「……なるほど。なぜ、今までその手を思いつかなかったのか……」
セオドールはエリアスとハルトの説明を聞くなり、静かに目を見開いた。
「確かに、魔晶石に浄化の力を封じ込めれば、一時的に魔物の攻撃を防ぐ結界のような役割を果たせる。それがあれば、護衛が致命傷を受けるまでの時間を稼ぐことができるだろう」
そうして腕を組み、深く頷いた。
その横で、ハルトも目を輝かせながらエリアスを見上げる。
「すごいですね、エリアス様!やっぱりレオナード殿下が気に入るだけのことはあります!」
「……は?」
エリアスは思わず固まった。
セオドールも苦笑しながら続ける。
「いやいやこれは本当に……盲点だったよ。君はただの文官ではないな?」
「いや、それは……」
「殿下が君を側近にしている理由が、よくわかったよ」
セオドールまでそんなことを言い出し、エリアスは居心地が悪くなってきた。
褒められるのは誰しも嫌なことではないが……何せそう練り込んだ策でもなく思い付きだ。
「そんな、大したことでは……」
感心する二人に、エリアスは首を振る。
「いや、大したことだって!すごいですよ、エリアス様!」
ハルトが無邪気に絶賛し、セオドールが感心する。
エリアスは気まずくなりながらも、二人の視線を避けるように軽く咳払いをした。
(……あまりこういうのは慣れないな)
そんなやり取りの最中、
「エリアス」
低く、落ち着いた声が響く。
その場にいた三人が同時に振り向くと、そこにはレオナードが立っていた。
「レオナード殿下!」
ハルトが明るく声を上げるが、レオナードの視線は彼ではなく、エリアスに向けられている。
「こんなところにいたのか」
「レオ様……何か御用でしょうか?」
エリアスが静かに問いかけると、レオナードはあたりを見渡しながらゆっくりと歩み寄ってきた。
「探していた。……どうやら、面白い話をしていたようだな」
「ええ、エリアス様のすごさについて話していたんです!」
ハルトが無邪気に笑う。
「エリアス様が、護衛を守るために素晴らしい策を思いついたんですよ!」
「ほう?」
レオナードは興味深そうにエリアスを見る。
セオドールも笑みを浮かべながら付け加えた。
「魔晶石に御子の力を封じ込めるという発想だよ。私ですら考えつかなかった」
「魔晶石に……なるほど、なかなか良い策だな」
レオナードは静かに頷いた。
しかし、エリアスは彼の表情がどこか微妙に険しいことに気づく。
(……機嫌が悪い?)
「エリアスは有能だからな。……それくらい、当然だ」
エリアスの知略は主であるレオナードの功績をあげることにもなる。
単純に考えればエリアスが評価されることは喜ばしいはずだ。
だが、セオドールやハルトがエリアスを褒めちぎる様子に、レオナードは言葉こそ褒めていても、顔色はそうではない。尤もそれを察知できているのはエリアスだけだが。
「そうですよね!さすが殿下の側近です!」
ハルトが嬉しそうに同意するが、レオナードはそれに答えず、代わりにエリアスをじっと見つめた。
エリアスはその視線を受けながら、心の中で考える。
(……もしかして、俺がハルト様に近づきすぎたせいか?)
御子は王宮にとって重要な存在だ。
それなのに自分があまり関わりすぎるのは、レオナードから見れば不適切だと思われたのかもしれない。
(まずいな……距離を取った方がいいか?)
