姫が来る。
その報告をタルサス砦に送り届けた早馬とは行き違ったらしく、それは幸運だったとツコウは思う。お姫様を迎えるためにあれこれと砦の人々が準備を整える前に自分たちが着くことができたからだ。
砦の規模に反して十数名の人員しかいないタルサス砦にそんな重荷を負わせるのは心苦しい。そんな用意ができるほどの食料は質・量の双方でタルサス砦には不可能だ。大体、シャルグレーテをマトモな姫様の枠組みに当てはめるのも無理がある。
実際、ここまでの野宿でもシャルグレーテから文句が出ることは無かった。食い物も寝袋も俺と同じものだったにも関わらずだ。その時、その時で満足の水準を上下することができるのだろう。貴種では珍しい性質だが便利だ。
結果として余計な歓待も受けずに済み、案内人も借り受けることができた。人の良さそうな農夫が鎧を着たような守将はしきりに謝っていたが、役目にこれ以上の助けはない。
「コリン君。タルサス砦には何年勤めている?」
「はっい騎士様! もう2年になります!」
案内人であるコリンは探索対象であるタルサス村の出身であると同時に、タルサス砦の兵として働く身だった。濃いめの茶色の髪の兵士は、にきび面に興奮をめいいっぱい詰め込んで馬の先を歩いている。
「村の出身ともなれば、故郷と連絡を取れないのは辛いだろう? 家族はいるか?」
「ありがとうございます! 姫殿下っ! 自分は孤児なので大丈夫です!」
そのうち血管が切れるんじゃないか。それに、それは大丈夫なのか?
そんな益体もない考えを浮かべながら、質問を続ける。タルサス砦からタルサス村はそれほど離れてはいないらしい。どんな異変か不明な分、早めに情報は集めておきたい。
「異変が起きてから既に2週間は経過している。その間、タルサス村以外に異常は無かったか? 他の村からの報告でも……砦の連中のグチでも良い。些細なことで構わないから、思い出して口にしてみてくれ。あー、道中暇だろう?」
「なんだツコウ。お前がそんなに仕事熱心だとは知らなかったぞ」
「姫殿下におかれましては、少し黙っててくれませんかね?」
もちろん、俺は自分の命が一番大事だ。だからといって、他の人間が死んでも良いと思えるほどに人でなしでも無い。想像の通り、ここ
コリンはしばらく生真面目に考え込んでいる。延々と続く原っぱを眺めていても仕方がないので、大人しく待つことにした。
「あー、本当に些細なことなのですが、騎士様」
「構わんよ。経験上、そういった情報の方が役に立つからな」
「砦の……ラドック爺さん……あ、いえ、兵士ラドックというのがいるのですが、そいつのようにジジ……歳がいった兵士達は最近悪夢を見て眠れないとか。それが、まぁ揃って似たような内容なので馬鹿にされたり、気味が悪かったりで……」
「……どんな夢だと言っていた?」
「昔の夢だそうです。年寄り達が言うには、若い頃はまだ昔の国を懐かしむやつらが残っていて……そいつらが枕元に立って恨み言を吐いては笑って回るんだそうで」
聞いたことを粗末な紙に記しておく。あとで報告書へと化けさせて提出しなければならない。
コリンのいう昔の国というのは、シャルグレーテから聞いたケイラノスに征服された国で、この辺りを治めていたのだろう。そして、その連中が這い出てきた可能性が高い。ツコウはそう考える。思っていたよりもずっと面倒な事態かもしれなかった。
一方で、あまり得心が行って無さそうなのが我らが姫だった。
「おい、夢がそんなに重要なのか?」
「……史書は覚えてるのに、重要案件の報告書は見てないのか。ああ、でもほとんど
かつて存在した力……すなわち魔法。我々現人類の祖先である古代人達は当たり前に使っていたが、今ではそうではない。現在、魔法が使える素養があるとされる人間は千人に一人どころか、万人に一人とさえ言われている。個人的には万人は言いすぎだと思う。
その理由は魔法の力が消え失せたわけではなく、人間の肉体が変質したからだ。
切っ掛けは古代の各王国の衰退によって魔法技術が失伝したことから始まる。それにより魔法を使う機会自体が急速に減少。飛ぶことを忘れた鳥のように、長い年月とともに使われなくなった器官は衰退する。結果として現人類は魔力を外に放出する“穴”を失うこととなったわけである。
もっとも全てが失われたわけではない。魔法が使えなくなろうとも、生来持っている魔力自体は残っている。人類はその魔力を“肉体の強化”という形で無意識に行使するようになっている。俺やシャルグレーテのように単独で敵部隊を相手取れるような、常を越えた力を持つ戦士などがこれに該当する。
惨憺たる練磨の果てに、肉体がその状況に適応しようと余った魔力で補完するのだ。
ちなみにこれらを報告書にまとめたのは
「……というわけだ。喉が乾くな」
「ほう……ふむ」
横を見ればシャルグレーテは腕を組み頷いて……いや違う。馬の上で寝ている。頷いているふりをしているだけだった。どういう器用さなんだ、と感心してしまうほどだ。
コリンはちゃんと聞いていたらしいが、そもそも分かって無さそうだった。
「ああ……つまり……ええっと……」
「魔法というのは実在して、体の内部で働いている。だから夢とかそういった意識の無い状態での記憶は案外馬鹿にできない、という話だ。まぁ一人なら単なる戯言だが、集団で同じ夢とかになると魔物だのの介入が疑わしくなる」
「最初からそう言え。退屈で寝るところだったぞ」
「いや、完璧に寝てただろ」
そんなくだらないやり取りを楽しんでいる間にタルサス村らしき場所が見えてくる。
時刻は夕方。日が傾き始めた頃だった。