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第二十四話 闇に囚われし調和

 イリアは禁書庫で得た手がかりを胸に、ルカと並んで大図書館の出口を出た。



惑星延命術式女神のゆりかごの再構築……うまく行くかわからないけど、そのためには【法王】を宿した教皇──ノエルの協力が必要不可欠、なんだよね)



 けれど、ノエルが首を縦に振るかどうかも、まったくの未知数だ。不安が胸に落ちる。

 つい俯いてしまっていると、ルカが「大丈夫よ」と凛とした眼差しを向け、微笑した。



(……不思議。ルカがそう言うと、本当に大丈夫な気がしてくる)



 つられてイリアも頬を緩めてしまう。



「行動を起こす前から、弱気になったらダメだよね。とにかく一度、ノエルと話してみないと」


「ええ。イリアのことが大好きななら、きっと協力してくれるわよ」


「うん。こんなところで立ち止まっていられないね」



 イリアは胸に輝くペンデュラムを握りしめ、前を向いて歩む。教団本部へ続く石畳の道を。


 ところが、大図書館から出て間もなく──。

 「キーン」と、耳朶を騒がす不快な音に、イリアは襲われた。



(何……?)



 思わず足を止める。耳鳴り……だと思われるが、音の波長が強まり、ズキンと頭が痛む。


 こめかみを押さえると、ルカが訝し気に「どうしたの?」と、イリアの顔を覗き込んだ。


 次の瞬間──。


 地面が微細に振動した。

 建物や街灯がわずかに揺れている。



「また地震? 最近多いわね……」



 ルカの呟きに、イリアはこめかみを押さえたままうなずく。

 幸いにも大した揺れではなく、程なくして収まったが──。


 今度は別の異変を目にする。


 突如として、道行く人が地面へ倒れ込んだのだ。それも一人ではなく、大勢の人が一斉に。



「なに? どうしたの……!?」



 目を見開き、狼狽えるルカを追い越して、イリアは近くで倒れる女性に駆け寄った。



「大丈夫ですか!?」



 肩に手を添えて呼びかける。だが、返って来るのはくぐもった呻き声。

 イリアは原因を探るため、魔術を使って


 ──すると、女性の体内を巡るマナがあまりにも少ないことに気付く。



(これは……まさか、マナ欠乏症?)



 弾かれるように周囲を見渡すと、倒れている人たち全員に同じ兆候が見られた。

 また、次々と力を失って崩れ落ちる人々の姿が目に映って、イリアは唇を噛む。



「イリア、どう? 何かわかった?」



 遅れてやって来たルカを見上げ、眉をひそめて答える。



「……多分、マナ欠乏症だと思う」


「マナ欠乏症って……魔術の使い過ぎとかでなるやつよね?」


「うん、こんな大勢が同時に倒れるなんて、普通では考えられないことだわ」



 なにか良くないことが起きているのではないか、と嫌な胸騒ぎがした。



「とにかく、治癒術をかけてみる。ルカは出来るだけ倒れた人を一カ所に──」



 そう言いかけたところに「魔獣が出たぞ!」と叫ぶ声が響く。

 イリアは驚いて顔を上げた。叫びを聞きつけた騎士が、街の方へ向かって駆けて行くのが見える。


 さらには、イリアとルカの通信の魔術器リンクベルがリンリンと鳴り、応答すると「街外れに魔獣が複数出現した」旨と「動ける者は討伐へ向かうように」との指示が淡々と告げられ、加えて「民衆の救助も急務である」と伝えられた。



