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第二十七話 絶望と希望の交差点

 意識の闇が晴れ、ひんやりとした冷たさを頬に感じながらイリアが瞼を開くと──そこは銀色の輝きに満ちる空間だった。



「ここは……」



 ゆっくりと上体を起こす。壁と天井が銀色にきらめく魔耀石マナストーンらしき六角柱状の鉱石に覆われている。床からも、まるで森を形作る木々のように隆起しており、幻想的な風景に目を奪われた。



(……綺麗なところ。でも、何でだろう。綺麗なのに……この輝きを見ていると、すごく悲しい気持ちになる)



 身体がこわばり、きゅっと胸が締め付けられる。イリアはいつもの癖でペンデュラムを握ろうとして、胸元にそれがないことに気付く。



(どこかで落とした……? それに私、どうしてこんなところに……)



 直前のことを思い返しながら前方を見やると、奥の階段を上った先に、宝珠セフィラの祀られた祭壇がある。さらに上層へ目を向けると、人の身丈ほどもある七色に輝く魔耀石マナストーンが鎮座していた。


 それが何であるのか一目で悟る。



「……神聖核コア。ここは……惑星延命術式女神のゆりかごの心臓部、ダアトなのね」



 胸がこんなにも締め付けられる理由が、イリアはわかってしまった。



(この空間を埋め尽くす魔耀石マナストーンは……女神の血族の、命の結晶。神聖核コアとなった〝女教皇ギーメル〟たちの成れの果てなんだわ)



 美しくも哀しい輝き。長い年月としつき理想郷アルカディアを存続させるために一体どれほどの同胞がその身を捧げたのか。見当も付かない。


 唇を引き結んで神聖核コアを見上げていると、



「目覚めたようですね、レーシュ──いえ、イルディリア・フィーネ・エスペランド様」



 年老いた男のねっとりとした低い声が響いた。聞き覚えのある声に〝真名〟を呼ばれ、イリアは振り返る。そこには幾人かを除いた枢機卿団カーディナルの面々が並び立っていた。


 中心にいるのはジョセフだ。彼は大仰に両手を広げ、天を仰ぎながら言葉を紡ぐ。



「今代の女教皇ギーメルよ、今こそ宿命を果たす時です。どうか、貴女様の〝愛〟で世界をお救いください……!」



 自身に負わされた宿命さだめを片時も忘れたことはないが、あまりにも唐突な宣告である。イリアは眉を寄せて拳を握り締めた。



「ずいぶんと……急な話ですね。それに、あんな乱暴なやり方で無理やり連れて来るなんて……酷いです」


「それはお詫び申し上げましょう。ですが、世界は今、危機に瀕しています。女神様の結界が揺らぎ、魔神の手勢が各地へ侵攻を開始したのです」



 ジョセフに続いて「もはや猶予は幾許もありません」「ご決断を、イルディリア様」と他の枢機卿が述べる。


 彼らは一様にイリアの犠牲を望む。それが当然のことであると疑いもせず、女神の血族として「役目を果たせ」と押し付けて来る。



(……私が神聖核コアになれば……本当に、世界は救われるの?)



 心がざわついた。少し前であれば、この身を捧げることを躊躇うこともなかっただろう。


 けれど、ルカと出会い、生きることの楽しさと喜びを知って、イリアの心に未練が生まれた。



(だとしても、宿命からは逃げられないと知っていたから、諦めていた。でも……見つけてしまった。一縷の望みを。ルカと一緒に生きる未来を、想像してもいいのだと思ってしまった。なのに──)



 こんな仕打ちはあんまりだ。今ほど、己の血統を恨んだことはない。


 揺れる視界の端に映ったのは、七色に煌めく巨大な鉱石。神聖核コアとして捧げられる者を待ちわびてか、不気味に輝きを増している。まるで棺桶のようだとイリアは思った。



「恐れることはありません、イルディリア様。神聖核コアとなることは〝死〟ではないのです。確かに肉体は失われますが、貴女様の想いは永遠に巡り続けます。理想郷アルカディアを守る〝ゆりかご〟として」



 ジョセフが丁寧な声音で説く。もっともらしく語っているが、虚構だ。その証拠に、彼の表情には聖職者らしからぬ歪んだ笑みが浮かんでいた。


 だが、事態が差し迫っているのは、真実だろう。


 先程から宝珠セフィラの祀られた祭壇の頭上に展開した青白い画面に、各地の現在の状況と思わしき映像──漆黒の大穴より現れた魔獣と帝国兵が、侵攻する様子が映し出されている。


