辿り着いたアラゴン家の領地は、全体的に埃っぽさを感じさせる田舎だったが、活気はそれなりのものだった。人間の数を考えればむしろ陽気に繁盛している。
これまでカルプスが追跡していた山が荒々しい断崖に入ったところから、この地が始まる。ツコウとシャルが連絡を受け取るのは難しくなり、同時にカルプスの身が案じられた。
この山はさらに奥へ行くと鉱石採掘が盛んで、鉱業と農業の半々で生活を成り立たせているようだ。一行が商人に聞いた限り、王都の職人街やその周辺の販売が主だという。この時点でアラゴン家の怪しさはかなり薄れてしまった。富が王都とその周辺によって成り立っているならば、反逆はそのまま収入が減ることに繋がる。怪しい不死者と現実的な富なら、後者を選ぶ方が多い。前者は不確定だから当然だ。
それでも可能性が無くなったわけではない。反乱の際に武器を手に入れようとするなら、材料を得るのにうってつけではある。アンデッドの反抗が長続きするならばという条件下での話だが、調べるだけ調べようということになる。
一行は身分を明かして、アラゴン家の城へと入り込む。
名前もひねり無いアラゴン城は、あえて崖を背にしてそこから城壁を生やすという堅牢な城だった。側防塔や狭間窓もしっかりとした造りで、全体的にも遊びがない。少なくとも防衛意識は強いようだ。
「こちらでお待ちです」
「ありがとう」
案内の兵はシャルの言葉にぼうっとなっている。見かけに関しては男性風の格好でも、顔や体付きはしっかりと女性らしいので免疫が無い兵士はすっかり魅了されてしまったようだ。
初対面から何とも思わなかった俺が少し変なのかも知れない。中身も把握した今では尚更で惚れこんだりもしない。
連れて来られた部屋はかなり高い場所にあった。配置からして崖の反対側……つまり街の側を広く見渡せる部屋を執務室か応接室としているようだ。
どの城にも簡易の謁見の間が設けられているが、王が逗留した場合などに使うものであり、執務室での応対も非礼にはあたらない。個人的には現実的な部屋の配置だけでも好感触だ。
濃い茶色のドアだけが見栄えの良い材質でできており、それを城主がいるという区別にしているのだろう。シャルより後に入るが、シャルのために俺は扉を開いた。貴人に対する礼をしておいたほうが領主に効果的かもしれないからで、同時に交渉はシャルに丸投げするという意思表示である。
その動きに軽くウィンクを返して、シャルは中へと足を踏み入れた。
「ようこそ、殿下! 我が城に王族の方をお招きするのを楽しみにしておりましたぞ! 無骨な雰囲気がお嫌いで無ければよろしいのだが……何分、このような土地ゆえ歓待にご不満もございましょうが……」
「ありがとうございます、アラゴン卿。私も王都では無骨と言われている身。どうかお構いなく……公務で無ければこの荒々しさを存分に楽しみたいところですが……」
「なるほど。重大なお話をお持ちのようだ。横の応接間は形ばかりですが、広い机がございます。そちらでうかがいましょう」
アラゴン子爵家当主、チコ・アラゴン。ぼさぼさの長髪に小柄で横に広い肉体。手入れされているのはアゴヒゲだけで、どうにもむさ苦しい男だった。外見とは違い、細やかな気遣いが時々見て取れる不思議な人物だった。
コリンを待たせて、俺とシャルは応接室に入る。
さて、どう切り出すか……と悩んでいると驚いたことにシャルは真っ正直に事情を話し始めた。最初に機密であることは伝えてあるが、少々大胆過ぎないだろうか?
