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第4話 椿響子という女

 ドクトゥール・スペクトルはビルからビルへと飛び移り、一矢を追う。


 体内に取り込んだ天ケ瀬弓美あまがせゆみの魂が、一矢の場所を察知し地上からの追跡を可能にしていた。


「ふむ。人間風情が私の流儀を突いてきたとは。一体誰に吹き込まれたのやら」


「獲物の死を見届ける」こと、それがスペクトルの狩りの流儀。


 狩りの流儀。


 正確に言えば死神になるきっかけや生前の習性が、長い死神としての生の中で強化されたこだわりのようなもの。


 多くの死神はそういった流儀を胸に抱き、精神的支柱としたり、自らに課す誓いにしている者もいる。


 なのでスペクトルからすれば人間にそれを逆手に取られたことが我慢ならなかった。


 死神は怪異を狩り、人外を狩ることで人智を超えた存在であり、彼自身それを誇りに思っていた。


 そして図らずもスペクトルは人間の身で高位の魔術師を殺害したことで、その力が『世界の管理者』に認められ「命を狩るもの」……死神へと魂が昇華したのだ。


 つまりスペクトルの「獲物の死を見届ける」という狩りの流儀は、生前殺人鬼として世間を騒がせていた人間時代からの趣味と実益を兼ね備えたものと言える。


「さてさて……裏に誰がいるかはわかりませんが、久しぶりの死合いを楽しもうではありませんか」


 たどり着いたのは埠頭にある倉庫の集中する地帯。


 そして一矢の気配を一際強く感じる倉庫の前でスペクトルは立ち止まり、顔を覆った布の上からでもわかる大きな笑みを浮かべた。




 ギギギギギ……


 シャッターを金属の爪の指輪で引き裂きながらスペクトルは倉庫への侵入を試みる。


 倉庫の内部には無数のコンテナが積み重ねられていた。


 そこは椿によって仕掛けられた無数の罠が眠る迷宮であり、彼女の“狩場”。


 椿は狩場へ無防備に入ってきた獲物、スペクトルへすかさず攻撃をしかける。


 ドゥン! ドゥン! ドゥン!


 積み上げられたコンテナの上から銃撃する。排出された薬莢がコンテナの上で跳ねて金属音を立てた。


 常人であれば頭が吹き飛ぶほどの一撃が三発。


 スペクトルの頭が勢いよく後方へ傾く。


 椿は微塵の隙も無く、容赦なく銃撃を続ける。


 が、スペクトルに効いたように見えたのは三発までで、それ以降彼の頭は微動だにしない。


 スペクトルは銃撃を受けながら平然と前進する。


 椿は銃撃が効いていないことを確認すると、ライフルを放り捨てコンテナから大きく飛び降りた。


 当然この不意打ちがスペクトルに効果がないことくらい彼女は知っている。


 何せ椿響子という女は十五年間この男を追い続けてきたのだ。


 最初の攻撃はコンテナ内に隠れた一矢から、椿に目を向けさせるための陽動だった。


 十メートルほどの距離を開けて二人が対峙する。


「はあ。こんなもので私を殺そうと思っていたと? そして、見る限りあなたは……同業、死神ですね?」


 額に貼り付いた銃弾を剥がしながらスペクトルが首をかしげた。


 穴の開いた口元の布も剥ぎ取って捨てる。


 無言の椿にスペクトルは問いかけを続けた。


「そう。射撃だけはお上手ですが特別な能力らしきものは何も、何も感じませんでした。レディーに年齢を聞く無礼をお許しいただけるのであれば、死神としてどれくらい経つのかお聞きしてもよろしいでしょうか?」


「……三百年になる」


 途端にスペクトルは表情に落胆の色を見せる。


「まさかまさか。三百年もの間狩りを続け、これだけ? 本当に? ……いや失礼失礼。駆け出しの死神か何かだと思っていました。不快にさせるつもりはなかったのですよ、レディー」


「“共喰い”のツバキだと知っても?」


「ああ……ありえない。悪名高き死神狩りの一人がこんな程度の出来だとは思っていませんでした。失望、そう失望しましたよ。ミズ・ツバキ」


「お前こそ私を失望させないように。私程度に殺されては他の“千年級”の死神たちの名に傷がつくというものだ」


 それを聞いたスペクトルはただ不快そうに目を細め、椿を指差し声高に告げた。


「では。始めましょうか、私の千年の研鑽を侮辱した罪を……」


「もう始まっている」


 轟音とともにスペクトルが爆炎に包まれた。


 椿が予め仕掛けておいた地雷のスイッチを入れたのだ。


 それは霊魂を数多く取り込んだ不浄の存在であるスペクトルに効果があると見込んで用意した、原初の炎“プロメテウスの火”を擬似的に再現した聖火を発する特製の地雷。


 これと同じ感知式の地雷と操作式の地雷がこの倉庫の至る所に仕掛けられている。


「なるほど。ミズ・ツバキ、あなたは死神というより狩人と言うべきだ」


 炎に包まれたスペクトルがロングコートを勢いよく翻す。


 彼を包んでいた業火は飛び散って消え、コートの内側に無数の発光する卵のような物体が括り付けられているのが見えた。その数は数十個。


「しかし。この程度で私のような千年級の死神と渡り合おうとは。その驕りには罰が必要ですね。ミズ・ツバキ?」


 コートに括り付けられた卵の一つが光を失い砕けた。


「ほら。あなたの今の攻撃は、霊魂を加工したこの無数の身代わりのうちの一つを壊しただけに過ぎない。これら全てを破壊した上で初めて私を傷つけることができるのです。……思い上がりは、正さねば」


 再びスペクトルが歩み寄ってくる。地雷など意に介していないように。


「そうか。それで足りればの話だがな。手持ちの管理は十分なのか?」


「クク……残りの身代わりが三十九個。今の炎の三十九回分……と言えばあなたでもわかりますか?」


「へえ……」


 含みのある笑みを浮かべる椿。


 すると突如として二人の左右に設置してあるコンテナが爆発した。


 左右に二個ずつ積んであるコンテナ四つが火を噴く。それは倉庫ごと崩れるほどの爆発に思えた。


 椿の自殺行為としか思えない行動に流石のスペクトルも驚きの色を隠せない。


 彼女は自滅覚悟でスペクトルを殺すつもりなのか。


 否。即座に爆炎が弧を描くように形を変え、うねりながら一点に集中する。


 その炎の目標はスペクトルに他ならなかった。炎に包まれ吹き飛ばされるスペクトル。


「念のためもう一度聞こうか。手持ちの管理は十分なのか?」

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