王弟レオナード・グレイシアという男は、間違いなく優秀な王族である。
冷静沈着で有能、国の軍事的な最高司令官として王をはじめ国民や軍から厚い信頼を寄せられている。
王族としての立場を強く自覚しており、加えてその見目は驚くほど整っていた。
宵闇のような黒の髪に金色の瞳。
柔和な表情の奥に鋭さを隠した顔立ちは、長身の精悍な体つきと相まって黒豹を思わせる。
全てを兼ね備えた男。それがレオナードだ。
──それなのに、彼はどういうわけか「エリアス・フィンレイ」という一介の文官を、まるで宝物のように扱っていた。
「お前は、私のものだ」
真剣な眼差しとともに、いつものようにそう囁かれる。
エリアスは、溜息を吐きたい衝動をぐっと堪え、手元の書類に持ち直す。
「まあ、そうですね。あなたの側近ですしね」
つい素っ気なく答えてしまう。
それでもレオナードは気にする素振りもなく、むしろ口角をわずかに上げた。
頬に感じる温もりと共に、肩を引き寄せられる感覚に思わず小さく溜息をついた。
「レオ様、まだ朝ですよ……」
「朝だからだ。仕事を始める前に、お前の顔を見ておかないと落ち着かない。それにその口ぶりだと、夜だと問題ないように聞こえるが?」
柔らかく耳元で囁かれ、背筋がひやりとする。
その声は心地よさすら感じさせるものだったが、エリアスは努めて冷静を装い、
レオナードの腕から逃れようと軽く身をよじった。
「ば、かじゃないですか……っ……今離れないと、王との朝議に遅刻します」
「私が遅刻するなら、国が動かないな」
「だから、国のために仕事をしてください」
「それより、お前の方が大事だが?」
──本当に困ったものだ。
こんな調子で、王宮では彼らの関係は公然の秘密だった。
恋人同士とはいえ、これほど堂々と王弟に抱きしめられるのはどうなのか。
王宮での彼の態度は、周囲の視線を一切気にしていない。
「レオ様……!もっと立場を弁えてください」
「それは、お前が言うことか?」
「……私以外にあなたに言える人、いるんですか」
口調は抑えたが、心臓が早鐘を打っているのが自分でもわかる。
レオナードの視線はいつも甘く、まるで恋人というより“宝物”を見るようだった。
──この関係が、本当にずっと続くのだろうか。
エリアスは、内心で何度も繰り返してきた疑問をまた思い浮かべる。
──王弟の恋人。異例中の異例。
この国の婚姻において男女の性差は全くない。
それは魔法の力によって同性同士でも子をなすことができるからだ。
なので、男のエリアスであってもそこは問題はなかった。
問題は──身分だ。エリアスは決して平民ではない。貴族ではある。
だが、家格はそう高くない子爵家。
本来であればこうして王族の側近となるのもだいぶんな出世であり、それに加えて今は恋人という立場にいる。
レオナードはいつも「お前しかいない」と言う。
けれど、王族には立場がある。
一時的な感情で繋がっていたとしても、いずれ身分の釣り合う相手が必要になる日がくる。
それが王族というものだと、エリアスはよく理解していた。
だからこそ、レオナードが向けてくる過剰な愛情が時折重くなる。
「……そろそろ、本当に行きますよ」
「なら、もう少しだけ」
再び腰に回された腕がぎゅっと強くなる。
レオナードは、自分を離す気など微塵もなさそうだった。
「レオ様……」
「わかっているさ。これだけだ」
レオナードの唇がそっとエリアスの唇に触れる。
あまりにも自然で、穏やかで、逃れようがなかった。
「本当に行くのか?」
「当然でしょう……」
レオナードは軽く触れるだけで済ませたが、その直後、まるで未練があるようにエリアスの手を取り、親指で指先をなぞった。
「仕方ないな」
「……仕事してください。」
「お前がいないと仕事がはかどらない」
「それはあなたの問題です」
──甘い時間。
だが、それが余計にエリアスの不安を掻き立てるとは、レオナードは知らない。
エリアスは、知らず小さく拳を握り締めた。