「……イリア、どうする?」


「魔獣を放ってはおけない。でも、ここに倒れてる人たちをこのままにすることも出来ない。……だから、ルカ。魔獣の討伐は任せていい? 私はここで、救護に専念するわ」



 ルカは一瞬、何かを言いかけたが──まぶたを伏せて「わかったわ」と小さくうなずいた。



「その代わり、絶対に無理はしないこと。なにかあったら、すぐに連絡するのよ」



 ルカがそっと手を取って「いいわね?」と詰め寄りながら、柘榴石ガーネットのような美しい瞳で射抜いて来る。

 こんな時に不謹慎ではあるが、ほど近い距離に鼓動が跳ねた。


 この胸の高鳴りに気付かれないよう、平静を装って答える。



「わかってる。ルカも、もしもの時は私を呼んで。無理はしないでね」


「ええ。それじゃあ、行ってくるわね」



 ぬくもりの余韻を残して、ルカの手が離れていく。去り際に笑顔を見せた彼女の背は、あっという間に小さくなり、見えなくなってしまった。



「……気を付けて」



 イリアは不安でいっぱいになりそうな心を、一度目を閉じて静めた。こうしている間にも苦しんでいる人たちがいる。あちこちで呻き声を上げ、地面に伏して助けを待つ人たちが。



「大丈夫、私が助けるから……」



 イリアはすっと息を吸い込み、歌う。



『──紡ぐは慈愛と恵みの賛歌

 こぼれる雫よ 頬を撫でるは 愛の御手』



 人々へマナを分け与えるイメージで、治癒術の淡い旋律を奏でる。応急処置だが、なにもしないよりはマシだ。



『あふれる想いよ 愛しい子らを どうか優しく包んで

 傷つきし者へ癒しを 嘆く者へ光を……』



 イリアは詠唱うたうことに意識を集中させ、瞼を伏せた。

 この歌声が一人でも多くの人の救いになると信じて。



❖❖❖



 ──どれくらいの時間、そうしていたかはわからない。


 気付けば辺りには、救護に駆け付けた騎士や神官の姿があり、救援活動が始まっていた。



(……良かった、これなら大丈夫かな)



 イリアは歌を止め、安堵の息をつく。

 そこへ、慌ただしい足音を立てて近付く一人の司祭の姿を捉えた。


 彼はイリアの前へ来るなりひれ伏し、地面に額をこすり付ける。



(この人確か、ジョセフ猊下げいかの……)



 唐突な行動に驚いていると「レーシュ様、お願いです!」と彼は声を荒げた。



「どうか、ノエル聖下をお止めください……! この事態は、聖下が枢機卿団カーディナルがたの反対を押し切って、何らかの実験を強行したせいだと──」


「え……ノエ──教皇聖下が? そんな、まさか……」



 背筋が凍りつく感覚に陥る。心当たりがない、という訳でもない。



(私を神聖核コアの運命から解放するため、ノエルが色々と手を尽くしていることは知っていた。だけど、こんな……)



