事態が収拾した後、ルカとイリアはラフィールの庁舎──セレスティア・タワーの中にある行政区の一室に案内された。
魔獣を撃退し住民を救った功績に対して、首長が改めて謝辞を述べたいとのことで、面会の場が設けられたのだ。
応接間の奥、飾り気の少ない簡素な机を挟んで対峙しているのは初老の男性。身綺麗な黒の衣装に袖を通した首長が、深々と頭を下げた。
「ラフィールを救ってくださり感謝します。帝国やエクリプス教団の暗躍が絶えぬ中、貴女方の支援はまさに救いでした」
彼の顔には疲労の色が滲んで見える。
きっと諸々の問題の対処に苦労しているのだろう。
ルカは首を横に振る。
「あまり畏まらないで下さい。少しでもお力になれたのであれば何よりです。ね、レーシュ?」
「そうね、ペイ。みんなを助けられて本当に良かった」
「ありがとうございます。ペイ様、レーシュ様。どうか今後とも……」
首長が懇願するような言葉を紡ぎかけて飲み込んだ。
「……いけませんね、お二方には教団の任務がある。もう少し滞在して欲しい、と思ってしまうのはこちらの我儘というもの。どうかお体に気をつけて……」
首長の気持ちは理解出来た。だが、次の目的地が待っている以上、ここでゆっくりしてはいられない。
ルカは申し訳なさそうな面持ちの首長と、困り顔のイリアを視界に映しながら、告げる。
「お気遣いいただき、ありがとうございます。今は先を急がなければならないため失礼しますが、お困りの際にはお声がけください。
……短い滞在だったので、次に来るときはゆっくり街を見て回りたいですしね」
凛と微笑んで見せるとイリアも同意を示してうなずき、首長が再度、深々と頭を下げた。
そんな風に別れの挨拶を済ませて、部屋を後にする。
外へ出ると、ちょうど
「次はいよいよ、エターク王国……ルカの故郷ね」
「……ええ」
これが今回の三国巡回では最後の目的地。
故郷であるエターク王国・王都オレオールへ向かう時がついにやって来たのだ。
だが、久しぶりの帰郷だというのに、心は躍らない。ただただ気鬱となるだけ。
(あの日から帰れていないんだもの、当然よね……)
ルカは唇を引き結んで、震える指先を誤魔化すように拳を握りしめた。
「……大丈夫? ルカ」
柔らかな声がかかり、ルカは苦笑いを浮かべる。
隠しきれない不安が胸に詰まって苦しい。
押し出すように息を吐いてみても、さほど効果はなかった。
「あんまり、大丈夫じゃないかもね……」
視線を落として、己の足元を見つめる。
エターク王国に帰るのが怖い。鉛が落ちたように心が重く、故郷には今、どんな空気が流れているのか考えるだけで、身体が震えた。
ディチェス平原の戦いで大切な人を失い、多くを奪ってしまった記憶が、ルカを縛っている。
隣から、銀糸の髪を揺らす気配がした。
イリアがそっとルカの手を取って、人目の少ない奥まった場所へ導き、立ち止まる。
「話せるなら、少し吐き出して。私が聞くから……」
ルカはイリアの視線を感じて、顔を上げた。
心配しているのだろう。眉を下げ、勿忘草色の瞳を潤ませて揺らしている。
ルカは強がることなく、イリアの言葉に甘えることにした。
「ゼノンやカレンのことを……忘れることが出来なくて。守れなかった、死なせてしまったという罪悪感がずっと……わだかまりとなってここにあるの」
ルカは自分の胸に手を置いた。
二人のことを思い出す度に、締め付けられたように痛くて、苦しくなる。
「二人以外にも、私は、戦友を……誰かの大切な人を、敵味方関係なく奪ってしまった。……故郷には……私を憎んでいる人がたくさんいる。奪っておいて、贖おうとせずのうのうと生きているんだから、仕方ないってわかっていても……怖いの」
ルカは声を震わせて、吐き出した。
静かに耳を傾けていたイリアが手を重ねて来る。そして「大丈夫だよ」と告げてうなずき、重ねた手を絡め握ってくれた。
「私が傍にいる。ルカが苦しい時は力になるから。だから一人で抱え込まないで。二人で歩いて行こう」
春風のように微笑んだイリアの優しさに、心が少し軽くなる。
「ありがとう……イリア。すごく、心強い」
「うん。遠慮なく、寄りかかってね」
ルカは自分でもわかるほど、こわばっていた頬を緩めて、ぎこちなくも笑った。
(イリアがいてくれるから、私は前に進むことができる。怖くても……向き合おうと思えるの)
目頭が熱くなるのを感じながら、イリアの手を握り返す。
手のひらから伝わるぬくもりに鼓動が重なって、まるで彼女が自分の一部であるかのように感じられた。
気付けば、至近距離で見つめ合う形になっている。
ほんのりと赤らむ頬と、薄紅に色付く唇。
ルカの胸が大きな音を立てて騒がしくなり、妙な衝動に駆られる。
不思議な気分だった。
この気持ちは一体何なのか──。
「……ねぇ、イリア。私……」
自分でもよくわからない感情とともに言葉を紡ぎかけた時。
「ペイ様、レーシュ様、こちらにいらしたですね」と、呼ぶ声が背後から聞こえた。
振り返ると先程、
だいぶ待たせてしまったため、探しに来たのだと思われる。
「……もう、行けそう?」
イリアの問い掛けにルカは、感傷に浸る時間は終わりだ、と自分に言い聞かせて深呼吸をした。
「……ん、お陰様でね。行きましょう、イリア」
「わかったわ」
微笑みを湛えるイリアと手を繋ぎ、転移室へと向かう。
❖❖❖
いつものように、ルカとイリアは光の魔法陣へと足を踏み入れ、眩い閃光に包まれる。
視界が白く染まり、浮遊感と眩暈に襲われて──次に瞼を開けた時には、王都オレオールの転移室へ到着していた。
エターク王国の首都。オレオールは城郭都市として名高く、中心にそびえる王城を起点に放射状の街路が敷かれ、堀の作られた外壁は上空から見ると
監視塔などの建築物には石材が多用され、質実剛健な印象を与える。
(……ああ、帰って来た)
転移室から一歩足を踏み出すと、何とも言えない望郷感に襲われた。
視界に見慣れた街並みが広がっている。
懐かしさのあまり、感極まって涙を流してしまいそうだった。
けれど、あの日の悪夢がルカを許さない。
人々の冷たい視線が突き刺さして来るのは、けして勘違いではなかった。
「……黒髪、
「公爵家の、悪魔だ……」
「あいつのせいでウチの部隊の仲間が……!」
「まさか、戻ってくるなんてね……よく顔が出せたものだわ」
怨嗟のこもった歓迎が耳に届く。
故意ではなかったとは言え、あの戦乱で犯した罪が重くのしかかる。
ルカが拳を握りしめると、イリアは繋いだ手の力を強め、心配そうに見つめてきた。
「ルカ……無理はしないでね」
「……ええ、ありがとう。大丈夫とは言えないけど、私は、もう逃げるわけにはいかないから」
ルカは意を決して、王都の街路へ足を踏み出す。
「行きましょう、王城へ。伯父上……いえ、陛下に会わなくては」
己がどれほどの罪を背負っているのか、自覚している。
悲嘆の言葉や、憎しみのこもった視線を受け止めるのは苦しいけれど、自分は一人ではない。
イリアが隣にいる。それだけで、踏み出す勇気を持てる。
城郭都市の冷風に晒されながら、ルカは歩き出す。
今こそ、己の過去と真正面から向き合う時だ。