 世界が崩れ始めているなら、時間はない。



(……女神様。私はやっぱり、この道を選ぶしかないのですね)



 イリアは立ち上がり、ジョセフに背を向けた。


 ゆっくりと祭壇へ向かって歩く。

 このまま世界が滅びるのを、黙って見ていることはできない。



(だって、この世界には大好きな人と、大切な人たちが生きているから……)



 彼女たちが生きる世界を守りたい。そのためならば、身を捧げてもいいと思った。


 例え、ともに生きることが出来なくとも──。


 イリアは覚悟を胸に、靴音を鳴らして一段、一段、階段を上って行く。



(でも、失敗しちゃったな。こんなことなら……ちゃんとお別れを済ませておけばよかった)



 命の終焉へと向かう道程。遺してゆく人に想いを馳せて、響き渡る音に寂しさを覚える。



(……私の選択を、ルカはどう思うかな……。怒るよね、きっと。それに悲しんで、自分を責めるはず……)



 大切な人を失った経験のある彼女に、もう一度同じような喪失を味わわせることには罪悪感しかない。



(せめて、最後に一目……会いたかったな)



 重い足取りで階段を上りきったイリアは、澄んだ音を奏で静かに鎮座する鉱石を見つめた。


 これは、何代もの女教皇ギーメルの尊い犠牲の象徴だ。これより自分も、彼女たちと



「ルカ、ノエル……ごめんね」



 呟きながらイリアはすっと手を伸ばし、触れた。途端に七色の魔耀石マナストーンが激しく白光し始める。



(ここで〝あの歌〟を謳えば儀式が始まる。世界は新たな庇護を得て、救われる……)



 頭では理解していた。そのための覚悟も、出来たはずなのに──。


 手が震えた。唇が、上手く動かせない。

 どうしても迷いが生じて、イリアは動けなかった。



「イルディリア様、何を迷っておられるのです! 貴女以外、誰も世界を救えないのですよ! 女神様の子孫でありながら、女神様の愛した理想郷アルカディアを、見捨てるのですか!?」



 罵声にも似たジョセフの怒声が響く。

 「役目を押し付けないで」と言い返せたらどんなに楽だったか。


 しかし、嘆いたところで、残酷な現実は変わらない。


 イリアは瞼を伏せて、音を紡ぐために息を吸い込んだ。そうして、『愛し子よ──』と一小節目を口ずさんだ時。



「イリア、早まらないで!」


「姉さん、やめるんだ!」



 鼓膜を割らんばかりの声量で、二つの声が響き渡った。

 声は宝珠セフィラの置かれた祭壇から。


 振り返ると、祭壇の魔法陣が淡い青色の閃光を放っていた。

 そこから襟足で束ねた漆黒の髪を靡かせるルカと、銀糸の髪を靡かせるノエルが飛び出し、一気に駆け上がって来る。


 イリアは衝撃に目を見開く。



「ルカ……ノエル……どうして?」


「どうして、じゃないわよ! 勝手に諦めて、一人で決断しないで!」


「世界の行く末がどうであれ、僕は姉さんの犠牲を望まない!」



 二人は同時に叫び、イリアの前へ立ちはだかった。

 立ち尽くすイリアの手をノエルが素早く掴んで神聖核コアから引きはがし、ルカが刀を構えて枢機卿団カーディナルへ対峙する。



「教皇聖下! 好きにしろと仰ったのは貴方でしょう、今さら邪魔をするのですか!」


「黙れ! 聖職者を語る俗物め。お前たちのやり方を認めたことなど一度たりともない……!」



 目を見張り声を荒げるジョセフを、殺気を放つノエルが睨みつけた。



「イリア、貴女一人に宿命を背負わせたりしないわ。一緒に道を切り拓きましょう」


「僕は姉さんを救うための手段をいとわない。今もその考えは変わらないが……可能性があるなら一度くらいは乗ってやる」



 枢機卿と対峙しながら宣言する二人の言葉を受けて、イリアの胸に熱いものが込み上げる。



「ルカ……ノエル……」



 宿命を受け入れるしかないと思っていた自分に、二人は手を差し伸べてくれる。

 「諦めるな」と励ましてくれている。


 今なら〝破壊〟〝創造〟〝調和〟三人の力を合わせ、絶望の未来を変えることが出来るかもしれないと──イリアの胸に希望の光が灯った。

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