 イリアは震えそうになる手で胸のペンデュラムを握りしめる。



「このままではさらなる犠牲が出ます。猊下は、ノエル聖下の姉君であるレーシュ様なら……と仰っていました。どうか、どうか……!」



 司祭が必死に訴えかけて来る。

 イリアにとっても目の前に広がる惨状は看過できない。もしこんな事態を引き起こした理由が自分にあるなら、なおさらだ。



「わかりました。私が説得してみます。ノエルはどこに?」


「恐らく、祈りの間へ……」



 イリアは決意を固めて立ち上がる。そして、ノエルのいる場所を目指して駆け出した。


 心拍数が上がり、焦燥感が胸を締め付ける。

 脳裏を巡るのは「どうして?」という疑問ばかりだ。


 こんなことを望んだことは一度としてなかった。誰かを犠牲にするやり方は、許容できない。


 イリアは瞬きをするのも忘れて走った。息が上がって苦しくて、肌が汗ばんで髪が張り付く。


 それでもノエルを止めなければという一心で、大聖堂へ続く回廊を走り続けた。



❖❖❖



 ノエルに会えたのは、オーラム神殿の建物入口エントランスだった。

 高い天井を支える太い丸柱が間隔よく立ち並び、ステンドグラスの窓に囲まれたそこで、純白の祭服カズラをはためかせる彼を見つけた。


 傍には聖騎士の鎧を纏ったアイゼンと、漆黒のフリルドレスを揺らすアインが並び立っている。



「ノエル!!」



 手を伸ばして名を呼ぶ。と、ノエルは足を止め、細い銀糸の髪を靡かせて振り返った。



「……姉さんか。なにしに来たの?」



 角度によって色を変える灰簾石タンザナイトのような瞳は光を失い、冷たい青を湛えている。

 見つめられてイリアは身震いした。視線に一切のぬくもりが感じられない。



(知らない……こんなノエル、見たことがない)



 初めて見せる闇を孕んだ弟の面差しに、イリアは戸惑った。だが、ここで怖気づく訳にはいかないと、頭を振って恐怖を振り払う。



「聞いてしまったの、貴方がなにかしたせいで、聖都が大変なことになっているって。もしそれが私に関係することなら……お願いだから、止めて! 私は、自分の代わりに誰かが犠牲になることも、ノエルが手を汚すことも望んでいないの……!」



 ペンデュラムを強く握りしめて思いを伝える。

 それを聞いたノエルが、表情を変えぬまま大きなため息をこぼす。



「……姉さんの意思は関係ないよ。僕は僕が最善だと思った道をいく」


「お願い、私の話を聞いて。こんなことしなくても、惑星延命術式女神のゆりかごを再構築できる方法が──」


「アイン、ここは任せた」



 言い切る前に、淡々と会話は打ち切られ、ノエルが祈りの間の扉へ手を添えた。



「待って、ノエル!」



 追い縋ろうとするイリアの視界に、あざやかな赤紫クロッカスの髪色が広がる。



「レーシュ、ノエル様の邪魔をしたらだめですよ?」



 アインが行く手を阻んだ。つやめく唇が半月をえがき、うるんだ鮮やかな桃色ロードクロサイトの大きな瞳は怪しく輝いている。



「アイン、そこをどいて。どかないなら、力ずくでも……!」


「無駄ですよぉ? ノエル様は止まりません。だって、レーシュより大切なものなんて、あの方にはないですから」



 微笑まじりの悪戯っぽい口調に、怒りがこみ上げた。彼女の正確は知っているが、今日ほど憎らしく思えたことはない。

 瞳を細めて睨むと、アインが頬を染めてにたりと笑った。



「あは! レーシュの怒った顔、とっても素敵♪」


「ふざけないで! 私は、真剣に……」


「そうですねぇ、どうしても止めたいなら、レーシュが神聖核コアになるのが手っ取り早いですよ? それですべて丸く収まります。生贄になって世界を護って──ハッピーエンドです♪」



 イリアは反論できず、押し黙る。一度は自分も宿命を受け入れ、覚悟した。


 けれど──ルカとの約束がある。未来への一筋の光明も見えた。ここにきて女神の血族として当然の、美徳と思っていたはずの〝自己犠牲〟の精神は揺らいでいる。


 そんな一瞬の迷いをアインは見逃さなかった。彼女は「ふふっ」と微笑み、細い指先を伸ばしてイリアの胸元に触れる。



「悩んでいるのなら、私に身を委ねて? 夢の中で、悦楽に浸っている間に終わらせて差し上げます」



 「しまった」と思った時にはもう遅かった。アインの幻術が心の隙間に入り込み、イリアの意識を絡み取ってゆく。

 抵抗を試みるが、視界が暗転して、身体が泥へ沈むような感覚に陥る。



(……だ、め……、……ルカ……!)



 薄れゆく意識の底で、イリアは必死にルカの名を呼んだ。


 けれどもいくら呼んでも、叫んでも、声にならない。助けは来ない。



「……さぁ、安心してお眠りくださいな」



 鈴のように可愛らしくも、艶やかなアインの言葉を最後に、イリアの思考はぷつりと途切れた。

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