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この関係をなんと呼ぶのか私は知らない

 濡れた髪を拭きながら、バスローブを羽織った先輩が近づいてきた。

 先にシャワーを浴びた私は既に着替え先輩が出てくるのを待っていた。

 いつも通りだ。

「それでは先輩、帰りますね」

「ん」

 私は玄関を出て、バス停まで歩く。


 私たちの、この関係は誰も知らない。

 私と先輩の、この関係をなんと呼ぶのか私は知らない。

 どうしてこうなったのか、今までの事を思い出しながら歩いた。




 先輩を初めて認識したのは、大学で入った文芸サークルだ。

 私は昔から本を読むのが好きで、高校の時からは自分でも物語を書き始めていた。小説と言うには恥ずかしいくらいのもので、単なる物語だ。最近はネット上にアップしているが読者は少数だ。それでも読んでくれる人がいて少しでも反応があれば嬉しくなる。

 もっといろんな文章を読んで、もっと自分でも良い文章を書けるようになりたいと思ってサークルに入った。

 そのサークルは、それほど大所帯ではなかった。毎週金曜日に集まって、その中の数人の書いた小説を読み、感想を言い合っていた。


 私は地方出身の、どこにでもいる目立たない学生だ。

 それに比べて先輩は、とっても目立つ人ーー外見も行動もーーで、学内でも有名人だった。

 顔は綺麗、スタイルも良い、無口であまり笑わないが陰があってそれがかえって魅力となっていて、モテる。曰く、恋人が途絶えた事がない、らしい。

 そう、私とは住む世界がまるで違う人だった。





 その日も、サークル内での三人の小説を読み合っていた。誰が書いたものかは最後に発表することになっている。

 最初の二人のは、いろんな視点での感想や意見が活発に交わされた。文章の構成が秀逸だとか、伏線の回収の仕方だとか参考に出来そうなものもあった。


 最後の一人の小説に関しては、感想の発言がなかなか出なかった。なぜなら文章が抽象的で難しいから。何を言わんとしているのか、みんな理解に苦しんでいた。

「佐藤さん、どう思う?」

 四年の部長に指名された私は、正直な感想を発表した。

「悲しい事があったんだなと思いました。今はまだその感情に支配されている感じ、でしょうか」

 みんなが私に注目していたから、最後は尻すぼみになってしまった。

 あまり同意は得られなかったけれど、私の素直な感想だ。


「あれ、作者名書いてないや」

 結局、誰が書いた文章なのかは分からずじまいだった。

 その後すぐに解散となり、同じ1年の子たちと部屋を出た。

 私はバスで通学しているために、バス停へ向かっていたが、スマホがないことに気が付いた。

「スマホ忘れたみたい、探しに行ってくるから先行ってて」

 サークルに行く前にはあったはずだから、部屋で落としたのかな。一応廊下なんかもキョロキョロ見ながらさっきまでいた部屋へ戻る。

 まだ電気は点いていて、誰かがいるみたいだ。



「あっ」

 そこにいたのが三年の氷室先輩だった。

 綺麗な人、それが私の第一印象。

 下級生と話をする事は皆無で、三年生同士でもほんの少しの会話で終わっているようだった。

 孤高の人、という言葉がピッタリだと思う。

 今も一人で、何かを熱心に見ている。

 その横顔に見惚れ、気付いたらすぐ近くまで来ていた。

 手元には、さっき私が感想を発言した小説があった。もしかしたら氷室先輩が書いたもの?





「あっ」

「誰?」

「すみません、スマホを忘れたみたいで」

 ジッと見つめられて動けなくなった。

「番号」

「え?」

「電話番号言って」

「あぁ、えっと」

 先輩が通話ボタンを押すと、後方からブーブーとバイブ音が聞こえてきた。

「あ、ありました。ありがとうございました」

 振り向いてお礼を言ったら、すぐ目の前に先輩はいた。そして唇が重なった。

 えっ、何?

 動けなかった。

 キス、された?


 先輩はすぐに離れて帰る準備を始めていたけど、私は微動だに出来なかった。


 なんで?

 先輩はどっからどうみても女性で、私も一応は女性で。

 いや、仮に男女だとしても、今初めて喋ったような間柄だし。

 え、なんで?


「行くよ」

「へ?」

「鍵、かけるから」

「あ、はい」


 後をついて部屋を出た。

 先輩は鍵をかけて歩き始めた。

 私も少し後ろを歩いた。

 途中の守衛室に鍵を置いて先輩が向かった先もバス停だったので、ずっと後をつけるみたいな形なった。

 バス停では隣に立ち、バスを待つ。

 一言も交わさず、目も合わさなかったけど、私は左隣が気になって仕方ない。

 先輩は、私のことなんて眼中にないのだろうが。


 バスがやってきて乗り込む。空いている席は少ない。先輩が窓際に座る。   その隣に座っても良いものか、一瞬迷う。

 モタモタしてたらバスが動き出し、身体が揺れて転びそうになる。その瞬間、細い腕が目の前に現れた。

 いつの間にか先輩の隣に座っていた。

 あれ、先輩が助けてくれたの?

「ありがとうございます」

 小さな声だったので聞こえなかったかな、先輩は無言だった。

 無言で車窓を眺めている、その横顔に魅入る。


 ふいに目が合った。

 バスは減速していて、停車するバス停を告げていた。あれ、もうここまで来ていたの? どれだけ先輩の顔を見つめボーッとしていたのか。私が降りるバス停の二つ前だった。

「降りるから」

 先輩の言葉に我にかえる。

「あ、すみません」

 私は一旦立ち上がり、このバス停で降りるという先輩を通した。再び座ろうと思った瞬間、腕を掴まれる。

「来て」

「えっ」

 強い力ではないから、振り解いて座ることも出来たはずなのに、私は何かに引き寄せられるように、バスを降りていた。そしてそのまま先輩の部屋へと入っていた。

 なんでだ?





