物……やっぱり、そう思っているのか……?)
エリアスは、目を伏せた。
だが──
(……温かい)
緊張が解けたせいか、じわじわと疲れが押し寄せる。
そして、無意識にレオナードの胸にもたれかかる形になってしまった。
(……いいのだろうか、これ……ああ、でも)
おかしい。この距離感はおかしい。
だが、動く気力が、もう残っていなかった。
「……っ、眠るな」
レオナードの声が微かに揺れる。
そのわずかな動揺に、エリアスは小さく笑いそうになった。
「……無理ですよ、これじゃ……眠いです……」
だって、こんなに、心地よくて。
(……なんで、私は安心してるんですかね)
自嘲気味に思いながら、エリアスは目を閉じた。
そのまま、意識が遠のいていく。
──そんなエリアスを抱きしめながら、レオナードは微かに息を詰まらせた。
「……もう、逃がさない」
誰にも聞こえないような、静かな囁きを零す。
だが、それがエリアスの無意識に縛る鎖になっていくことを、本人はまだ知らない。