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第14話 静けさ

 暗い森の中でありながら、それは夜の影から浮いていた。

 それは当然のことで、夜はただそうあるだけだ。例え月が魔性を呼んで神秘に大きな影響を受けようとも、影が後ろ暗い罪人を覆い隠そうともだ。

 その夜に比べれば、それは闇を煮凝らせた塊なのだから、夜を好みながらも夜には溶け込めない。



『シャー・ルヴィー・カラーサル……〈エロシオー〉』



 掠れた声を洩らしながら亡者が歩く。その身に纏う長衣は長すぎて地面をこそぐように流れていた。そして、引きずられた地面から土と草を突き破って骨が地上へと戻る。新しい死骸は腐肉を付けたまま、古い死体は骨だけになって闇に追従していく。


 死者を利用する亡者の軍勢は時が過ぎるほどに増えていく。その強大さは現実に生きる誰もが見誤っていた。この怪物に、ようやく己が失ったものに気付いたばかりの戦士たちでは早さが足りなかったのだ。


/


 馬がゆっくりと歩く様子は牧歌的だが、周囲の光景はどちらかと言えば寒々しい。単純にあまり肥沃的でない土地で、農耕などに向いていないので見捨てられているのだ。

 それでもぽつぽつと民家があるのだが、装飾など欠片もない様子で何もないよりも貧しさを感じさせてくる。ケイラノスは大国だ。つまり人が多いということでもあり、村に馴染めないだとか孤独が好きとかの理由でこうした外れに住む者もいる。


 そこを行く騎士達の姿までくすんで見える。黒と白の胸甲は輝いているが、ここにあっては不吉の前兆に似ている。


 以前、ツコウ達がタルサス砦へ赴いたのとは別の街道だ。言ってしまえばこちらは脇道で、あちらが主街道のようなものであった。それに伴って交通の便も悪い。替え馬などが用意されてる駅舎間の距離が遠いために、飛ばすことができない。


 白の女騎士シャルグレーテは少し焦っていたが、黒の騎士ツコウは大して気にせずゆっくりと進んでいる。従者であるコリンは二人に従えばいいと判断していて、年齢の割には落ち着いていた。

 この三人の目的は目下、“墓を建てる者アルゴフ”という過去から蘇った邪悪な魔法使いを発見・討伐することにある。騎士の役目かくあるべし、と言っていい任務だが先導するツコウは全く栄誉に思っていなかった。



「なぁ、ツコウ。もう少し急いでも良いんじゃないか?」

「なんで?」

「なんでって、それは勿論、任務が急を要するからだよ。こうしてる間にも民がおぞましい怪物に変えられているかも知れない。それを考えると……」



 常にぼうっとした顔のツコウが後ろを少し振り返って、また視線を戻した。速度は変わらない。



「まぁ、そうだな。そう思うと焦るな」

「だろう?」

「だが、シャル。俺たちが焦っても何かできるわけでもない。お前にせよ、俺にせよ、探索の専門家じゃない。俺たちにできるのは目の前の敵を叩き殺すことだけだ。つまり、カルプスがアルゴフさんを見つけるか、どこかで被害が出るまで何もできんのだ」



 先に相手を追っているカルプスにせよ、時折届けられる手紙でも進捗が無いようだった。絞れているのはアルゴフが南から出発したということだけである。国の中から一人の敵を見つけ出すというのは、倒すよりもよほどに難しいだろう。

 カルプスの腕前にツコウは疑いを持っていないが、彼も死体を追いかけたことなどないと知っている。



「相手が馬鹿みたいにアンデッドを作っては村を襲う……というような奴ならあっさりと見つかるんだろうがなぁ。敵が間抜けであることを期待するのも間抜けだ」



 アルゴフという存在は昔、国を統べる双王の一人だったという。もう一人の王、ビャルキ王は正々堂々が好きだったようなので偶然にもさっさと討ち果たしたが、それだけにもう一人の王は知性を担当していると推測できる。



「ふぅ……こういうのは性に合わない」

「城でドレスを着ている方が良いか?」

「いや、それよりは良い」



 後ろで吹き出すような音が聞こえた。コリンもこの風変わりな騎士達に慣れてきたようだ。シャルグレーテもツコウも常に堅苦しさを出す方ではないので、それを咎めたりはしない。

