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第二十六話 宿命を断つ共闘

 ルカはイリアのペンデュラムを手に二つの封印を越えて、宝珠の祭壇セフィラ・アルタールを訪れる。


 ここは惑星延命術式女神のゆりかごの要。世界樹の根が張り、濃密なマナに満たされた空間。扉が開くとまず目に飛び込んだのは、赤く変色する魔法陣と宝珠セフィラの不気味な輝き。


 その中心に純白の祭服カズラに身を包み、銀糸の髪を揺らすノエルの姿があった。


 凍てついた灰簾石タンザナイトの瞳が宙に浮かぶ画面を射抜き、口元に薄ら笑いを浮かべながら操作盤パネルを叩いている。

 以前に見た時とは、かけ離れた印象を受けた。


 「エル」と声をかけて、足を踏み入れようとした瞬間、喉元へ剣を突き付けられる。視線だけ動かして見やると、ガタイが良い聖騎士──聖騎士長アイゼンの鋭めた瑠璃色ラピスラズリの瞳とかち合った。


 画面に向き合ったままのノエルが告げる。



「ルカか。ということは、アインは失敗したのかな。……困ったね、どうせ姉さんもいるんだろう?」


「やっぱり、あれはエルの差し金だったのね。イリアをどこへ連れて行ったの? 何故、アインと帝国の兵が一緒にいたの!?」



 焦りを滲ませて問いかけると、ノエルが手を止めて振り返った。怪訝そうに眉をひそめている。



「帝国兵だって……?」


「そうよ! エル、一体何をしようとしているの? イリアをどうしたの……!?」



 まくし立てる声が怒りと不安で震えた。



「アインが言っていたわ! 『お姫様には役目を果たしてもらわないと。あのお方も枢機卿団カーディナルも、それを望んでいますからね』って……」



 もし、役目が神聖核コアとなる宿命のことを指していて、〝あのお方〟がエルのことだと仮定したら、どうだろう。


 イリアが死の運命を背負っていると、最初に自分へ教えたのはエルだ。ノエルがイリアを慕う姿もこの目で見た。


 しかし、彼が何を思い、何を考えているのかは、聞いたことがない。

 ルカはノエルに限ってまさかとは思いつつ、疑問を投げる。



「……エルも、イリアの犠牲を、宿命だから仕方ないと考えているの? 女神の血族として、役目を果たすべきだって……。だから、アインにあんなことを──」


「──そんなわけないだろ!」



 ノエルが怒号を響かせた。明らかな殺気の宿る瞳に睨まれて、背筋に冷たいものが走る。



「女神の血族の使命など、知ったものか! 姉さんは、僕の宝石……他の何者にも代え難い、唯一無二の存在なんだ! 姉さんが死ぬくらいなら、いっそ世界など滅んだ方がマシだよ! でも、優しい姉さんはそれを望まない……だから、僕は術式改変リベレイションを……っ」



