兵士達は思う。眼前の光景は悪夢である。あるいは幻覚であろう。
戦ったことが無いわけではなく、訓練不足というわけではない。死体が動いているということが、ただ純粋に恐ろしかった。
この有様では領主の号令を受けて、立ち上がった義勇の民草の方がマシである。実際、ろくな防具も身に付けていない彼らはノミやツルハシを手に懸命に戦っていた。
数は少ないが人型のアンデッドと戦っている者など涙すら滲ませて、己の所業に怯えていた。それでも戦っているのは、ここに家族がいるからだ。そして、どんなものであろうと守るべきものがある。金、家、職、あるいはプライド。そうだ、日頃力自慢しておきながら死体ごときに怯えるなど、みっともなくて出来はしない。そう己を奮い立たせて、みっともなくても戦っている。
それに対して、立派な防具を身に付けた兵士たちが槍を手にして固まっている姿は滑稽だった。一見、城だけ死守するかのような形になっているだけに尚更である。
住民が避難してくるのを受け入れるのが先だ。我々は城門の代わりをしているんだ。……そう言うかのように。
しかし、彼らはやはり兵士なのだ。爽快な風が暗雲を吹き飛ばせば、たちまちに士気を回復して本来の力を発揮する。その風を送り込む者が一人だけいた。そしてそれは城壁から全体を統括しなければならない子爵ではなかった。
「うろたえるな! 兵士達よ!」
重いものを打ち付けたかのような轟音。わずかばかりの土煙の上に立つのは真白い御旗。それに描かれているのはアラゴン子爵の紋章ではなく、ケイラノスの紋章たる鷲。領主の兵である彼らは本来、はいそうですかと従う義理はない。だが、持つ者がこの者ならば話は変わる。
「見よ! 我が物顔に町を歩く死体共を! やつらの蛆がこの地を穢しているのを黙って見過ごす道理なぞ、ありはしない!」
凛とした声を放つ、短めの金髪の女騎士。翻る旗と同じ白い鎧は、女性らしさを描きつつも不思議に実用性を感じさせる。そして、旗を左手で支え、右手には見る者を惹き付ける細剣が町を指し示している。
ああ、そうだ。彼女がそうなのだ……それを噂話として聞いた者達全てが納得した。
ケイラノス守護の盾。
「半数は住民を守り、もう半数は私に続け! やつらの動きは獣と変わらぬ! 勝利は我らのものとなる! 白き鷲に栄光あれ!」
――白き鷲に栄光あれ!
兵士たちから震えが奪われ、戦意を取り戻す。〈
その熱は城壁から指示を出していたチコ・アラゴン子爵にまで伝わった。あの檄の下、戦場を駆け抜けられればどれほど良いだろう。いや、もうここで出せる指示など副官と執事だけで充分だ。私が加わっても……その思いは場違いな冷めた声に止められた。
「行かなくて良いですよ、子爵様。もう勝負は着いているんですから、行っても疲れるだけです。あぁーでも、満足感は得られるかもしれませんね。私としてはそんなもの要りませんが」
「ツコウ殿……」
下の女騎士と色合いが逆の“一剣”は従者を連れて戻ってきていた。その胴当てにはシミひとつ無かった。
「裏手に回ってきていた敵は全部仕留めました。念の為借りた兵を置いてきてはいますが……まぁ来ないでしょうね。ここでの戦いはこれで終了です」
「我々の勝ちなのかね?」
「大きな目で見れば負け、この領地としては勝ち。後手に回った時点で、この結果は決まりきっていました。例え私とシャルがいなくても、同じ結果になったでしょう」
そもそも怪物の群れといえば聞こえは良いが、武装した人間を相手にできるアンデッドは百にも満たない。シャルグレーテとツコウがいなければ混乱で被害は出ただろうが、アラゴン子爵は自力で跳ね返せただろう。
狼や熊、そして人間の動死体はともかく、数を盛るために小動物すら混じっている。送り込んだアルゴフとしても、あの程度の数で貴族の領地を落とせるなど考えていないことは確かだ。
この戦いは本来隠すはずだった情報を流出させるため。外圧が起こるであろうことを考えればツコウ達は任務に失敗したとも言える。
「おー、相変わらず派手だな。コリン君、あれが本来の“一剣”だ。圧倒的な個体を見せつけ、敵の意気を削いで味方の士気を上げる。ケイラノスが放つ矢のやじりだ。馬鹿げた個人の強さで空けた穴に兵士を突っ込ませるから、有効なんだが……反面、味方の精神面が脆くなるという弊害も確認されている。“一剣”が負けたら、それだけで絶望に変わってしまうからな」
「本来の……ということはツコウ様は違うんですか?」
「違うというか、俺にはああいうこと自体ができないんだ。人には他者を気遣える範囲ってのがあって、それは訓練で身につけられなかったりする。シャルは千以上を盛り上げられるが、俺は十人程度が限界だ。地味で陰気に見えるせいだな」
その中でツコウは相変わらずの調子で観戦していた。
六大騎士団に失敗は許されないと言われるだろうが、その時は仕方がないと考えている。黙って処刑されるのではなく、出奔してどこかでまた剣を振るえば食うには困らない。そんな姿を想像しているのがツコウという男の思考だ。
「だから俺は“黒”に入るしかなかったわけだ。“白”になるしかないシャルとは正反対か」
「でも私は、どちらかと問われればツコウ様のようになりたいですが……」
「珍しいやつだ。なら簡単だ。腕を上げるだけだからな……それ以上することは無くて単純だ」
戦いが終わったのか、鬨の声を上げながら兵士たちが帰ってくる。目ぼしいアンデッドは全滅しただろうが、数合わせの小動物どもを探すほうが骨が折れるだろう。それを手伝う気はツコウには無かった