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第十一話 暗夜の逃避行に悪魔は嗤う

 夜の闇が深まった頃、イリアはルカに連れられて、音を立てぬように部屋の外へ出た。

 廊下の照明は最低限しか灯されておらず、不気味な空気が漂っている。


 このままここにいる選択肢はない。

 すぐに逃げ出さなければならない状況だというのに、足が震えて思うように動かせなかった。


 王が自分にした行為を思い出すたび、背筋が凍る。

 あの時、ルカが駆けつけてくれなかったらどうなっていたか……考えたくもない。



「イリア、こっち」



 廊下の先で物陰に身を潜めていたルカが、小さく手招きする。

 彼女の柘榴石ガーネットの瞳が闇の中でも凛と輝き、頼もしさを感じさせた。

 イリアはこくりと頷き、彼女のもとへ駆け寄る。



「大丈夫? 怖い思いをしたばかりなのに、無理をさせてごめんね」



 控えめに囁く声が耳に届く。イリアは首を横に振って、笑おうとした。



「私の方こそ、ルカにこんな無茶をさせて……ごめんね。だけど、ありがとう」



 上手く笑えていたか、わからない。

 ルカは「私がやるべきことだもの」と告げて、そっと手を握ってくれた。


 イリアはルカと息を合わせて城内を進み、物陰から物陰へ移動する。

 王宮の騎士が巡回しているが、配置はまばらでどこか余裕のない様子だった。



(もしかしたらルカが私のところへ来るまでに、暴れたのかな……?)



 そんなことを考えながら、警備の目をかいくぐり、なんとか城門前へと出る。

 夜間警備の兵が集まり、通行門は一つだけ。厳重な見張りの目が光っていた。


 ひとまず、身を低くして木陰に身を隠す。

 ルカが小さな声で「どう突破しようかしら」と逡巡している。


 目視できる範囲だけでも、優に十数名。



(ルカの実力なら簡単に片が付くはずだよね。でも、無関係な相手を傷つける意思はなくて……それは、私も同じ。それなら──)



