意識の闇が晴れ、ひんやりとした冷たさを頬に感じながらイリアが瞼を開くと──そこは銀色の輝きに満ちる空間だった。
「ここは……」
ゆっくりと上体を起こす。壁と天井が銀色に
(……綺麗なところ。でも、何でだろう。綺麗なのに……この輝きを見ていると、すごく悲しい気持ちになる)
身体がこわばり、きゅっと胸が締め付けられる。イリアはいつもの癖でペンデュラムを握ろうとして、胸元にそれがないことに気付く。
(どこかで落とした……? それに私、どうしてこんなところに……)
直前のことを思い返しながら前方を見やると、奥の階段を上った先に、
それが何であるのか一目で悟る。
「……
胸がこんなにも締め付けられる理由が、イリアはわかってしまった。
(この空間を埋め尽くす
美しくも哀しい輝き。長い
唇を引き結んで
「目覚めたようですね、レーシュ──いえ、イルディリア・フィーネ・エスペランド様」
年老いた男のねっとりとした低い声が響いた。聞き覚えのある声に〝真名〟を呼ばれ、イリアは振り返る。そこには幾人かを除いた
中心にいるのはジョセフだ。彼は大仰に両手を広げ、天を仰ぎながら言葉を紡ぐ。
「今代の
自身に負わされた
「ずいぶんと……急な話ですね。それに、あんな乱暴なやり方で無理やり連れて来るなんて……酷いです」
「それはお詫び申し上げましょう。ですが、世界は今、危機に瀕しています。女神様の結界が揺らぎ、魔神の手勢が各地へ侵攻を開始したのです」
ジョセフに続いて「もはや猶予は幾許もありません」「ご決断を、イルディリア様」と他の枢機卿が述べる。
彼らは一様にイリアの犠牲を望む。それが当然のことであると疑いもせず、女神の血族として「役目を果たせ」と押し付けて来る。
(……私が
心がざわついた。少し前であれば、この身を捧げることを躊躇うこともなかっただろう。
けれど、ルカと出会い、生きることの楽しさと喜びを知って、イリアの心に未練が生まれた。
(だとしても、宿命からは逃げられないと知っていたから、諦めていた。でも……見つけてしまった。一縷の望みを。ルカと一緒に生きる未来を、想像してもいいのだと思ってしまった。なのに──)
こんな仕打ちはあんまりだ。今ほど、己の血統を恨んだことはない。
揺れる視界の端に映ったのは、七色に煌めく巨大な鉱石。
「恐れることはありません、イルディリア様。
ジョセフが丁寧な声音で説く。もっともらしく語っているが、虚構だ。その証拠に、彼の表情には聖職者らしからぬ歪んだ笑みが浮かんでいた。
だが、事態が差し迫っているのは、真実だろう。
先程から
世界が崩れ始めているなら、時間はない。
(……女神様。私はやっぱり、この道を選ぶしかないのですね)
イリアは立ち上がり、ジョセフに背を向けた。
ゆっくりと祭壇へ向かって歩く。
このまま世界が滅びるのを、黙って見ていることはできない。
(だって、この世界には大好きな人と、大切な人たちが生きているから……)
彼女たちが生きる世界を守りたい。そのためならば、身を捧げてもいいと思った。
例え、ともに生きることが出来なくとも──。
イリアは覚悟を胸に、靴音を鳴らして一段、一段、階段を上って行く。
(でも、失敗しちゃったな。こんなことなら……ちゃんとお別れを済ませておけばよかった)
命の終焉へと向かう道程。遺してゆく人に想いを馳せて、響き渡る音に寂しさを覚える。
(……私の選択を、ルカはどう思うかな……。怒るよね、きっと。それに悲しんで、自分を責めるはず……)
大切な人を失った経験のある彼女に、もう一度同じような喪失を味わわせることには罪悪感しかない。
(せめて、最後に一目……会いたかったな)
重い足取りで階段を上りきったイリアは、澄んだ音を奏で静かに鎮座する鉱石を見つめた。
これは、何代もの
「ルカ、ノエル……ごめんね」
呟きながらイリアはすっと手を伸ばし、触れた。途端に七色の
(ここで〝あの歌〟を謳えば儀式が始まる。世界は新たな庇護を得て、救われる……)
頭では理解していた。そのための覚悟も、出来たはずなのに──。
手が震えた。唇が、上手く動かせない。
どうしても迷いが生じて、イリアは動けなかった。
「イルディリア様、何を迷っておられるのです! 貴女以外、誰も世界を救えないのですよ! 女神様の子孫でありながら、女神様の愛した
罵声にも似たジョセフの怒声が響く。
「役目を押し付けないで」と言い返せたらどんなに楽だったか。
しかし、嘆いたところで、残酷な現実は変わらない。
イリアは瞼を伏せて、音を紡ぐために息を吸い込んだ。そうして、『愛し子よ──』と一小節目を口ずさんだ時。
「イリア、早まらないで!」
「姉さん、やめるんだ!」
鼓膜を割らんばかりの声量で、二つの声が響き渡った。
声は
振り返ると、祭壇の魔法陣が淡い青色の閃光を放っていた。
そこから襟足で束ねた漆黒の髪を靡かせるルカと、銀糸の髪を靡かせるノエルが飛び出し、一気に駆け上がって来る。
イリアは衝撃に目を見開く。
「ルカ……ノエル……どうして?」
「どうして、じゃないわよ! 勝手に諦めて、一人で決断しないで!」
「世界の行く末がどうであれ、僕は姉さんの犠牲を望まない!」
二人は同時に叫び、イリアの前へ立ちはだかった。
立ち尽くすイリアの手をノエルが素早く掴んで
「教皇聖下! 好きにしろと仰ったのは貴方でしょう、今さら邪魔をするのですか!」
「黙れ! 聖職者を語る俗物め。お前たちのやり方を認めたことなど一度たりともない……!」
目を見張り声を荒げるジョセフを、殺気を放つノエルが睨みつけた。
「イリア、貴女一人に宿命を背負わせたりしないわ。一緒に道を切り拓きましょう」
「僕は姉さんを救うための手段を
枢機卿と対峙しながら宣言する二人の言葉を受けて、イリアの胸に熱いものが込み上げる。
「ルカ……ノエル……」
宿命を受け入れるしかないと思っていた自分に、二人は手を差し伸べてくれる。
「諦めるな」と励ましてくれている。
今なら〝破壊〟〝創造〟〝調和〟三人の力を合わせ、絶望の未来を変えることが出来るかもしれないと──イリアの胸に希望の光が灯った。