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第十七話 故郷へ──望郷と罪を抱えて

 事態が収拾した後、ルカとイリアはラフィールの庁舎──セレスティア・タワーの中にある行政区の一室に案内された。


 魔獣を撃退し住民を救った功績に対して、首長が改めて謝辞を述べたいとのことで、面会の場が設けられたのだ。


 応接間の奥、飾り気の少ない簡素な机を挟んで対峙しているのは初老の男性。身綺麗な黒の衣装に袖を通した首長が、深々と頭を下げた。



「ラフィールを救ってくださり感謝します。帝国やエクリプス教団の暗躍が絶えぬ中、貴女方の支援はまさに救いでした」



 彼の顔には疲労の色が滲んで見える。

 きっと諸々の問題の対処に苦労しているのだろう。


 ルカは首を横に振る。



「あまり畏まらないで下さい。少しでもお力になれたのであれば何よりです。ね、レーシュ?」


「そうね、ペイ。みんなを助けられて本当に良かった」


「ありがとうございます。ペイ様、レーシュ様。どうか今後とも……」



 首長が懇願するような言葉を紡ぎかけて飲み込んだ。



「……いけませんね、お二方には教団の任務がある。もう少し滞在して欲しい、と思ってしまうのはこちらの我儘というもの。どうかお体に気をつけて……」



 首長の気持ちは理解出来た。だが、次の目的地が待っている以上、ここでゆっくりしてはいられない。


 ルカは申し訳なさそうな面持ちの首長と、困り顔のイリアを視界に映しながら、告げる。



「お気遣いいただき、ありがとうございます。今は先を急がなければならないため失礼しますが、お困りの際にはお声がけください。

 ……短い滞在だったので、次に来るときはゆっくり街を見て回りたいですしね」



 凛と微笑んで見せるとイリアも同意を示してうなずき、首長が再度、深々と頭を下げた。


 そんな風に別れの挨拶を済ませて、部屋を後にする。

 外へ出ると、ちょうど転移門ワープポータルの準備が済んだという話を、職員が告げに来た。



「次はいよいよ、エターク王国……ルカの故郷ね」


「……ええ」



 これが今回の三国巡回では最後の目的地。

 故郷であるエターク王国・王都オレオールへ向かう時がついにやって来たのだ。


 だが、久しぶりの帰郷だというのに、心は躍らない。ただただ気鬱となるだけ。



(あの日から帰れていないんだもの、当然よね……)



 ルカは唇を引き結んで、震える指先を誤魔化すように拳を握りしめた。



「……大丈夫? ルカ」



 柔らかな声がかかり、ルカは苦笑いを浮かべる。

 隠しきれない不安が胸に詰まって苦しい。

 押し出すように息を吐いてみても、さほど効果はなかった。



「あんまり、大丈夫じゃないかもね……」



 視線を落として、己の足元を見つめる。

 エターク王国に帰るのが怖い。鉛が落ちたように心が重く、故郷には今、どんな空気が流れているのか考えるだけで、身体が震えた。


 ディチェス平原の戦いで大切な人を失い、多くを奪ってしまった記憶が、ルカを縛っている。


 隣から、銀糸の髪を揺らす気配がした。

 イリアがそっとルカの手を取って、人目の少ない奥まった場所へ導き、立ち止まる。



「話せるなら、少し吐き出して。私が聞くから……」



 ルカはイリアの視線を感じて、顔を上げた。

 心配しているのだろう。眉を下げ、勿忘草色の瞳を潤ませて揺らしている。

 ルカは強がることなく、イリアの言葉に甘えることにした。



「ゼノンやカレンのことを……忘れることが出来なくて。守れなかった、死なせてしまったという罪悪感がずっと……わだかまりとなってここにあるの」



 ルカは自分の胸に手を置いた。

 二人のことを思い出す度に、締め付けられたように痛くて、苦しくなる。



「二人以外にも、私は、戦友を……誰かの大切な人を、敵味方関係なく奪ってしまった。……故郷には……私を憎んでいる人がたくさんいる。奪っておいて、贖おうとせずのうのうと生きているんだから、仕方ないってわかっていても……怖いの」