いや案外これで良いのかも知れない。裏があるなら顔に出る。仮に相手が強硬策を取るようでも、俺とシャルは自力での脱出が可能だ。コリンを守りきれるかについては全く自信が無いが、自分だけなら何とかなる。
それ以上にアラゴン子爵はどこか信用させるような不思議な魅力の持ち主であった。彼は完全な黒ではない。俺もそう判断していた。ならば味方に付いてくれればありがたいことだ。可能性は低いがアルゴフより先にここへと到着した可能性もあるのだ。その場合、後から来るアルゴフを罠にかけることも可能となるだろう。
……ひょっとして俺はシャルより頭が悪いのでは無いだろうか……
話を聞き終えたアラゴン子爵は手で目と額をこすった。顔つきを探ってみるが、後ろ暗さはなく困惑の色だ。
「300年前から蘇った亡霊……にわかには信じがたいお話ですな……」
「ですが、子爵様も魔法の現存についての通達は受け取っておられるでしょう。魔道具の試験式にも参列されていたのを覚えています」
「確かに、確かに。魔道具を信じて、死霊術は信じないというのも道理が通らないことです。しかし、殿下……私のような年寄にとって変化というのは受け入れがたいものなのですよ。きっと、お分かりになられると思いますが……」
「ええ、子爵様。分かりますとも」
全然分からん。王族の威光を発揮させるため壁のシミと化している俺だが、話が進まないのであくびが出そうだ。あるものは在るでいいじゃないか。面倒だから会話に加わることにする。
「では、この際アンデッドの実在など放り捨てて、“雪熊の国”を再興しようとする輩がいるとしたらどうでしょう? 貴種流離譚の類だと思って、貴方の下に臣従を望んで来たらどうしますか?」
「ツコウ!」
「仕方が無いことだ。こうしてやり取りをしている間にアルゴフが何をしているかも分からん。近くにいるカルプスに至っては、下手をすればもう死んでいる確率すらある」
アラゴン子爵は俺がいることに初めて気付いたようで、シャルの咎めよりそちらの方がショックだ。
気配を消したりなどしていない。
「君は確か……」
「
先程の自分と同じ言葉を受けてアラゴン子爵はヒゲをこよりながら、思案した。俺の発言に激昂するでもないあたり、器が大きいらしい。
「確かに我が祖先は“雪熊の国”の一員だった。そういうことなら疑われても仕方が無い。だが、恐らくそのアルゴフという者がここに来ることは無いだろう」
「なぜでしょう?」
「戦乱期の貴族の行動がどういうものか、殿下はご存知でしょう。裏切りや出兵拒否など当然のことです。ですが……」
先祖の恥につながる話だからか、貴族であるアラゴン子爵の顔は固い。
できれば話したくなど無いのだろう。焚き付けておいて何だが、こっちまで微妙な気分になってくる。
意を決した子爵が続ける。
「我が祖先はコウモリでした。開戦当初から自国とケイラノスのどちらにも擦り寄り、己の値をつり上げて、そして……最悪の時期に裏切って自らをケイラノスに高く売りつけた。そう聞いています。当時のケイラノス王はその面の皮の厚さに呆れ果てて、一度は斬首しようとしたほどだったとか。その薄汚れた血筋が私には流れている……だが、私は、私とこの地は今ではケイラノス貴族としての自負が在る! そのことを信じていただきたいと願うばかりです……」
言い終えると子爵は疲れたように、縮こまった。
今日のような事態に陥る前から、出自を気に病んでいたのだ。祖先の罪まで背負ってどうするかを考え続けていたに違いなかった。
シャルから目線を送られた俺は降参の意を示そうとした。その時……扉が荒々しく叩かれた。そして子爵が顔を上げたときには既に扉は力強く開かれていた。
「来客中だぞ! 何という真似だ!」
「も、申し訳ありません。ですが……ですが!」
飛び込んできたのは簡素ながら、しっかりとした作りの兵士だった。兜の下から滝のように汗が流れ、その形相は必死の様子である。それには怒っていた子爵も言葉を続けられず、兵士の報告を待った。
「わ、我が……こ、この街に突然、化け物の大群が!」
今度こそ完全に絶句した子爵を横目に、俺はシャルと目を合わせた。
またしても後手だ。