早くも戦乱の火を起こすことに成功した。その事実に最も驚いているのは、薪を用意したアルゴフ自身だった。
ドラウグル特有の黒い粘液に覆われた顔からは読みづらいが、操った鳥の目で見る光景を嘘では無いかと幾度も確認していた。
アルゴフが驚く理由……それは死霊術がそれほど強力ではないはずだからである。ここに至るまで己の術に違和感を覚えてはいたが、確信へと変わるにはここまで時間がかかった。
死霊術には制限があまりにも多く、自由自在に操ることなどできはしない。それは魔法すら知らない現在の人間はおろか、当時の者達ですら考え違いをしていたことだ。畏れられていた方が都合が良いため、あえてその噂を死霊術師達自身が煽っていたのもある。
その制限とは、まず数に限りがあること。憑依にせよ死体本来のものにせよ、魂を操作しなければならない。反抗してくるかは魂次第だが、自在に操るなら2体。自分自身を襲わないように指示し、野放図に動き回らせるだけでも10体程度が限度だった。死霊術を行う側も自身の魂を通じて、操作しようとするために起こる必然の限界なのだ。
次に距離の要素が加わる。完全に操縦するならば視界に入っていることが前提。今やっているように、鳥を通じて遠くを観察しようとしたならば自分の魂を憑依させるしかない。当然、その間自分は無防備になってしまう。
しかし、それらの制限が今はない。
追跡者をそのままに、死体を端から蘇らせる。そして追跡者が
アルゴフは理解した。
これは自分が死者であるからこそ可能となったのだ。
ドラウグルである自分は人間としては既に300年の昔に死んでいる。今蘇ったことすら生前仕掛けた術が
浅かったとはいえ死に触れていたアルゴフの魂と死に対する理解度は生前とは比較にならない。今ならかつて夢想に終わった魔法すら編み出せる可能性は高い。
理想国家樹立のために有効な手を身に付けたのは大きい。しかし、所詮死者は死者だ。アルゴフは自分に仲間が必要だと理解している。たとえ己が道半ばで倒れようとも、後を引き継ぐ者が必要だ。
さて、どの段階で追跡者を処分するか。死者を蘇らせながら、アルゴフは思索に耽る。
予想以上に早く始まった侵攻が、考えをまとめる時間を与えてくれていた。
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全く面倒なことをしてくれる。
流石は王様というべきか、アルゴフのやることはそつがない。
城壁から見下ろして見れば、腐った動物から人間の骨まで種類豊富に取り揃えられている。それらアンデッドが寄ってたかって町へと攻め入るのだから、兵士にとっては溜まったものではないだろう。
「女子供を城壁内へと避難させろ! 男衆からは人手を募れ! 矢は効果が薄い。弓兵達も抜刀して、門を死守しろ! 閉じるのは避難が終わってからだ」
アラゴン子爵は良くやっている。先程までの会話からして、彼自身もアンデッドとの戦闘は経験していない。だが、下手な軍指揮官よりもよほど上手く動けている。
この分ならこの町が落ちることはないが……いささかマズイ事態だ。
俺とシャルだけで動いていたのは人心の安定を考慮してのことだ。それが一気にご破算となってしまった。人の口に戸は立てられない……この町からアンデッドの実在は広まり、世間は死体に怯えることになる。
「アラゴン子爵、我々も加勢します。子爵の兵達の手並みを疑ってはおりませんが、ほとんどの兵は魔物と対峙した経験が無い。最悪の事態に備えます」
「いや、それには……」
シャルの申し出にアラゴン子爵は口を濁した。
仮にも王族であるシャルが戦死でもしようものなら、どのような風評を立てられるか分かったものではない。それはシャルの意思に関わらず、勝手に発されてしまうものだ。躊躇するのも当然だろうが、俺たちも後手に回った分を取り返さなくてはならない。そのために、シャルの発言を補足する。
「及びます。多少あざとい手ですが、ケイラノスのために少しばかり演技してやる必要があるのですよ……シャル、表はお前がやってくれ。その剣も使って、できるだけ派手に活躍してくれ」
「分かったが、ツコウはどうする?」
「裏方に回る。子爵様の兵を何人かとコリンを連れて行く。それでこっちは足りる」
「……少しぐらい、心配してるとかの言葉はあって良いんじゃないか?」
「冗談。お前にできんなら他のやつにもできんからな。さて、挽回は早めにだ……では後で会おう」
まだ不服そうなシャルを残して、俺も行動を開始する。
城壁を駆けつつ、城の中庭を目指す。途中で城に残っていた兵を数人と、武器を取ってきたコリンを連れて行く。これだけで俺の側は足りる。城壁から見た光景では敵に数えられる死体は100いるかいないか……あの程度ならシャルの方も問題は無いだろう。対集団相手には俺よりも遥かに上だ。
花もまばらであまり手入れされていない城の裏側……城壁との間に生じた小空間にたどり着く。そして見計らうように上から巨大な物体が転がり落ち、地面に赤い花を咲かせた。
「来るだろうと思ったからこそ、こっちからも来てやったんだが、実際に見るとげんなりするな……」
赤黒い押し花が動き出す。横にいる兵士たちは恐怖の呻きを洩らしながら、震えだした。
その物体が元の姿を取り戻した頃に、次々と同じ物が落下してきた。
そもそもアルゴフは山の方角を移動している。そして、この城は山の崖を背に立てられている。ならば、こちら側からも襲撃があるのは当然のことだ。
例えヤギでも逆落としなぞ無理な垂直の崖も死体にとっては問題にならない。赤黒い花の正体は腐乱した大熊達だった。
「さて……仕事するか。総員、槍を構えろ。前は俺一人で務める。お前たちは槍衾でコイツラを通さないのが役割だ」
白と黒の双剣を構える。
大型の獣が相手でも問題は無い。まぁ何体コチラ側から来るかは知らないが……とりあえずバラバラに刻んでやろう。
剣を回転させたのを挑発ととったのか、死骸熊が声にならない雄叫びをあげた。