王都オレオールでの惨劇から一夜明け、ルカは襲撃の爪痕を横目にしながら、教団への帰路についた。
──二年の戦乱で命を落としたはずの皇太子ゼノン。
彼が生存していたこと、帝国兵と魔獣を率いて王都に被害をもたらしたことは、国中に大きな衝撃を与えた。
(この惨状の責任は、私にもあるわ……)
過去の贖罪もある。本当ならここに残って、復興に手を貸すべきだろう。
(でも、それは出来ない。私には他にやるべきことがある。……故郷よりも、大切な人がいる)
魔神の干渉から世界を守る、女神が遺した結界──〝
(魔神……ゼノンのこと、気になるわね。〝魔神ノクティスの意思〟って、どういうことなのかしら)
エクリプス教団の指導者と称される彼と、帝国。そこに魔神が繋がっているのなら、放ってはおけない。
ゼノンの影を追って行けば、魔神について有力な情報を得られるはず。
王都を離れることに、少なからず後ろ髪を引かれたが、ルカは迷わない。
邸宅の門前で母ユリエルと別れの挨拶を交わした時、ユリエルは毅然とした態度でこう伝えてくれた。
「ルカ、貴女にはやるべきことがあるのでしょう。王都の後始末は母に任せて、存分に戦いなさい。貴女の道を、貫くのよ」
──と。ルカはそんな母の言葉を胸に刻み、王都を後にする。
隣には銀糸を揺らすイリアが寄り添い、「行こう」と微笑んでいる。
(イリアは私を導き、救ってくれる光……)
かけがえのない存在だ。何があっても、失いたくない。
ルカはそのぬくもりを感じながら、王都の転移門へと足を進めた。
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アルカディア神聖国に戻ると、いつものように教団本部の威容を誇る建物がルカたちを出迎えた。ルカはこの場所を複雑な思いで見つめる。
ここは、女神の子孫が興した国。教団は〝世界樹の守護と世界の秩序を守る〟ことを教義・使命に掲げて、世界平和に貢献してきた。
(だけど、その裏では〝世界の為に〟って、身を捧げて来た女神の血族の犠牲があるのよね……)
帝国の脅威や魔神の影、そしてゼノンの存在——今や表向きの〝女神の庇護の象徴〟がどれほど危うい基盤の上にあるのか、巡回を経て痛感せざるを得なかった。
(……こんな負の循環は、止めないと)
ルカは大聖堂を見上げる。ひとまずは任務の完了報告へ、その後はイリアを救う手立てを見つけるためにも、女神と魔神のことについてもっと知る必要があるだろう。
「ねえ、イリア。表に開示されていない女神様の伝承や神話って、当然あるわよね?」
「うん。禁書庫に保管されているって話は聞いた事があるわ。でも……大部分が十年前に、失われていると思う」
「十年前?」
大聖堂の回廊を歩きながら問いかけると、イリアは長い睫毛の生えた瞼を伏せた。少しの間を置いて開かれた瞳は、哀し気に揺れている。
「……私たちの一族の暮らす集落が、魔獣に襲撃されたの。あそこには、女神様にまつわる物がたくさんあったけど、集落は、燃えちゃったから……」
迂闊な質問をしてしまったと思った。眉を下げて無理にでも笑おうとするイリアに、居たたまれない気持ちになる。
「辛いことを思い出させて、ごめんね」
「ううん、ルカが謝ることじゃないよ。でも、急にどうしたの?」
「急にじゃないわよ。パール神殿で話を聞いてから、ずっと考えていたの。どうすれば、イリアを救えるか……。貴女を生贄に捧げるなんて、絶対にごめんよ」
ルカは立ち止まり、イリアの瞳を真っ直ぐ見つめて伝えた。途端にほんのり頬を赤らめて「ルカ……」と自分の名を呼ぶ彼女を愛おしく想ってしまうのは──もう、そういうことなのだろう。
これまでは自覚がなかったが、今はハッキリとわかる。
「私はイリアのことが好き。貴女と未来を生きたいから、絶対に諦めたりしないわ」
笑顔で告げると、イリアは顔を真っ赤にして俯いてしまった。この反応、〝好き〟の意味をどう捉えたのか、聞いてみたい気持ちに駆られる。