 イリアは意を決する。

 恐怖は拭えないが、立ち止まってはいられない。



「歌で、眠らせてみる。うまく行けば通れるわ」


「危険じゃない?」


「……大丈夫。私は歌によって魔術の奇跡を為す〝詠唱士コラール〟よ。任せて」



 イリアは小さく深呼吸を繰り返して、心を落ち着かせる。

 迷いや恐怖を音に乗せてしまわないように。


 そして、柔らかな旋律を紡ぐ。



『月影を追って 静かに広がる光の羽根

 幸せの夢へと誘う 夜の優しいささやき


 儚くも響く音の調べが

 優しき眠りを包みこむ

 まどろむ心を抱きしめて

 風はそよぎ 微笑む


 そっと瞳を閉じて 愛し子よ

 ふたつの月に照らされた 宵の羽根

 すべてを忘れて やすらぎへと誘う

 輝きを抱いて眠れ 黎明の時まで』



 歌声がマナの風に乗って、広がってゆく。

 すると、兵士の動きが緩慢になり、次々に地面へ膝をついた。


 これは歌を応用した魔術であり、イリアが標的と定めれば、耳を塞いでいようと関係なく作用する。



「あらら、屈強な衛兵さんたちが形無しね」


「……効果時間が短いのが欠点だけどね。今のうちに行こう、ルカ」


「ええ、行きましょう」



 イリアは歌を止めてルカとうなずき合う。

 人目をはばかるように門を抜けて、夜の街へ駆け出した。


 しばらく走り続け、人気のない路地を迂回した先に見つけたのは、小さな宿屋。


 カンテラに似た魔術器の灯された玄関先へ足を踏み入れると、店主らしき女性が「あら、女神の歌姫様……?」と息を呑むように見上げてきた。


 聞けば、イリアが昼間、賛美歌シャンティールを披露した場に居合わせたのだとか。

 すぐに「訳ありですね……何も聞きませんよ」と小声で招き入れてくれた。



「助かります。ありがとうございます」



 イリアとルカは店主に頭を下げ、一部屋だけ借りる。


 宿の二階、突き当りの部屋へ案内され、中へ入ると「私が見張っておくから、イリアは休んで」とルカがベッドを勧めて来た。



「ルカは、休まなくていいの?」


「一晩くらいどうってことないわ。いいからほら、寝ちゃいなさい」


「うん……」



 けして広くはない部屋の隅にあるベッドへイリアは横になる。

 ルカは入口の扉の横、壁に背を預けて窓の外へ目を光らせていた。


 眠気はある。身体も疲労感を訴えている。もぞもぞと毛布をかぶって、イリアは瞼を閉じた。


 ──けれど、恐怖が蘇る。


 城での出来事がフラッシュバックして、身体が震えた。

 嫌に鼓動が早くなり、息苦しくなって、目を瞑っても眠れそうにない。


 イリアは毛布から顔を出し、ルカへ視線を送った。



「……ルカ、ルカ」


「ん、どうしたの?」


「……隣に、いてくれない……? 眠れなくて……」



 正直、恥ずかしさもある。でも、一人では寝付けそうになかった。

 ルカは驚きに頬を赤らめながらも「もちろん」と微笑んで、ゆっくりと隣へ寝転んだ。



「これでいい?」


「うん。……ぎゅってしても、いい?」


「それで安心して眠れるなら、いくらでも」



 ふわりと柔らかい毛布をかけて、イリアはルカに抱き着く。


 こんな風に甘えるなんて、子どもみたいだと思う。

 けれど、彼女の体温と鼓動が聞こえて安心できた。


 おまけに、ルカが髪を梳くように頭を撫で始める。

 くすぐったくて気恥ずかしいけど、とても心地よかった。



「おやすみ、イリア。心配しなくても、そばにいるから大丈夫よ」



 優しく目を細めて微笑む彼女を瞳に焼き付けて、瞼を閉じる。

 包み込むぬくもりが恐怖を遠ざけ、イリアの眠りを守ってくれた。


 朝まで、ずっと──。



❖❖❖



 翌朝、イリアは鳥のさえずりで目を覚ました。

 ルカはすでに起き上がっており、窓の外を気にしている。



「……何かあったの?」



 尋ねながら、眠り目をこすって体を起こす。



「外が騒がしくてね。『女神の歌姫が国王を害した』って噂が広まってるみたい。兵士たちが捜索しているって」



 無意識に肩が跳ねる。

 イリアは胸のペンデュラムを握りしめた。


 あの衝撃的な夜からそう時間が経っていない。

 国王を気絶させた自分たちを追うのは当然だろう。


 不安が胸に渦巻いた。

 イリアもルカの横へ移動し、外の状況を伺うと確かに。慌ただしく動く人影が見えた。



「ルカ、どうしよう……?」


「兵士が街を詮索している以上、ここでじっとしているのは危険だわ」


「でも、転移門ワープポータルは当然、抑えられているよね」


「そうね。強行突破は難しいでしょう。移動するにしても、他の手段を考えないと」



 すぐにこれと言った案が思い浮かばない。通信の魔術器リンクベルで教団に救援を求めたとしても、応じてくれるとは限らない。


 むしろ、役目を果たせなかったことを咎められる気がした。



(……ノエルに相談してみる?)



 仮にも教皇の座にある弟なら、手を貸してくれるのではないか。

 一瞬、淡い期待を抱いたが「やっぱりダメ」と思い至り、首を振る。



(そんなことしたら、あの子の立場が悪くなる。今でさえ、不自由な思いをしているのに)



 自分の不始末をノエルに負わせるわけにはいかない。この件はルカと二人で解決しなければ、と心に決める。


 そうして、どう動くか悩んでいると──。



「もう。レーシュは意地っ張りね。素直に『助けてー!』ってノエル様にすがればいいのに」



 と、鈴を鳴らしたように甲高く可愛らしい声が、どこからともなく聞こえて来た。

 ルカがイリアの前へ出て、警戒態勢を取る。


 すると、部屋に作られた影から、暗霧が立ちのぼって一カ所に集まり──暗霧が晴れるとそこには黒いフリルドレスを纏った少女が立っていた。


 左右でおだんごにまとめたあざやかな赤紫クロッカス色の髪に、側頭部に添えられた三日月形の金の髪飾りが印象的な、あどけなさの残る少女。



「貴女、一体……!」



 反射的にルカが刀の柄に手を添える。それをイリアは「待って!」と、制した。

 ルカが訝し気にこちらを見やるが、「大丈夫だから」と告げて、前へ出る。



「アイン、どうしてここにいるの?」


「ノエル様の指示に決まってるじゃないですか~。それにしても、あの王様はご愁傷様ですね。枢機卿団カーディナルの豚さん、狸さんたちもそうですけど、ノエル様の逆鱗に触れたら、ロクな最期を迎えられないですよー。あぁ、怖い怖い」



 アインが愉悦ゆえつの滲む声音で語り、クスクスと笑った。

 彼女はいつもこうだ。つかみどころがなく、常人とは感性がズレている。


 あの物言いからして、昨夜の出来事を見ていたのだろう。

 イリアは唇を噛んだ。



「……悪趣味だわ」


「フフ♪ 絶望は耽美たんびで甘美ですからね。レーシュの泣き顔、とーっても素敵だったわ」



 人の絶望や不幸に楽しそうな顔を浮かべるアインに、腹が立った。

 けれど、言葉が出て来なくて、睨みつけるので精一杯だ。



「な……見てたなら助けなさいよ! イリアがどんな思いでいたと思っているの!?」


「あら、だってそれは騎士様の役目だもの。私の出る幕じゃないわ。どちらに転んでも、面白いものが見れたでしょうし?」



 うるんだ鮮やかな桃色ロードクロサイトの大きな瞳が細められる。

 アインの思考はイリアには到底、理解出来ない。

 この先も、理解出来ることはないだろう。



「それはいいとして、ノエル様から伝言よ。『ここから北、イシュケの森にある〝パール神殿〟へ向かうように』ですって」



 イリアは眉を寄せる。よりにもよってあの場所へ……という思いが強かった。

 押し黙るイリアの代わりに、ルカが問う。



「パール神殿……って聖地よね。そこに何があるの?」


「行けばわかるわ。ついでに、イイモノが見られると思うわよ? 活路は開いてあげるから、頑張って?」



 つややかな唇を孤にしてアインはわらい、白い手を顔の位置に持って来ると、パチンと指を鳴らした。


 瞬間、音もなく集まった暗霧が彼女を包み、その姿は闇に溶けるように消えていた。



「ちょっと、説明くらいして行きなさいよ……!」



 ルカは憤り、半信半疑の様子だ。

 しかし、イリアはノエルの意図を察していた。



「ルカ、パール神殿に行こう」


「……まあどの道、ここにいたら捕まるだけだものね」



 ルカが大きなため息を付いている。

 パール神殿に〝在る物〟それを彼女に見せるのは怖いが、いつまでも避けては通れない。


 先行きの不安ばかりが、イリアの胸に募った。

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