エリアスは無意識のうちに、少しだけ後ろへ下がった。
それを見たレオナードは、さらに機嫌が悪くなる。
(……レオ様?今日は一体どうして……)
エリアスの中には困惑しかなかった。
そんなエリアスの手首をレオナードは無意識のうちに軽く掴んだ。
「……?」
エリアスが訝しげにレオナードを見上げる。
「エリアス、戻るぞ」
「え、でも……」
「……仕事だ」
そのまま手を引かれ、エリアスは歩き出さざるを得なくなった。
「えっ、エリアス様?」
ハルトが驚いたように声を上げるが、レオナードは振り返らず、そのまま中庭を出て行く。
エリアスが去る前に二人へと頭を下げた。
「……なんか、殿下、機嫌悪くないですか?」
ハルトが首をかしげ、セオドールも静かに息をつく。
「……まあ、あれはあれで、彼なりの独占欲というやつだろうな」
「独占欲?」
「……本人が自覚しているかどうかは知らないがね」
そう呟きながら、セオドールはゆっくりと苦く微笑んだ。
※
レオナードに手を引かれ、半ば強引に連れ込まれたエリアスは、放された後も静かに腕をさすった。
「……何か、話が?」
レオナードは窓の外を眺め、何気ない調子で言った。
「……最近、お前は忙しそうだな」
「仕事はいつも通りですが」
エリアスは淡々と答える。
だが、レオナードの口調には妙な棘があった。
「そうか?」
レオナードはゆっくりと振り返り、じっとエリアスを見つめる。
金色の瞳は穏やかに見えるが、その奥には何か別の感情が潜んでいるような気がした。
「今日も、ハルトと話していただろう?」
エリアスは思わず目を瞬かせた。
「……ええ。彼が初めての戦闘に参加すると聞いて……」
ここでカーティスの未来の話を説明するわけにもいかず、エリアスはそんな風に少しとぼけて答えた。
「随分と親しげだった」
「……それが何か?」
レオナードは、ゆっくりとした足取りでエリアスに近づく。
「お前があまり深入りするのはどうかと思ってな」
「……深入り、ですか?」
「ハルトは御子として迎えられた身だ。王宮内でも注目されている。あまり特定の人物と親しくしすぎると、余計な憶測を生む」
「……私が、ハルト様と?」
まさか、と呟くように付け加えたエリアスは戸惑いを隠せなかった。
確かにハルトは自分に懐いているようにも見える。
ただ、それはここに来て日が浅いためのことだろう。
だが、レオナードの言葉は──まるで、自分がハルトに関心を持ちすぎていると咎められているように聞こえた。
「殿下、まさか私が──」
「……そういうことじゃない」
レオナードはふっと目を伏せ、短く言った。
「お前の優しさなのはわかっているつもりだ。……ただ、ほどほどにな」
エリアスは言葉に詰まる。
それ以上、レオナードは何も言わなかったが、どこか釈然としないものを感じる。
(私が、ハルト様に近づきすぎている……?)
「……わかりました」
結局、それ以上何も言えずに、エリアスは静かに頷いた。
レオナードはエリアスの顔をじっと見つめていたが、次の瞬間──
ぐい、と手首を掴まれた。
「っ……殿下?」
突然の力強い引き寄せに、エリアスはバランスを崩しそうになる。
「……お前は、相変わらず冷静だな」
レオナードの低い囁きが、耳元で落ちる。
気づけば、背中は壁際に追い込まれていた。
(……なんだ、この雰囲気は)
レオナードの指先が、エリアスの顎をすっとなぞる。
そのまま顔を傾け、すぐにでも唇を奪わんばかりの距離まで迫った。
「レオ様……?」
「……捕まえたと思えばするりと逃げていく」
囁く声は甘く低い。
しかし、エリアスの肌に触れる手はどこか焦れたように強張っている。
「お前は……どうして、そんなに無防備なんだ?」
「……え?」
「他を気にする暇があるなら、私だけを見ていろ」
そのまま、レオナードはエリアスの唇を強く塞いだ。
(……っ!)
それは、いつもより強引で、熱を帯びた口づけ。
咥内に入り込むレオナードの舌が、強引にエリアスのそれを絡めとる。
深くて、強くて、まるで逃がさないような執着が滲んでいた。
「ん……っ、レオ……様……」
抗おうとしても、逃げ場がない。
背中は冷たい壁に押し付けられ、レオナードの腕がしっかりと自分を囲い込んでいる。
(嫉妬……? いや、そんなはずは……)
だが、この支配するような熱を、他の何と説明できる?
「……お前は、私のものだ」
唇を離したレオナードが、まっすぐにエリアスを見つめる。
その目は、揺るぎなくまっすぐ。
「……今度こそ、逃がさない」
低く囁くように、しかし確かな宣言のように。
エリアスは思わず息を呑む。
その言葉が、甘美な鎖のように絡みついてくる。
(ここでしか求めないくせに……)
そう思うのに、エリアスの指先は、彼の服を掴んでいた。
(ならばせめて、この時間だけは……)
ほんの一瞬だけでも、錯覚してもいいだろうか。
そう願ってしまう自分に、エリアスは静かに目を伏せた。