ノエルの指示でやって来たという妖艶で残酷な少女アイン。
ルカは「活路は開いてあげる」という彼女の言葉を信じ切れなかったが、疑心に反して約束は守られる。
アインが姿を消して間もなく、宿の周りを捜索していた兵が慌てた様子で引き上げて行ったのだ。
「アインが上手くやってくれたみたい」
「何をどうやったのか気になるところだけど、行動を起こすなら今ね」
ルカはイリアと顔を合わせてうなずき合い、店主に別れを告げる短い言葉を残して宿を出る。
王宮の方が騒がしいのを遠巻きに窺いながら街を後にして、一路北のイシュケの森にあるパール神殿を目指した。
❖❖❖
神殿への道のり——イシュケの森の中は、
合間からわずかに
(薄暗くてじめっとして……気が滅入る場所ね)
イリアも落ち着かないようで、不安げに形の良い眉を下げている。
彼女の魔術で周囲を照らしてもらっているが、わずかながら獣の気配もするため、気が抜けない。
ルカは「はぐれないように」と繋いだイリアの手をしっかりと握りつつ、空いた手は刀の柄に添えて、警戒した。
かくして、ルカはイリアと共に北へ、北へと進み──。
道中、何度かあった魔獣の襲撃は返り討ちにして、森の奥深く。
木々の茂みが薄くなった先に、朝の光を反射して煌めく雄大な
「ルカ、あれがパール神殿だよ」
ルカは遠目にも気品と神聖さを感じる景色に目を奪われて、感嘆の息をこぼす。
「綺麗……なのに、どこか厳かな気配があるわね。まるで人が近付くのを拒んでいるみたい」
「うん。その認識は間違ってない。ここは教皇聖下が〝
「五年に一度、世界各地に点在する十の祭壇を巡る一大イベントよね。次は四年後だっけ」
例年、
(去年は教団で軟禁状態だったけど、
懐かしい思い出だ。
教団にとっては祭儀でも、世の人々からすればお祭りに変わりない。
ルカはイリアと手を繋いだまま、静かな湖上の風を受けて、神殿へと架けられた白い石材の
橋を渡りきると、今度は開け放たれた扉の先に、真っ白な壁と大理石の床で構成された
「お待ちしておりました。レーシュ様、ペイ様。教皇聖下よりお話は伺っております。どうぞお入りください」
恭しく頭を下げる司祭の案内に従って、神殿へ足を踏み入れる。
中は高い天井を支える太い丸柱が間隔よく立ち並び、間を通り抜ける度に響く足音は、厳かな静寂へ溶けていく。
空間全体が清廉な光に、清らかな気配がほのかに漂っていた。
胸の奥がすうっと浄化されて、けれど、どこか落ち着かない……そんな場所。
ルカを息を飲んだ。
「聖地と言われているだけあるわね。空気が違う」
「……それは、そうだよ。ここは本当に特別な場所なの」
イリアの手が震えている。悲しみの色を湛えて揺れる勿忘草色の瞳が、神殿の最奥を望んだ。
彼女の視線の先にあるのは、重厚な石の扉。
司祭は、その石の扉よりだいぶ前で足を止めて、
「わたくしに許されているのはここまでです。この先はお二人でお進みください。……女神様のご加護があらんことを」
と、詮索も説明もなく下がって行った。
アインは「行けばわかるわ」と言っていたが、あの先に一体何があるというのか。ルカは眉をひそめた。
横目には、胸のペンデュラムを握りしめて、強張った面持ちのイリアの姿。繋いだ手の指先が冷たくなっている。酷く緊張しているのだろう。
「イリア、大丈夫なの?」
「……少し、怖い。この先にあるものをルカが目にしたら、どう思うかわからないから……」
イリアは俯いて、珍しく弱音をこぼした。
ルカはイリアの手を包み込むように握り返し、少し身を屈めて目線を合わせる。
「大丈夫よ。私は何を見ようと、貴女を責めたりしない。むしろ、知りたいの。イリアが隠してきたこと、ここにある真実を」
揺るぎない決意と想いを込めて、ルカは告げた。知らずにいて後悔するよりも、知って痛みに苦しむ方が何倍もマシだ。
イリアが深呼吸をして、唇を引き結ぶ。
「……ありがとう。ルカがそう言ってくれるなら……行こう」
静かに並び立って、石造りの重厚な扉の前へと進む。
扉には幾何学模様の魔法陣が浮かんでいる。ルカが開こうと扉を押してみるが、ビクともしない。
(封印の類いかしら?)
一見、固く閉ざされているように見えた。だが、イリアが指先で扉に触れると、すっと金の波紋が広がって魔法陣が消え、いとも簡単に扉は開かれる。
「……開いた」
ルカは瞠目した。原理はわからないが、何となくイリアが鍵になっている気がしてならない。
扉の向こうに待ち受けていたのは、円形の広間。高い天井からは淡い光が降り注ぎ、白い壁には背の高いステンドグラスの窓が並んでいる。
正面には──
神殿内でも一際、神聖な空間に感じる。
「ここは……?」
「祈りの間よ。本来は、
イリアが女神像の前へ進み、震える指で像に触れた。すると、部屋の中心が光を帯びはじめ、床面に文様が浮かび上がる。
それがまばゆい金の輝きを放ち、視界を奪われた。
数秒の後、光は収束し、床の一部が消失。地下へと続く階段が姿を現していた。
この仕掛けには驚くばかりだ。圧倒されて声も出ない。
「下へ……行けるのね」
イリアがうなずく。ルカは彼女と手を繋いだまま、階段を下りる。
淡い光が自動的に灯り、闇を払って行く。狭い回廊をくぐり抜けるような道のりだ。
階段を下りきった先に出迎えたのは、先ほどの祈りの間より少し狭い円形の部屋。壁には神話を思わせる古い壁画が描かれ、奥にはまた扉と封印の魔法陣が見える。
「神殿の地下にこんなところがあったなんて、驚きだわ。あの扉が終着点……かしら?」
「一応、そうなるかな」
「あの扉もきっと、イリアにしか開けられないのでしょう?」
「……正確には〝
「女神の血族?」
名称から何となく想像はつく。けれど、イリアの口からその意味をハッキリと聞きたかった。
イリアは静かにルカの手をすり抜けて扉へと歩み寄り、おもむろに魔法陣へ触れる。
すると、魔法陣が
彼女の髪色と同じ、輝く銀の粒子が舞う中で、イリアは告げる。
「アルカディア教団の主神である、この世界を創造した女神ルクス様。その血を引く子孫のことよ。私とノエルは、残された最後の末裔なの」
彼女に隠された、真実の一つを——。