 ルカは声を震わせて、吐き出した。

 静かに耳を傾けていたイリアが手を重ねて来る。そして「大丈夫だよ」と告げてうなずき、重ねた手を絡め握ってくれた。



「私が傍にいる。ルカが苦しい時は力になるから。だから一人で抱え込まないで。二人で歩いて行こう」



 春風のように微笑んだイリアの優しさに、心が少し軽くなる。



「ありがとう……イリア。すごく、心強い」


「うん。遠慮なく、寄りかかってね」



 ルカは自分でもわかるほど、こわばっていた頬を緩めて、ぎこちなくも笑った。



(イリアがいてくれるから、私は前に進むことができる。怖くても……向き合おうと思えるの)



 目頭が熱くなるのを感じながら、イリアの手を握り返す。

 手のひらから伝わるぬくもりに鼓動が重なって、まるで彼女が自分の一部であるかのように感じられた。


 気付けば、至近距離で見つめ合う形になっている。

 ほんのりと赤らむ頬と、薄紅に色付く唇。

 ルカの胸が大きな音を立てて騒がしくなり、妙な衝動に駆られる。


 不思議な気分だった。

 この気持ちは一体何なのか──。



「……ねぇ、イリア。私……」



 自分でもよくわからない感情とともに言葉を紡ぎかけた時。

 「ペイ様、レーシュ様、こちらにいらしたですね」と、呼ぶ声が背後から聞こえた。


 振り返ると先程、転移門ワープポータルの準備が済んだことを伝えに来た職員が、こちらへ向かって来ていた。

 だいぶ待たせてしまったため、探しに来たのだと思われる。



「……もう、行けそう?」



 イリアの問い掛けにルカは、感傷に浸る時間は終わりだ、と自分に言い聞かせて深呼吸をした。



「……ん、お陰様でね。行きましょう、イリア」


「わかったわ」



 微笑みを湛えるイリアと手を繋ぎ、転移室へと向かう。



❖❖❖



 いつものように、ルカとイリアは光の魔法陣へと足を踏み入れ、眩い閃光に包まれる。


 視界が白く染まり、浮遊感と眩暈に襲われて──次に瞼を開けた時には、王都オレオールの転移室へ到着していた。


 エターク王国の首都。オレオールは城郭都市として名高く、中心にそびえる王城を起点に放射状の街路が敷かれ、堀の作られた外壁は上空から見ると十多角形じゅったかっけいの星状になっているのが特徴だ。


 監視塔などの建築物には石材が多用され、質実剛健な印象を与える。



(……ああ、帰って来た)



 転移室から一歩足を踏み出すと、何とも言えない望郷感に襲われた。

 視界に見慣れた街並みが広がっている。

 懐かしさのあまり、感極まって涙を流してしまいそうだった。


 けれど、あの日の悪夢がルカを許さない。

 人々の冷たい視線が突き刺さして来るのは、けして勘違いではなかった。



「……黒髪、紅眼ルージュ、泣き黒子……! あれが〝破壊の騎士〟……」


「公爵家の、悪魔だ……」


「あいつのせいでウチの部隊の仲間が……!」


「まさか、戻ってくるなんてね……よく顔が出せたものだわ」



 怨嗟のこもった歓迎が耳に届く。

 故意ではなかったとは言え、あの戦乱で犯した罪が重くのしかかる。

 ルカが拳を握りしめると、イリアは繋いだ手の力を強め、心配そうに見つめてきた。



「ルカ……無理はしないでね」


「……ええ、ありがとう。大丈夫とは言えないけど、私は、もう逃げるわけにはいかないから」



 ルカは意を決して、王都の街路へ足を踏み出す。



「行きましょう、王城へ。伯父上……いえ、陛下に会わなくては」



 己がどれほどの罪を背負っているのか、自覚している。

 悲嘆の言葉や、憎しみのこもった視線を受け止めるのは苦しいけれど、自分は一人ではない。


 イリアが隣にいる。それだけで、踏み出す勇気を持てる。


 城郭都市の冷風に晒されながら、ルカは歩き出す。

 今こそ、己の過去と真正面から向き合う時だ。

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