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4-2

その翌日──

王宮の訓練場に、エリアスの姿があった。

ハルトの稽古を「少しだけ見守る」という約束は、案の定、断り切れずに引き受けることになったのだ。


「エリアス様!見ててくださいね!」


訓練用の剣を手にしたハルトが、元気よく声を張る。

エリアスは木陰に立ち、穏やかにそれを見守っていた。

ハルトは御子として迎えられたばかりではあったが、本人の希望もあって既に御子としての教育がはじまっているらしい。護身のために剣の訓練もその一環とのことだった。

御子といっても楽なものではないな、とその姿を見ながらエリアスは思う。

稽古場では彼に付き添う神官や護衛が数人ほどいるが、肝心の指導役はまだ到着していないようだった。


(やる気はあるようだが……随分と動きが独特だな)


ハルトは軽やかに動くものの、見よう見まねのようで、剣術としては未熟だった。

それでも、彼の真っ直ぐで明るい姿勢にはどこか惹きつけられるものがある。


「えいっ、やあっ……あれ?」


ハルトが剣を振り上げたところで、バランスを崩して尻もちをついた。


「ははっ」


思わずエリアスが笑みを漏らすと、ハルトが恥ずかしそうに頭をかく。


「……見られちゃいました?」

「はじめは皆、そういうものですよ。私もそうでしたから」


エリアスは少しだけ歩み寄り、手を差し伸べる。

ハルトがその手を取って立ち上がると、彼は恥ずかしそうに笑った。


「やっぱりエリアス様は優しいですね」

「そんなことはないですけどね」

「それでも嬉しいです」


ハルトは悪びれずにそう言い、まっすぐな瞳でエリアスを見つめる。


(まったく……懐かれると妙にやりづらい。いっそのこと嫌われでもした方が動きやすかったのかもしれないな……)


エリアスは微かに苦笑した。


「ハルト様、次はもう少し体の重心を意識するといいですよ」

「え、エリアス様、剣術もできるんですか?」

「ある程度は。殿下に剣を教わったこともありますし。私は文官なので、軍事的なところは側近と言っても付き従うことは少ないのですが……そういうことばかりでもないので、必要ではあるんです」

「ええー!すごいですね!今度、俺にも教えてください!」

「私が教えるまでもありませんよ」


エリアスが軽く流そうとしたその時だった。


「おや?」


どこからか、低く落ち着いた声が聞こえてきた。


(この声は──)


振り返ると、そこにはレオナードががいた。

エリアスは一瞬、動きを止める。


「レオナード殿下!」


ハルトがぱっと笑顔を浮かべて駆け寄る。


「ようやく稽古にいらしたんですね!」

「いや、たまたま通りかかっただけだ」


レオは柔らかく微笑むが、その視線はエリアスに注がれていた。


「レオ様、お戻りが早かったのですね」

「そうだな」


エリアスの言葉に対し、レオは短く返す。

ハルトが気にせず、あれこれと話を続ける中、レオはずっとエリアスを見ていた。


(なんだ……?)


その視線に気づきつつも、エリアスは平静を保とうとしたが、内心では落ち着かないものを感じていた。



その夜──

執務室の灯がともる中、レオナードとエリアスは向かい合っていた。

昼間の訓練場の一件以来、レオナードは無言のままだった。

無論執務に必要なことは話すが、それ以外は口を閉ざしている。

エリアスは沈黙に耐えきれず、ぽつりと口を開いた。


「レオ様……どうかされましたか?」


レオナードは静かに顔を上げる。


「……さあな」

「……さあな、では困ります」


エリアスが眉をひそめると、レオナードは机に肘をつき、微かに笑った。


「お前、随分とハルトに懐かれているな」

「……王宮では最初に顔見知りになったせいでしょうか……やはり辺境からこちらに来られてセオドール様以外は知り合いもいないので、お寂しいのでしょうね」

「ふむ」


レオはじっとエリアスを見つめた。


「楽しそうだったな」

「……レオ様?」

「ハルトと一緒にいる姿が、思った以上に楽しげだった」

「……それは……」


レオの言葉に、エリアスは答えに詰まる。


確かに稽古場では少し和やかになったかもしれないが、それを気にするレオナードの意図が見えなかった。自分に近づくハルトを気にしているのか、はたまた、ハルトに近づく自分を気にしているのか……。


「お前は、ああいう素直な者の方がいいのか?」

「……どういう意味です?」

「文字通りの意味だ」


レオの声は静かだったが、微かに棘を含んでいた。

エリアスはその場で息を飲む。


(……まさか、レオ様が嫉妬を?)


しかし、そんなはずはないと自分に言い聞かせる。


「ハルト様は御子です。私には何の関係もありません」

「そうか」


レオは短く答えると、立ち上がり、エリアスの腕を引き寄せた。


「なら、私が心配する必要もないな」


そのままエリアスを抱き寄せる。


「──レオ様、ここは執務室です」

「……私は気にしない」


レオはエリアスの顎に指をかけ、顔を覗き込む。


「ハルトのことを話しているお前が、正直、面白くなかった」


エリアスは少し目を伏せ、逃げるように視線を外す。


「……嫉妬ですか?」

「さあな」


思い切って聞いてみたことは軽く受け流される。

レオはエリアスの髪に口づけを落とす。


「ただ……お前が他の者に気を向けるのは、少し癪に障る」


耳元で囁かれた言葉に、エリアスはじわりと胸が熱くなるのを感じる。

(こんなことで嬉しく思う俺も……どうなのか……)

レオナードの腕の中で、エリアスはそっと苦笑を漏らした。

(しかし……レオ様がこんな風な姿を見せるとは。俺を愛している証拠なのか?それとも、ただ……手元に置いておきたいだけなのか?)

そんな疑問が頭をよぎりながらも、エリアスは口には出せず、ただ目を伏せるだけだった。

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