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3-3

夜が更ける頃、ようやく作業が一区切りついた。

エリアスは机の上を片付けながら、ちらりとレオナードを見遣る。


「殿下、今夜はもうお戻りに?」

「いや、今夜もここに残る」


レオナードは当然のように答えた。


「……ここに、ですか?」

「そうだ」


レオナードが軽く微笑む。


「お前と一緒にいたいからな」


レオナードの言葉は甘いが、エリアスの胸の奥にはまた**「ここでしか求められない」**という言葉が過ぎる。


(私室には呼ばれない。外でも会わない。……やはりそういうことか)


「……わかりました」


エリアスは表情を崩さないまま、静かに頷いた。


「ならば、もう少し残ります」

「そうしてくれると助かる」


レオナードは満足そうに言い、再びエリアスの隣に立った。


「エリアス」

「……はい」

「仕事は終わったのだから、少し休め」


そう言うと、レオナードはエリアスの背後に回り、肩に手を置いた。

いつものように、体を引き寄せるための動作。


(……まただ)


「殿下、私はまだ──」

「言い訳は聞かない」


レオナードはそれ以上言わせずに、そっとエリアスを抱き寄せる。


「……執務室ですよ?」

「だからいいんだ」

「……他にも部屋はあるでしょう」

「お前の望む場所があるならそこでもいいが」


エリアスの動きが止まる。


「……別、にないです」

「だろうな」


レオナードはどこか寂し気に微笑んだが、エリアスの位置からはそれが見えなかった。


「なら、今夜もここで過ごすしかない」


その言葉に、エリアスは薄く目を伏せる。


(……逃げられないな。違うか……逃げないんだ……)


自分がこの状況を望んでしまっていることを、エリアスは痛感していた。

エリアスはレオナードの肩にそっと額を押し付けるようにして、目を閉じる。


──ここでしか行われない逢瀬。


わかっているのに、抗えない。

心のどこかで「これが最後になるかもしれない」と思ってしまう自分がいるからだ。


「お前はいつもそうだ」


低く囁かれる声が耳元に触れる。


「逃げたいくせに、逃げられない顔をしている」

「……逃げたいなど……」

「嘘だな」


レオナードが首筋に唇を寄せる。

エリアスは唇を引き結び、無理に振り払おうとはしなかった。


──振り払って、もしそれがきっかけで本当にレオナードが離れていくとしたら。


「レオ様……」

「ん?」

「……どうしてここでばかり……」


無意識に零れた言葉に、レオナードの動きが止まった。

次の瞬間、エリアスの腰がぐっと引き寄せられる。


「……なんだ?」

「……何でも、ありません」


エリアスはすぐに取り繕うが、レオナードはそれを許さなかった。


「エリアス」


レオが顔を上げて、じっとエリアスの目を覗き込む。

金の瞳が真っ直ぐに自分を見ていることに、エリアスは少し息を詰まらせた。


「お前が何を考えているか、私は知りたい」

「……何も……」


言えるはずがない。こんなみっともないこと。

エリアスは自分の弱みを見せることを決して好まない。それが例えレオナードであっても、だ。


「……ふむ」


レオナードは納得していない様子だったが、それ以上は踏み込まなかった。

そのかわり、彼はエリアスの髪を指先で弄ぶように撫でる。


「エリアス」

「……はい」

「私はお前を一番大事に思っている」

「……なら、なぜ……」


言いかけて、エリアスは言葉を呑んだ。

なら、なぜ私室に呼ばれないのか?

──そう言いたかった。

けれど、それを問うこと自体が怖かった。

レオナードが「ただの遊びだ」と言えば、それがすべて崩れてしまう気がしたから。


「……なぜ?」


レオナードが重ねるように尋ねるが、エリアスは静かに微笑んで言葉を交わす。


「……いえ、何でもありません」

「お前は、相変わらず口を割らないな」


レオナードが苦笑を浮かべるが、その手はエリアスを離そうとしない。


「言わなくても、私はお前が逃げないようにするだけだ」

「……レオ様は、強引ですね」

「そうしなければ、お前がどこかに行くからな」


エリアスは返す言葉を失い、ただレオナードの胸元に顔を埋めた。

──その瞬間だけは、レオナードが自分を必要としているのだと錯覚できるような気がした。



それからしばらく、執務室の片隅に置かれたソファに二人は並んで座っていた。

外は既に夜が更け、窓の外には星が瞬いている。

エリアスはレオナードの肩に軽く寄りかかりながら、無言で時を過ごす。


「明日から、御子が本格的に王宮での生活を始めるそうだ」


レオナードがぽつりと話を切り出す。


「……そうですか」

「気になるのか?」

「そうですね、少しだけ」


正直に答えた。


「明るく、素直な方でした」

「そうだな」


レオナードがどこか思案するように小さく頷く。


「ハルト──彼は人を惹きつけるものを持っている」

「レオ様も、そう思われますか?」


エリアスが顔を上げてレオナードを見た。

レオナードとのことが気にならないといえばそれは嘘だ。

しかしそれと同時に、あの無垢さが餌食にらないかとも気にかかる。


「……おかしな人間に捕まらないといいのですが……」


心配そうなエリアスの声に、レオナードは少し微笑みながら答える。


「……お前は、いちいち気にしすぎだ」

「……そうかもしれませんね」


エリアスはわざと軽く流してみせる。

けれど、その胸の奥に刺さる不安は消えなかった。

レオナードの指がそっと頬をなぞり、エリアスの視線を奪う。


「エリアス」

「……はい」

「お前は私のものだ。それだけは覚えておけ」


レオナードの言葉はどこまでも甘く、優しい。

けれど──。


ここでしか必要とされないのに?


その言葉が、喉元まで上がってきたが、エリアスは静かに微笑むだけだった。

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