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第二十話 破壊の衝動と女神の歌

 予想だにしていなかったゼノンとの再会に、ルカは動揺した。



(どうして、ゼノンが……彼は、あの戦いで、私が……!)



 暴走させた力に巻き込んで、死なせてしまったはず。その場面もしっかりと見ていた。



(私を……〝婚約者フィアンセ〟と呼ぶ彼は、一体、誰──?)



 帝国兵を率いたゼノンが広場に足を踏み入れる。彼が手で指示を出すと帝国兵が剣を抜き、魔獣とともに殺戮を開始した。


 民衆の悲鳴が上がる。王国騎士が応戦しているが、多勢に無勢だ。分が悪い。



「だめ……やめてっ!」



 ルカは駆け出そうとする。けれども何故か、手を伸ばすのが精一杯で、身動き出来なかった。


 剣戟、悲鳴、戦いの喧騒が鼓膜を震わせる。仇花のように赤い飛沫が舞い、鉄のにおいが充満して、焼け焦げる異臭が鼻をつく。



『──慄け 墜ちよ、紫電の光』



 イリアの歌声が雷電を走らせた。

 だが、すべてを滅することは難しく、惨状が広がってゆく様を、不敵な笑みを浮かべたゼノンが眺めている。


 ルカにはそれが信じられなかった。



「貴方は一体、誰なの……っ!」


「誰って……少し会わない間に忘れてしまったのかい? 寂しいな、ルカ」



 拳を握りしめる。忘れるわけがない。

 けれど、彼が本当にゼノンだと言うならば、この王都の惨劇を笑って眺めるなど、絶対にありえない。


 何故なら、彼は国を愛していたから。



「まあ、どちらでもいいけどね。重要なのは、君自身だ」



 好青年然としたゼノンがにこりと微笑む。

 幾度となく見て来たこれが、嘘だとは思えない。



「君の中に眠る〝力〟……返してもらうよ」


「力? 祝福アルカナのこと? これは、他人に譲渡できるものじゃないわ……!」



 コツコツと靴音を響かせて、ゼノンが歩み寄って来る。



「違うよ、そっちじゃない。あの日、君が見せた〝破壊の力〟の方だ」


「何を言って……それこそ、【崩壊】の祝福アルカナの力で……」


「ああ、君は知らないのか」



 くすり、とゼノンが笑う。

 彼の言葉が理解出来なくて、ルカは混乱する。

 あの言い方はまるで、〝破壊の力〟と〝祝福アルカナの力〟は別物だとでも言いたげだ。



「それにしても、あれは素晴らしかったね。絶望にむせび泣きながら、すべてを無に帰そうと怒り狂うルカの姿は、美しかったよ」



 ゼノンの言葉がルカの心を抉った。


 ディチェス平原で暴走してしまったあの瞬間。冷たくなってゆくカレンの亡骸を抱いて、抑えきれない感情の爆発に飲み込まれて数多の命が消えていく。


 その映像がフラッシュバックして、息苦しくなる。



「……っ、うぅ!」


「ルカ……!」



 ぐらりと視界が揺らいで、体が重くなり胸を押さえて膝を付く。

 駆け寄ったイリアがルカを支えた。

 上手く呼吸が出来ず、視界が霞む中、ゼノンの足音はなおも近付いてきている。


 すると、イリアが「ルカに近付かないで!」と叫びながら前へ出て、雷の魔術で牽制した。


 だが、ゼノンはことごとくを、歯牙にもかけない。

 以前の彼には考えられない芸当だ。



「女神の器。今、お前に用はないよ」


「きゃあ!」



 そう言ってイリアを突き飛ばし、一気に距離を詰めたゼノンがルカの顎に手を添え、くいっと持ち上げた。



「ルカ、私をよく見て。わからないと言うのなら、再現しよう」



 見つめてくるゼノンの瞳、柘榴石ガーネットのようだと称される紅眼ルージュの瞳が、凝固した血のように見える。


 感化されたのか、視界が赤黒い残像に染まって行き、ドクドクと心臓が脈打つ。

 身体は依然として動かせず、身体は熱いのに背筋が凍る。



「さあ、今一度、その力を解放するんだ」



 ドクン、と大きく鼓動が跳ねた。



「う、あ……ああ!」



 体を巡る血潮ちしおが熱く煮えたぎり、想像を絶する痛みが駆け巡る。

 胸の内では負の感情が荒れ狂っていた。


 怒り、憎しみ、恨み、悲しみ、苦しみ。


 それらが灼熱のマグマとなって理性を焼いてゆく。ただ一つの衝動──〝殺意〟だけを残して。



「ああああッ!!」



 全身を蝕む熱が、紅いゆらめきへと転じて視覚化し、叫びとともに四方へ放たれる。

 そして、それに触れた物体は──跡形もなく〝消滅〟した。



「ふふ、これこそ〝破壊の力〟! かつて【世界】を宿した使徒が掠め取った、あらゆるものを破壊する魔神の権能だよ」


(……せ、かい……破壊の……力……)



 霧がかかったように、うまく思考できない。

 ただ、〝破壊〟の余韻に高揚しているのか異様に身体が熱く、脈打つ心臓の音がうるさかった。


 ルカの頬を、するりと撫でながらゼノンが囁く。



「心地いいだろう? ルカが望むなら、その力は君にあげるよ。その代わり、私とともに理想郷アルカディアと女神を喰らおう。私の中の〝魔神ノクティス〟の意思もそれを望んでいる」