 部屋に入ってすぐに、先輩は暖房をつけた。

 そして、抱きしめられた。

「うわっ」

 だから、なんでそうなるの?

 今日はもう、わけのわからないことばかりが起こる。

 思考が追いついていかないため、もう流れに身を任せるしか出来なかった。


「あったかい」

 小さな声だけど耳元なのでハッキリ聞こえた先輩の声。

 そういえば先輩のダウンコートはモコモコでーー寒がりなのかな。

 私は湯たんぽ代わりか、そう思えば納得がいく。

 それを裏付けるかのように、部屋が暖まったら先輩は私から離れた。

 離れる瞬間、ほんの少し寂しさを感じたことは気のせいだと思いたい。

 先輩はダウンを脱いでハンガーにかけた。

「脱いで」

「あ、はい」

 私は着ていたコートを脱いだ。

「脱いで」

 ん? 脱ぎましたけど、えっと……まさかとは思うけど、更に脱げと?

「こ、ここで?」

「それもそうね、来て」

 連れて行かれたのは寝室で。

 マジか、いやでも、さすがにそれは……

「ひえっ」

 ボーッとしてたら先輩の手がスルスルと。私はいつの間にか下着姿で、ベッドに押し倒されていた。

「先輩?」

 私の上でジッとしている先輩。

「やっぱり暖かい」

 それはそうだと思う。なんてったって私はあの最初の不意打ちのキスから、身体が火照りっぱなしなんだもん。

 身体を起こして、私の目を覗き込む先輩。切れ長の目をさらに細めてゆっくり近づく。あと少しで唇が触れる寸前で止まる。

 今度は、不意打ちではない。

 覚悟は出来ているーー私は目を閉じた。





「もしかして、初めてだった?」

 事後、シャワーを借りて身支度を終えた後の先輩の問いに、体がビクッと反応した。

「そ、そんな訳ないじゃないですか」

 嘘だった。恥ずかしながら、この歳までこういうことには無縁だった。もちろんキスも初めてだった。別に大切に守ってきた訳でもないし、多少の興味もあったしーーただ、こんな形で経験するなんて、私の凡庸な頭では想像すら出来なかったけどーーなんと言うか、先輩は……不思議な人だ。

 行為の最中は、普段からボーッとしている私の頭がさらにぼんやりしてハッキリ覚えていないのだけど、先輩の手とか肌とか息づかいなんかが情熱的だった事は覚えていて、今の、クールで人を寄せ付けない感じとのギャップが凄すぎて。

「先輩」

「なに?」

「あ、帰ります……ね」

「ん」


 玄関を出て、バス停へ向かう。

「なんて日だ」

 つい口から溢れてしまう。

 それでも、いつもと違う非日常な出来事を思い出すと動悸が激しくなり勝手に顔も赤くなる。あれ、私笑ってる? 側から見たらおかしい人じゃないか。

 と、ふと車道を見るとバスが追い越して行く。

「やば」

 私は駆け足になって、ちょうどよくやってきたバスに乗り込んだ。


 いつものバス停で降り自分のアパートへ着く頃には、あの出来事は夢だったんじゃないかと思い始め、土日はバイトを詰め込んでいることもあって、すぐにいつもの日常へと戻っていった。




 次の金曜日のサークルの日。

 さすがに先輩の姿を見れば緊張し、また動悸がはじまる。あんな事があって意識するなという方がおかしいだろう。

 それなのに、先輩は普段通り。

 どっからどう見てもいつもの先輩だった。

 そう、きっと先輩にとったら何でもない事なんだろうな。


 会話はもともとないから、視線を合わせないようにすれば大丈夫。

 サークルの今日の課題の小説もあまり頭に入ってこないけれど、無難な感想を言っておけば過ぎていく。気にしない気にしない。

 今日はこのままサッサと帰ってしまおう。


 帰りのバスに乗り込む。何人かの後から先輩が乗ってくるのがチラッと見えた。先輩は後ろの方へ座ったようだ。私の横を通り過ぎていった。

「ぷはっ」

 あれ私、先輩が通る時息を止めてたみたいだ。気にしないなんて言いながら、思いっきり気にしてるじゃないか。

 まぁでも、通り過ぎてくれたのならばこのまま私はいつもの日常を繰り返すだけだ。


 バスや電車に乗っている時、私は空想をする。周りを見れば、イヤホンで音楽を聴いたりスマホをいじったりする人が多いが、私はしない。頭の中でいろんな事を思い浮かべるのが好きだ。友達からはよく『ボーッとしてる』と言われる。まぁその通りなんだけど、その時間は私にとっては至福の時なんだ。時には小説のストーリーが浮かんでくる時もあるんだよ、たまにだけどね。

 今日もあれこれ考えているうちに時間が過ぎていく。今日は主に晩御飯何にしようという議題だったけど。

 ふと視線を感じて見上げると、そこには先輩の綺麗な顔があって「来て」と言う。あれ、デジャヴ?

 バスは止まっていて、先輩の降りる停留所だった。


 強制的に降ろされた訳ではない、今回は腕も掴まれてない。

 それでも、来てしまった。

 そしてーー


 そんな事が何度もあって、今に至る。

 私は流されやすい性格ではあると思う。でも、どうしても、抗えないよ。先輩の目に惹きつけられる。こんな事、初めてだ。


 これが、どういう感情なのか私は知らない。


 私と先輩の、この関係をなんと呼ぶのか私は知らない。



To be continued


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