 一息に告げたノエルがくしゃりと前髪を掻き上げた。苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。


 本心だろう。感情を露わにした彼の言葉から、切なる思いがひしひしと伝わってくる。



「……ごめんなさい、疑ったりして。エルがイリアを大切に想っているのは、知っていたのに……」



 不測の事態に動揺していたとはいえ、口にすべき言葉ではなかった。ルカは罪悪感を覚えて視線を逸らす。


 すぐにノエルが大きなため息をこぼす音が聞こえた。



「謝罪はいい。今考えるべきは、別のことだ。……ルカ。さっきのアインの言葉、そして帝国兵と一緒に居たというのは、確かだな?」



 ルカがノエルに視線を戻す。と、彼は手振りでアイゼンに合図を送り、喉元へ突き付けられたままの剣が下ろされた。

 ルカは薄皮の切れた喉を撫でながらうなずく。


 ほんの少しの沈黙のあと、ノエルは「そうか」と呟いて──。



「……くっ、はは……あはは!」



 狂ったように高笑いを始めた。



「エ、エル……?」



 突然の奇行にルカは狼狽える。本当に気でも触れてしまったのではないか、と心配になった。


 ちらりと横目でアイゼンの様子を窺う。彼は悔し気に唇を引き結んで、何かを堪えるように瞼を伏せている。


 ルカの思いをよそに、ノエルはひとしきり笑い終えると、今度は冷たい憎悪の炎を燃やした瞳を覗かせた。



「……してやられたよ。ジョセフめ、すでにアインを通じて帝国への根回しを済ませていたってワケか。好きにしろとは言ったが、こうも早く動くとは……っ!」


「ジョセフ猊下と帝国が……?」


「ああ。アインは帝国の出身だからね。使徒の能力ちからを気味悪がられて捨てられた、孤児みなしご……それがアインだ。……こちらを騙す狡猾なフェイクだったようだが」



 ノエルが拳を握り締め、震えている。怒りか、悔しさからか、もしくは両方が入り混じっているのか──表情が痛々しい。



枢機卿団カーディナルと帝国が手を組んだとなれば、時間がない。一刻も早く、姉さんを奪い返しに行かないと」


「どこへ行ったか、心当たりがあるの?」


「ヤツらは姉さんを神聖核コアに捧げるつもりだろう。だとすれば行きつく先は一つ」



 ノエルは画面へと向き直り、再度操作盤パネルを叩き始める。その足元で魔法陣が眩しく発光した。



「北にある大神殿だ。深淵しんえんの地、隠されし〝神の真意ダアト〟と呼ばれている。術式の心臓部が置かれたここしかない」



 室内に響く警告音が、嫌な胸騒ぎをあおる。ルカが周囲に浮かぶ青白い画面へ視線を送ると、聖都の状況らしき映像が映し出されていた。


 そこには、エターク王国で見た〝漆黒の大穴〟から帝国兵と魔獣が次々と現れ、無差別に攻撃を仕掛ける様子がある。



「エル、これ……!」



 ルカは画面に駆け寄って食い入るように見つめ、次いでノエルに視線を送った。



「帝国……いや、魔神の勢力が、各地の結界のほころびを突いて侵略を開始したみたいだね。聖都も他国も、ここから先は火の海だ」


「そんな……! どうしてこんな大事に……」


「僕の実験で生じた〝ひずみ〟に付け込んだんだろう」



 ノエルが忌々し気に画面を睨みつけ、吐き捨てる。ルカは息を飲んだ。


 攫われたイリアの行方、アインの裏切り、結託した枢機卿団と帝国、ノエルの実験に付け込んだ侵略──。


 すべてが一挙に絡み合い、世界が崩れ落ちてゆく音がする。


 終焉が近い。


 イリアが生贄にされる危機がまさに迫っている。

 今が、岐路だろう。



(私は、誓ったのよ。イリアを守るって。もう二度と、違えたりしないわ。今度こそ……!)



 ルカは誓いを胸に、ノエルの側へ並び立つ。



「エル、行きましょう。イリアを取り戻しに」


「共闘するつもり? 君と僕は相容れないと思うよ」


「そうかもしれないわね。でも、私はイリアのためならどんな手段もいとわない。それに、イリアを救いたいって想いは同じでしょう? それ以外に重要なことなんてないわ」



 瞳に決意の炎を燃やして、ノエルを射抜く。彼は「ふん」と鼻を鳴らしたが、わずかに口元を綻ばせる。



「いいだろう。枢機卿団カーディナルと帝国を出し抜いて、姉さんを取り戻す。……やり方は違えど、僕たちの優先すべきは姉さんだ」


「ええ。そのための協力は惜しまない。必ずイリアを助けましょう」



 ルカが手を差し伸べると、素っ気ないながらノエルも握り返し、二人は握手を交わした。

 共闘の盟約が結ばれた証だ。



「──アイゼン! 悪いが、聖都のことを頼めるか?」



 ノエルが呼びかけると、入口に控える彼は逡巡した。何かを迷っているように見える。

 だが、彼はほどなくして「承知しました」と静かに礼を取り、きびすを返した。


 去り際にアイゼンがノエルへ見せた表情は、なんとなくだが、主従ではなく、親が子へ向ける親愛と憂慮の表情だったように思う。

 自分が知る由もない絆が、二人の間にはあるのだろう。



「ルカ、行くぞ。準備はいいな?」


「もちろんよ。いつでも行けるわ」



 ルカが同意を示すと、ノエルは手のひらを祭壇の宝珠セフィラにかざした。宝珠セフィラから雷光のように光がほとばしり、魔法陣が蒼穹の青へと色を変えて閃光を放った。



(イリア、待っていて。今、助けに行くわ!)



 周囲で鳴り響く警鐘の音が、これから始まる戦いの火蓋を切るかの如く、響き渡る。


 ルカは最愛の存在を取り戻すため──転移に似た浮遊感とゆらめきに、身を委ねた。

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