一矢はレックスの背中に突き立てた
レックスが咄嗟に振り返ろうとしたため、死神の弱点である心臓を外してしまった。
力を込め少しでも傷を深めようとする一矢。刃はレックスの肉を引き裂きながら彼の身体を貫通した。
「なるほど。ヴァルキリーの支配下から脱しても、この身体にはまだ死神としての残滓があると。そしてその特性を突いてくるような攻撃はまだ効くということか」
刃を突き立てられながらも冷静に分析するレックス。その間にも流れる血は彼のコートを汚し続ける。
「アマガセ! そいつから離れろ!」
椿がレックスの注意を引こうと銃撃を開始するが彼はそれを正面から受け止める。
決死の抵抗を続ける一矢をレックスは肘打ちで弾き飛ばした。
道路を転がる一矢。
肘打ちの衝撃に耐え握り締めた
先ほど赤口で胸を斬られた異能者がよろけるように一矢の下へ向かってくる。
彼に先ほどまでの軽快な動きはない。死神の権能の一部を譲渡された存在である異能者にも
ゆらゆらと着実に進んでくる異能者に対し一矢は立ち上がる事すらままならない。敵を妨害しようと椿が身を起こすが、レックスが殴りつける。
「ッ……椿さん……助けなきゃ」
自身の命の危機にも関わらず、どうにか椿を守る術はないのかと思考を巡らせる。
山刀を折られた異能者の男。カタストロフィのリーダーが、倒れる一矢にナイフを突き立てようとした時、レックスの声が響いた。
「退却する。使いが来た。カタストロフィと共に転移する」
「どうしてだ。こいつはヴァルキリーの死神だろ。殺さない理由があるのか」
「ある。俺は戦士としてこいつを軽んじ、侮辱した。その償いだ」
いつの間にかレックスの隣には、闇から溶け出てきたかのような長身の燕尾服の男が立っていた。
シルクハットにステッキ、片眼鏡を付けた出で立ちで、燕尾服は宝石によって飾り立てられ月光を反射させる。とにかく奇抜な格好をした男だった。
その男が問いかける。
「敵に情けをかけるのは侮辱ではないので?」
「情けではない。また俺に挑戦する機会を与えると言っている」
燕尾服の男はわざとらしく片眼鏡に指をかけ、しげしげと一矢を覗き込む。
「待てよ。そいつは俺の……」
「はい。転移」
燕尾服がパンと手を打つとリーダーは強制的にどこかへ転移させられた。
「誰だ……お前……」
「伯爵とでも、詐欺師とでもご自由に」
伯爵と名乗る男が一矢の問いに答える。
仮面兵に捕えられヘンゼルとグレーテルにいたぶられていた
「首尾は?」
「上々ですよ。最小の犠牲でグリムゲルデを引き付けることができました。立場上下手に動けないジークルーネよりも、あの軽はずみなロスヴァイセよりも、警戒すべきは彼女でしたから」
「そうか。俺たちも急ごう」
レックスの問いに対し、伯爵は上機嫌に答えた。
一矢は駐車場での戦いを空間に投影して見ていたことを思い出す。
異変に気付いたグリムゲルデが増援を送ってきてもおかしくはない。
一矢がそう思っているとまばゆい光と共に、グリムゲルデと仮面兵が一斉に転移してきた。
「詐欺師。お前まで戦場に出てくるとはな」
「これはご機嫌麗しゅうグリムゲルデ閣下。戦力の逐次投入は悪手だそうですが、今回の一件は聡明なあなたらしくないですね?
グリムゲルデは何も言わずに伯爵をにらみつけた。
「おお怖い。仮面がないと迫力が増しますな。では失礼」
伯爵が恭しく一礼すると彼とレックスは転移していった。
「……撤収する。負傷者を連れて行け」
グリムゲルデは仮面兵に指示を出すと倒れたままの一矢の下まで向かってくる。すかさず一矢を引き起こす仮面兵たち。
一矢は初めて死神として敗北した屈辱を味わいながら意識を失う。
その一矢に向けてグリムゲルデは小さくつぶやいた。
「お前は一体何者だ?」
本営で一矢が意識を取り戻すと彼はすぐさまグリムゲルデの前まで引き立てられた。
既にそこにはヘンゼルとグレーテル、椿、レッドフード、数人の仮面兵がいた。
「来たな。名と言い分を申せ」
そう言うグリムゲルデの顔には新しい仮面が付けられていた。突然の出来事に一矢が一瞬言いよどむと周囲の仮面兵たちが一斉に一矢の方を見た。
「あ、天ケ瀬一矢です。言い分というのは……?」
「こいつだ。こいつが僕の指示通りに動かなかったから失敗したんだ」
「そうよ。アマガセがレッドフードを巻き込んだの。おかげでレックスが自由に動けるようになったんじゃない!」
兄妹の言葉で一矢は理解した。敵を取り逃がした責任の擦り付け合いが行われているのだ。
「お前たちが言ったんだろう。レッドフードは聖火への備えがあると。起爆のタイミングもお前の指示だった」
「違う。あいつが先走ったんだ! それにレッドフードにそんな権能がないことなんて知ってるはずだろ!」
椿が一矢を弁護するが、ヘンゼルも必死だ。引き下がるつもりはないらしい。
レッドフードは仲間を庇うつもりなのか何も言おうとしない。
ボロボロになった彼女を少しも省みようともしないヘンゼルの言い分を聞いていると、一矢は段々と苛立ってくるのを感じる。
「黙れ」
仮面の下から冷たい視線が一矢を射抜く。
「貴様らには聞いていない。アマガセとやら、お前はどうだ」
「……椿さんの言った通りで、起爆はヘンゼルの指示です。奴のせいで危うく死ぬところでした」
「そうか。平行線だな」
そう言うとグリムゲルデは兄妹の前に立った。
「貴様らには十分な利用価値があることは認めよう。だがそれだけでは看過できない罪を犯した。同胞の殺害だ」
「……同胞の殺害? 何かの間違いだろ」
「そうよ! 何か証拠でもあるって言うの!?」
仮面の戦乙女は剣を抜き、ヘンゼルの首に当てた。
「
ヘンゼルがグリムゲルデから視線を逸らす。
「駐車場での戦闘に貴様らは参加していなかったな。その時一体何をしていた?」
「状況証拠だけで決めつける気か? ヴァルキリーらしくもない」
「そうよ! そうよ! わたしたちは無実だわ!」
具体的な反論のできない兄妹にグリムゲルデは口元だけで笑みを作った。
「なら戦って無実を証明しろ。勝った方が正しいものとする。昔からの習わしだ」
「誰とさ? まさかヴァルキリーと戦えとでも? 馬鹿馬鹿しい!」
「違う。もう一人の被疑者。アマガセ・カズヤとだ。やつは何故か死神殺しの権能を隠し持っていた。あのレックスに一太刀浴びせるほどの権能を隠すとはおかしな話じゃないか?」
一矢の全身から冷や汗が流れた。全くいわれのない容疑だったからだ。