 むしろ、そのぐらいの余裕を好ましく思う。



「コリン君は馬には慣れたか?」

「はい。この馬、大人しいので助かっています。荷物もこんなに載せてるのに……」

「そうだな。この一行で一番労らないといけないのはそのお爺さんだ……」



 ツコウとシャルグレーテの愛馬は血統が良い。だが、その分繊細なところがあるので荷を積むのに向いているとは言えなかった。速さと度胸だけを伸ばし続けるように交配させられてきている。

 最強の騎士であっても、飯と水が無ければ実力は発揮できない。特に王都詰めの白盾はくじゅん騎士であるシャルグレーテは、物資が潤沢な状態に慣れきっている。



「そろそろ休憩にしよう。急がば……さて、何だったか」



 いまいち締まらない先導者の言で一行は休息を取るべく、馬から降りて道の脇に寄っていった。休憩の理由は小川が見えたからだった。


/


 休憩の時こそ自分が働くべきである。そう主張したコリンはやたらに動き回っている。それを横目にツコウは足を上げて寝転んでいる。小川の周囲は枯れた草が倒れていて、丁度いい休憩場所だった。



「コリン君。暇な時が出来たら稽古とか付けようと思うので、あんまり働きすぎを習慣づけないように。大体一人で旅のあれこれを全部できるわけじゃない。そこそこでいいぞ」

「えっ! 良いんですか!」



 おー、と適当な返事を投げてから休息に戻る。それをシャルグレーテが穏やかな目で見ていた。暖かい目で見られるのはどうにも居心地が悪いので、ツコウは起き上がった。



「なんだ、そんなに意外か?」

「ああ、意外だ。お前が面倒見良いところを見せたのは、これが初めてじゃないか?」



 お前の勝負に付き合っている時点で、大分面倒見が良いと思うが。その言葉を飲み込んで、ツコウは手をひらひらと振った。別に意味は無いというように。ツコウからすれば巻き込んだことへの詫びなのだが、どうにも世間とは価値観が違うらしいことに今更気付き始めていた。

 ツコウとしては“一剣”が稽古を付けることがそんなに良いものだとは思っていない。



「今、敵を追っている騎士カルプスというのはどういった人物なんだ?」

「変わり者が多い黒悔こくかい騎士の中でも、特に変わっている。騎士というよりは……野伏せりとか猟師に近いな。人格的には問題が無いんだが、やることがな。緑鎖りょくさ騎士団より森や山に詳しいんじゃないかな、あの人」

「外見は? 会ったときのために聞いておきたい」

「……探索する場所に合わせた格好をしているから、今どうなっているか分からん。カルプスが本気で隠密行動していたら、多分俺でも見つけられん」



 六大騎士団の中でも特に優れているツコウやシャルグレーテは、気配だけである程度の距離までは人の位置が分かる。しかし、カルプスは探索においてその場に合わせた擬態までするために気配まで木や岩に近づけられる。攻撃に出れば発見できるだろうが、隠れているだけなら見つけようが無かった。



「おい、それはどうやって連絡を取るんだ」

「向こうから連絡貰うか、あらかじめ落ち合う段取りを付けておくか、ばったり出くわすか。だから俺たちが焦ってもどうしようもないって言ったんだ。俺の探索技術はカルプスの足元にも及ばないからな。お前に至ってはそもそも初歩すら知らんだろう?」



 悪いわけではなく、本来は王室守護に務めるシャルグレーテが知る必要は全く無いのだ。ツコウにしても単独行動主義の騎士団に所属している関係で覚えただけだった。



「カルプスに何かあったら、現地の兵を率いて山狩りだな。その時はシャルに任せる。俺が指揮できる範囲は10人越えないからな」

「与えられた権限とは言え、あまり気は進まないな……」



 口では案じてみたものの、ツコウもカルプスが無事だと信じている。彼はその探索能力に比べて、戦闘能力は一般騎士に毛が生えた程度である。だが、それを弁えて行動できる男だ。

 問題は追う対象であるアルゴフの死霊術がどの程度のものなのか、はっきりとしないことだ。もし、蘇らせる対象に制限がない場合……ケイラノスは地獄になる。


 だが、大きく動く時は必ず来る。その時が自分の出番だとツコウは思うのだ。


 ツコウ達の前で水は静かに流れていた。

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