ルカはイリアのペンデュラムを手に二つの封印を越えて、
ここは
その中心に純白の
凍てついた
以前に見た時とは、かけ離れた印象を受けた。
「エル」と声をかけて、足を踏み入れようとした瞬間、喉元へ剣を突き付けられる。視線だけ動かして見やると、ガタイが良い聖騎士──聖騎士長アイゼンの鋭めた
画面に向き合ったままのノエルが告げる。
「ルカか。ということは、アインは失敗したのかな。……困ったね、どうせ姉さんもいるんだろう?」
「やっぱり、あれはエルの差し金だったのね。イリアをどこへ連れて行ったの? 何故、アインと帝国の兵が一緒にいたの!?」
焦りを滲ませて問いかけると、ノエルが手を止めて振り返った。怪訝そうに眉をひそめている。
「帝国兵だって……?」
「そうよ! エル、一体何をしようとしているの? イリアをどうしたの……!?」
まくし立てる声が怒りと不安で震えた。
「アインが言っていたわ! 『お姫様には役目を果たしてもらわないと。あのお方も
もし、役目が
イリアが死の運命を背負っていると、最初に自分へ教えたのはエルだ。ノエルが
しかし、彼が何を思い、何を考えているのかは、聞いたことがない。
ルカはノエルに限ってまさかとは思いつつ、疑問を投げる。
「……エルも、イリアの犠牲を、宿命だから仕方ないと考えているの? 女神の血族として、役目を果たすべきだって……。だから、アインにあんなことを──」
「──そんなわけないだろ!」
ノエルが怒号を響かせた。明らかな殺気の宿る瞳に睨まれて、背筋に冷たいものが走る。
「女神の血族の使命など、知ったものか! 姉さんは、僕の宝石……他の何者にも代え難い、唯一無二の存在なんだ! 姉さんが死ぬくらいなら、いっそ世界など滅んだ方がマシだよ! でも、優しい姉さんはそれを望まない……だから、僕は
一息に告げたノエルがくしゃりと前髪を掻き上げた。苦虫を嚙み潰したような表情を浮かべている。
本心だろう。感情を露わにした彼の言葉から、切なる思いがひしひしと伝わってくる。
「……ごめんなさい、疑ったりして。エルがイリアを大切に想っているのは、知っていたのに……」
不測の事態に動揺していたとはいえ、口にすべき言葉ではなかった。ルカは罪悪感を覚えて視線を逸らす。
すぐにノエルが大きなため息をこぼす音が聞こえた。
「謝罪はいい。今考えるべきは、別のことだ。……ルカ。さっきのアインの言葉、そして帝国兵と一緒に居たというのは、確かだな?」
ルカがノエルに視線を戻す。と、彼は手振りでアイゼンに合図を送り、喉元へ突き付けられたままの剣が下ろされた。
ルカは薄皮の切れた喉を撫でながらうなずく。
ほんの少しの沈黙のあと、ノエルは「そうか」と呟いて──。
「……くっ、はは……あはは!」
狂ったように高笑いを始めた。
「エ、エル……?」
突然の奇行にルカは狼狽える。本当に気でも触れてしまったのではないか、と心配になった。
ちらりと横目でアイゼンの様子を窺う。彼は悔し気に唇を引き結んで、何かを堪えるように瞼を伏せている。
ルカの思いをよそに、ノエルはひとしきり笑い終えると、今度は冷たい憎悪の炎を燃やした瞳を覗かせた。
「……してやられたよ。ジョセフめ、すでにアインを通じて帝国への根回しを済ませていたってワケか。好きにしろとは言ったが、こうも早く動くとは……っ!」
「ジョセフ猊下と帝国が……?」
「ああ。アインは帝国の出身だからね。使徒の
ノエルが拳を握り締め、震えている。怒りか、悔しさからか、もしくは両方が入り混じっているのか──表情が痛々しい。
「
「どこへ行ったか、心当たりがあるの?」
「ヤツらは姉さんを
ノエルは画面へと向き直り、再度
「北にある大神殿だ。
室内に響く警告音が、嫌な胸騒ぎをあおる。ルカが周囲に浮かぶ青白い画面へ視線を送ると、聖都の状況らしき映像が映し出されていた。
そこには、エターク王国で見た〝漆黒の大穴〟から帝国兵と魔獣が次々と現れ、無差別に攻撃を仕掛ける様子がある。
「エル、これ……!」
ルカは画面に駆け寄って食い入るように見つめ、次いでノエルに視線を送った。
「帝国……いや、魔神の勢力が、各地の結界の
「そんな……! どうしてこんな大事に……」
「僕の実験で生じた〝
ノエルが忌々し気に画面を睨みつけ、吐き捨てる。ルカは息を飲んだ。
攫われたイリアの行方、アインの裏切り、結託した枢機卿団と帝国、ノエルの実験に付け込んだ侵略──。
すべてが一挙に絡み合い、世界が崩れ落ちてゆく音がする。
終焉が近い。
イリアが生贄にされる危機がまさに迫っている。
今が、岐路だろう。
(私は、誓ったのよ。イリアを守るって。もう二度と、違えたりしないわ。今度こそ……!)
ルカは誓いを胸に、ノエルの側へ並び立つ。
「エル、行きましょう。イリアを取り戻しに」
「共闘するつもり? 君と僕は相容れないと思うよ」
「そうかもしれないわね。でも、私はイリアのためならどんな手段も
瞳に決意の炎を燃やして、ノエルを射抜く。彼は「ふん」と鼻を鳴らしたが、わずかに口元を綻ばせる。
「いいだろう。
「ええ。そのための協力は惜しまない。必ずイリアを助けましょう」
ルカが手を差し伸べると、素っ気ないながらノエルも握り返し、二人は握手を交わした。
共闘の盟約が結ばれた証だ。
「──アイゼン! 悪いが、聖都のことを頼めるか?」
ノエルが呼びかけると、入口に控える彼は逡巡した。何かを迷っているように見える。
だが、彼はほどなくして「承知しました」と静かに礼を取り、
去り際にアイゼンがノエルへ見せた表情は、なんとなくだが、主従ではなく、親が子へ向ける親愛と憂慮の表情だったように思う。
自分が知る由もない絆が、二人の間にはあるのだろう。
「ルカ、行くぞ。準備はいいな?」
「もちろんよ。いつでも行けるわ」
ルカが同意を示すと、ノエルは手のひらを祭壇の
(イリア、待っていて。今、助けに行くわ!)
周囲で鳴り響く警鐘の音が、これから始まる戦いの火蓋を切るかの如く、響き渡る。
ルカは最愛の存在を取り戻すため──転移に似た浮遊感とゆらめきに、身を委ねた。