(……めが、み……)



 頭がぼうっとした。甘い誘惑が毒となり、染み渡っていく。

 流されてはいけないとわかっているのに、沸き上がる衝動が抑えられず、首を縦に振ってしまいそうになった。


 そこへ──あの歌が響く。



いとし子よ お眠りなさい

 マナのゆりかごにいだかれて』



 透き通る高音域ソプラノ



『闇をはらえ 神秘しんぴの風よ

 きらめきがあなたを照らすでしょう

 いとしい子らよ 涙をすくって』



 イリアの唱歌だ。二年前も、この歌に救われたことを思い出し、ルカはハッとした。



「ルカ! 戻って来て、私の声を聞いて……!」


(……イ……リア……そう、よ、わた、しは……!)



 常にともにあった優しさと声が、理性を引き戻す。

 自分は破壊を振り撒くために、ここにいるのではないと思い出させてくれる。


 ルカはあらん限りの力でゼノンを押し退け、震える手で握りしめる刀の切っ先を向けた。



「ゼノ、ン……ッ!」



 まだ、ドクドクと心臓が脈打って、痛い。

 身体からあふれる紅い力が抑えきれずに、暴れ出しそうな感覚がある。


 汗がいたるところから滲んで滴り、気を緩めれば過去のようにすべてを消し去ってしまいそうで、恐ろしかった。



「抗うのかい? 苦しいだけだよ。ほら、この手を取って。君が苦しむところは、私も見たくないんだ」



 憂いた表情で優し気に手を差し伸べるゼノン。きっと彼に縋れば、この苦しさからは解放されるのだろう。

 しかし、ゼノンの示す道は、ルカが望まぬものだ。


 ルカは拒絶を示す。粗い呼吸を繰り返して、苦悶の呻きをもらしながら、首を横に振る。



「どんなに痛くて……苦しくても、安易に力に飲まれるのは……ごめんよ!」



 もう二度と、間違えないと決めた。

 過去のように、感情のまま無差別に力を揮うなどあり得ない。


 そんなルカを、背中から包み込む腕があった。

 ふわり香る花の香気。長く細い、陽光に輝く銀糸の髪。



「ルカ、大丈夫だよ。私が傍にいる。貴女の苦しみは……私が受け止める……!」



 イリアがルカを抱き締めると、マナを含んだ風が吹き上がり、あたたかな光が二人を包んだ。



『輝いて神秘アルカナよ それは約束の証

 願いを叶える 女神わたしの祝福』



 音が紡がれるごとに熱と痛みが引いてゆき、噴出した紅いゆらめきも収まっていく。



『想いを胸に 意志をつるぎ

 奇跡をり成す力と変えて

 今はただ お眠りなさい 愛し子よ』



 これは歌の力なのか、それとも【太陽】の神秘アルカナが持つ〝浄化〟の力なのか、あるいは彼女が女神の血族だからか──。


 いずれにしても、不思議な感覚だった。

 先程までの苦しさはもう残っておらず、身体が軽い。


 ルカはゆっくりとイリアの腕を解いて立ち上がり、改めて刀を構える。



「私は、屈しない! 過去に怯えて、力に囚われたりもしない! イリアが、私を信じて支えてくれるから……!」



 視界に捉えたゼノンの瞳にわずかに落胆の色が見えたが、それも一瞬のこと。

 彼は口元に余裕の笑みを作り、差し出した手を下ろした。



「やれやれ。あの日とは状況が違うか……いいだろう」



 ゼノンが帝国兵に手振りで合図を送るとほどなく。彼らは一斉に剣を納め、魔獣もまた動きを止めて咆哮を上げた。



「ルカ。次に会う時まで、その力は預けておくよ。女神の庇護があるとはいえ、破壊の衝動に飲まれないよう精々気を付けることだね」



 帝国兵と魔獣を引き連れたゼノンが漆黒の穴へと退いてゆく。



「──待って、ゼノン!」



 彼にはまだ聞きたいことがあった。

 けれど、ゼノンは意味深に視線を投げかけてくるだけで、闇へ溶け込むように姿を消す。


 王都に困惑と恐怖を残し、漆黒の穴はゆっくりと収束していく。





 静けさを取り戻した広場には、倒れた騎士と住民、魔獣の屍が散乱し、焼け焦げた石畳が無残に崩れていた。



(王都が……)



 ルカは唇を噛む。守ることが出来なかったことへの悔しさ。暴走しかけたことへの恐怖。人が変わってしまったようなゼノンの姿と言葉が頭の中を駆け巡り──胸がはちきれそうだった。



「ルカ……」



 胸の内を察したように、イリアがルカを抱き留める。



「……大丈夫。……ありがとう、イリア」



 震える声で返すと、イリアは勿忘草色の瞳に涙を湛えて、抱きしめる腕の力を強めた。


 遠巻きに見ていた騎士や民衆が息を呑んでいる。嵐の去った広場を支配するのは、不安と恐怖、そして混乱の色だった。



(ゼノン、帝国兵、魔神の影……破壊の、力……。理解が、追いつかない)



 ルカは荒い息を吐きながら、血の滴る刀を鞘に納める。


 確かなのは、イリアに救われたということ。

 あの日のように、破壊の力に呑まれずに済んだ。それが、唯一の救いだった。

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