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5-3

今日も今日とて机の上には、山のような書類が積まれている。

レオナードにしろエリアスにしろさぼっているわけではない。

けれど、毎日こうである。

仕事が嫌いなわけではないが、たまに書類がない日も見たいものだ、とため息をつきながら、目を通していく。

しかし、手を止めて考えるのは──最近のレオナードの態度だった。


(……やはり、ハルトとは距離を取るべきだ)


あの日以来、レオナードは明らかに機嫌が悪い。

直接的に何かを言われるわけではないが、視線が厳しくなり、些細なことで呼び出されることが増えた。

エリアスがハルトと会話していると、まるで監視するように側を通ることもある。


(無意識なのか、それとも……)


考えたところで答えは出ない。

レオナードが何を考えているかなど、結局のところ誰にもわからないのだ。

だからこそ、自分から動くしかない。


(せめて、もう誤解されないように……)


だが、そんなエリアスの考えとは裏腹に、ハルトは以前と変わらず無邪気だった。

先ほどだって回廊を歩いていると、


「エリアス様ー!」


ハルト明るい声とともに駆け寄ってきたのだ。

エリアスは咄嗟に距離を取ろうとしたが、ハルトはまるで気づかず、嬉しそうに笑う。


「ねえねえ、明日の討伐、見に来ませんか?」

「……私は明日の討伐には組み込まれていないのですよ」

「えぇー……、でもエリアス様がいてくれたら、俺、もっと頑張れるのになぁ」


(……そういうところだ)


ハルトに悪気がないのは分かっている。

だが、だからこそ、エリアスはこの距離感が危険に思えてならなかった。


「ハルト様、私は貴方の教育係ではありませんよ」

「え……?」


エリアスの言葉に、ハルトがきょとんと目を瞬かせる。

無邪気な笑顔が、わずかに曇るのが分かった。

エリアスは胸の奥で何かがちくりと刺さるのを感じながら、それでも態度を変えずに続けた。


「明日は、御子としての役割を果たす日です。私がいてもいなくても、貴方は貴方の責務を果たすだけでしょう?」

「……そう、ですね。すみません。なんか、俺舞い上がちゃって……」


ハルトは少し寂しげに笑って、また、と言いながら中庭のほうに向かっていった。

あの時の寂し気な顔がどうにも脳裏に焼き付いている。

いきなり王宮に連れて来られた境遇を考えれば、優しく接してやってもいいものだが……。


(……いや、あれでいい)


自分のためにも、レオナードのためにも距離を取るべきだ。

書類の山を再度見ながら、エリアスは深くため息を吐いた。



「……で、どういうことでしょうか?」


夕刻、エリアスは執務室で呆れたように腕を組んでいた。

対面には、当然のように椅子に座るレオナードがいる。


「今言ったとおりだ。お前も討伐に同行することになった」

「……はぁ?」


思わず聞き返した。


「ですから……討伐隊は騎士と軍部で構成されており、文官である私の役割はありませんが?」


当然だ。

そもそも、エリアスは戦場で役に立つ存在ではない。

剣だって魔法だってそれなりには使える。ただし、それなり、だ。

アカデミーでも主に学んだのは政治や経済で、武芸や魔法ではない。

あくまで彼は必要であれば作戦を立て、基本は情報を整理することが役割であり、前線に出る理由などどこにもないはずだ。


「護衛が不足している。お前がいれば、余計な問題を防げる」

「はぁ……?」


レオナードは淡々と言うが、エリアスは納得できるはずもなかった。


「いやいやいや……私がいたところで、護衛の補強にはならないでしょう。まさか殿下、私に剣を持てと?」

「別に、それでもいいが?」

「冗談でしょう……」


エリアスは深く息をついた。


(何を考えているんだ、この人は……)


「……殿下、何が目的です?」

「目的?」


レオナードは少し目を細める。


「……そうだな。お前が王宮に残れば、誰かが媚びを売りに来るかもしれないだろう?」

「はぁぁ……?」


エリアスは言葉を失った。


「殿下、どこか……頭でも打たれました?」

「さて、どうだろうな。お前は放っておくと私から直ぐに離れたがるからな」


レオナードは薄く笑ったが、目は笑っていない。

冗談のように聞こえながら、そこに込められた本音が見え隠れする。


「……私は殿下の側近です。どこにいようと、誰と話そうと、最優先は殿下のことだけのつもりですが?」

「ふむ。ならば、今回も同行して問題はないだろう?」

「……」


エリアスはぐっと口を噤んだ。

もはや、どう言い訳しようともレオナードは意地でもエリアスを連れて行くつもりなのだ。


(俺を、側に置いておきたいだけなのか……それとも……)


「……おおせのままに」


エリアスは皮肉めいた笑みを浮かべ、静かに頭を下げた。

その様子に、レオナードは満足げにわずかに口角を上げた。


「それでいい」


告げられた声に、溜息を吐いてエリアスは自分の席に戻ろうとした。

しかし、足を一歩踏み出した瞬間──手首を掴まれて机越しに、レオナードの元に引き寄せられる。


「……!」

「……逃げるなよ」


低く抑えた声が、耳元に落ちる。

レオナードはまっすぐにエリアスを見つめていた。

その金色の瞳は、淡々とした表情とは裏腹に、どこか熱を帯びているように見える。


「……逃げませんよ。タヌキか何かと勘違いされてます?」


エリアスは努めて冷静に返しながらも、レオナードの手の力強さにわずかに指先を動かす。

だが、掴まれた手首は容易に解放されることはなかった。


(……何なんだ、この人は)


「……真実か?」

「……当然でしょう。私は殿下の側近ですから」


言葉に偽りはない。

だが、レオナードの目はそれを疑うかのように細められる。

その静かな圧に、エリアスは喉の奥で小さく息を呑んだ。


「……ならば、いい」


ようやく、レオナードの手が離れる。

エリアスはそっと手首を撫でながら、何事もなかったかのように一礼し、自分の席に戻った。

だが、背中越しに感じる視線は、最後まで刺さるようだった。


(……この討伐、本当に大丈夫だろうか)


レオナードの視線を避けるように目を伏せて、エリアスはふっと小さく息をついた。

まるで、何かに絡め取られていくような──そんな感覚が、じわじわと広がっていくのを感じながら。

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