エリアスが執務室で書類整理をしていた夕方、控えめなノック音が響いた。
「どうぞ」
扉が開き、顔を覗かせたのはカーティスだった。
「お忙しいところ、悪いね。少し話がしたくて。……レオナード殿下は……」
「訓練の指導中だ。どうした?」
エリアスは視線を書類から動かさないまま問いかける。
普段のカーティスなら、軽口を叩いて少し場を和ませてから話を切り出すものだが、今日の彼は違った。
どこか落ち着かない様子で、視線をちらつかせながら足早にエリアスのもとへ近づく。
「……急ぎの話なんだ」
カーティスの声には焦燥が滲んでいた。
エリアスはペンを置き、カーティスの顔を見上げる。
「どうした? そんな顔をして」
「今度の魔物討伐隊のことだ」
「討伐隊?ああ……あれはそんな大規模なものでもないから心配ないだろう?いわば御子殿の素質を試す試験のようなものだしな」
「……そうなんだが、その……今のままでは護衛騎士が……死ぬ」
その一言に、エリアスは眉をひそめた。
「……“未来”の話か?」
「信じられないのはわかる。でも、今回のことは絶対に放っておけない。人の命がかかわっている」
カーティスの目は真剣そのものだった。
しかし、話を簡単に鵜呑みにするわけにはいかなかった。
「……具体的に、何が起きる?」
「護衛の一人が、ハルトを庇って命を落とす。魔物が突如として強化され、護衛が間に合わず、致命傷を受けるんだ」
「……ハルトを庇って?」
エリアスは少し考え込む。
ハルトは浄化の力を持つ御子として期待されているが、戦闘能力そのものはまだ未熟だ。護衛が守るのは当然だが、命を賭けるのは本末転倒だ。
それにそういうことがあれば、恐らくハルトの中に影を落とす一因とはなる。その出来事は乗り越えられれば心が強くなるにしても少々手荒すぎる内容だった。
「……何とかして護衛を守らなければならないな」
「そうだ。人一人の命がかかわってくる」
エリアスは腕を組み、机の上を軽く指で叩きながら考える。
魔物討伐の現場で、護衛を守りつつ、ハルトの力を効率的に活用する方法──。
「……魔晶石」
不意に、エリアスが呟いた。
「魔晶石?」
「そうだ。魔晶石は強い魔法を込めて封じ込められる石だ。通常は神官たちが癒しや祓いの力を込めて使うが……」
「……なるほど。それを使えば護衛に守りの盾を与えることができる……か」
カーティスが頷く。エリアスは続けた。
「ただし、魔晶石の効果は長時間持たない。実際に使うタイミングを見極める必要がある」
「それに、問題はその魔晶石をどう用意するかだな」
「そこはハルトに頼むしかないだろう。彼自身が力を込める必要があるはずだ。神官よりも強い守りの力を持つのは彼の御子と言う素質だけだからな」
エリアスは立ち上がり、書類を整えながら続けた。
「まずハルトに話をしよう。彼が協力してくれるかどうかが鍵だ」
「頼むよ、エリアス。未来を変えられるのはお前とハルトしかいない」
エリアスは机から立ち上がり、窓の外に目を向けた。
夕暮れが王宮の中庭を赤く染めている。
(未来を変える、か……)
心の中ではまだ半信半疑だ。
だが、カーティスの言葉が本当だとするなら──行動を起こさないわけにはいかない。
(これが正しい選択なのかどうか……やってみなければわからない)
エリアスは執務室を後にした。
※
現在、御子であるハルトは暫定的に迎賓室を使用している。
まずはそこを訪れたエリアスではあったが、
「現在御子様はセオドール様と中庭にて訓練中と聞いております」
と御子付きのメイドが申し訳なさそうに答えた。
こういうとき、広い王宮はなかなかに不便だな、と思いつつもエリアスは踵を返して中庭へと向かった。
中庭では既に訓練を終えたようであるハルトと神官セオドールと談笑しているところのようだ。ハルトがエリアスの姿にすぐに気づき、笑顔で駆け寄る。
「エリアス様!こんにちは!」
「こんにちは、ハルト様。少しお話ししたいのですが、お時間はありますか?」
「もちろんです!」
エリアスはハルトを少し人目の少ない場所へ誘導し、静かに話し始めた。
「次の魔物討伐の件で、君の力を少し借りたいのです」
「俺の力ですか?」
ハルトは目を丸くしながらも、真剣な表情を浮かべる。
「今回、君ははじめてでしょう?気を抜いては……君自身も含めて、討伐隊や護衛の命が危うい。そこで、君の浄化の力を込めた魔晶石を護衛に持たせ、彼らを守る盾として活用できないかと考えています」
「俺の力を……魔晶石に込めるんですか?」
「可能かどうかは君にしか分からないのですが……。できるなら、協力してほしいな、と。君の力は護衛や討伐隊を守る盾になると信じています」
ハルトは少し考え込むが、やがて自信を持った表情で頷いた。
「やります!俺の力でみんなを守れるなら、全力で協力します!」
エリアスはその言葉に安心したように微笑む。
「ありがとう。セオドール様にも協力をお願いしましょう。彼なら君の力の扱い方に詳しいはずです」
その後、セオドールも交えて具体的な作戦を練り、魔晶石の準備が進められることとなった。