(同じ想いだったら嬉しいけど……今は一緒にいられるだけでも十分よね。まずは、問題を解決しないと)
ルカは自分に言い聞かせて言葉を飲み込み、そっとイリアの手を引く。
「ほら、行きましょう? 多分、
「…………怒られたら、ルカのせいなんだから」
ぼそり、と呟かれた可愛らしい恨み節に、不謹慎ながら笑ってしまった。
謁見の間として使われる部屋を訪れると、部屋の奥。玉座のような豪奢な椅子へ優美に身を沈める教皇ノエルと、その隣にふくよかな体躯で屹立するジョセフ枢機卿が待ち構えていた。
護衛には白銀の鎧を身に付けたがたいの良い聖騎士と、アインと名乗った黒いフリルドレスを纏った少女が控えている。
ジョセフは「ご苦労でした」と笑みらしきものを浮かべながら手を広げ、ルカたちを迎え入れた。
「ナビア王国とホド連邦、そしてエターク王国を巡るのは、さぞ大変だったでしょう。早速ですが、任務の報告を聞かせてもらいますよ」
教皇であるノエルを差し置いて話を進めるジョセフの態度には、苦い笑いするしかない。ルカはイリアと共に三国で起きたことを、端的に説明する。
どの国も魔獣の襲来が頻発し、深刻な被害が出ていること。
帝国とエクリプス教団の暗躍らしきものが見受けられること。
そして——ゼノンが帝国軍を率いている事実も、包み隠さず告げた。
ただ、ルカの中に眠ると言う魔神の権能〝破壊の力〟についてだけは、イリアと相談した上で伏せることにした。
ジョセフは唸り声を上げるが、その目には
「ゼノン……たしか、先の戦いで落命したエターク王国の皇太子でしたね。ペイの力に巻き込まれて死んだと聞いていますが、本当に同一人物なのですか?」
「はい。声も姿も……誤魔化しようがありません。あれは、間違いなくゼノンです」
ジョセフは「ふぅむ」と納得しかねる様子で顎に手を添えた。
ルカも認めたくはないが、幼少期よりともに過ごした歳月、その中で培われた思い出と直感が告げているのだ。
「……彼は〝魔神ノクティスの意思〟が自分の中にあると言っていました。聖下と猊下はこの点について、何かご存知ですか?」
この質問に、ここまで黙って聞いていたノエルが眉をひそめた。
「魔神ノクティスの意思か……。人を器として顕現したのか? 女神の強固な愛に、魔神が業を煮やしたのかもしれないな」
含みのある言葉だ。不吉な気配が漂う。だが、ジョセフは大仰に肩をすくめるだけに留まり、何かを語ろうとはしなかった。
「まあ、帝国が動いているのは分かりましたが、教団には教団の方針がある。——ご苦労でしたね、レーシュ、ペイ。のちほど正式に報告書をまとめて提出するように」
ルカは腑に落ちないまま「承知しました」と一礼する。帝国や魔神という脅威を伝えたというのに、ジョセフの対応は淡泊だ。この緊張感の薄さは何なのか。
(
釈然としないが、ジョセフの考えは知りようもない。それよりも、とルカはイリアと顔を見合わせて、あるお願いを口にする。
「猊下。一つお願いがあるのですが、よろしいでしょうか?」
「……言ってごらんなさい」
「禁書庫の入室許可を頂きたいのです」
「また急な話ですねぇ。あそこは
ジョセフがあからさまに嫌な顔をした。取り付く島もないと言った感じだ。「無理は承知の上で、お願い出来ませんか?」とイリアが食い下がるが、首を横に振るばかり。
頑として拒むのは、見られてまずい物があるか、重要な物があると言う証拠ともいえるだろう。
(どうにかならないかしら……)
ルカが頭を捻り悩んでいると──。
「いいよ、僕が許可する。好きなだけ調べるといい」
と、思わぬ援護が飛んで来た。ノエルからだ。ジョセフが「聖下!?」と上擦った声をあげたが、ノエルが冷徹な面差しで視線を投げると、口を
力関係はどうあれ、名目上では教団の最高位にある教皇に、表立って異を唱えることは出来ないのだろう。
この機会を逃す手はない。ルカは「ありがとうございます」と
光明を見出せることを願って、禁書庫へと急ぐ。