夕陽を背に、赤きドラゴンが咆哮を上げる。翼をはためかせ、炎の渦を吐き散らしながら。
刀を構えたルカは炎を避けて、跳躍。
首元に狙いを定めて一閃を決めるが──やはり鱗に阻まれ、刃が通らなかった。
(まるで、歯が立たない。せめて弱点がわかれば……!)
滞空中に鋭い爪が迫る。
ルカは咄嗟に身を捻り、刀で受け流そうと試みたが、腕や肩をかすめて血飛沫が舞う。
鈍い痛みが走った。
「くぅ……ッ!」
着地を決めると息付く間もなく、敏速に振り回された尾が追い討ちをかけて来る。
ルカはスレスレで
ドラゴンの一撃は、どれも致命傷になり得るものだ。
極度の緊張感からバクバクと心臓が脈動し、息が切れた。
「ペイ、力を使え! 【塔】の
エルの声が響く。遠くから聴こえるのに、やけにはっきりと耳に届いた。
抗えない本能が〝命令〟に従おうとする。けれど、ルカは力を使うことに抵抗があった。
この力は無差別に振るえば
それは過去の悲劇が証明していた。
(怖い……私は、この力を使いたくない……っ)
ルカは刀を握り締めて、再びドラゴンへ向かって行く。
これが無謀な試みであることは、理解していた。
「あああぁッ!」
恐怖心を振り払うように腹の底から声を絞り出して、ドラゴンを斬り付ける。
腹、腕、尾の付け根、どこでもいい。
弱点となる部位が見つかれば、とその一心で、爪に引き裂かれ、吐き出される高温のブレスに身を焦がされそうになりながら、刀を振るった。
あの力は災いしか生まない。
だから、絶対に使ってなるものか──と、半ば意地にも近い思いを糧に、身一つでドラゴンに挑み続けた。
そうしたところで追い詰められていくのはルカ自身。
徐々に攻撃が
冷たい汗が流れているのに、炎に焼かれた皮膚は熱い。
爪で裂かれた箇所が、ジクジクと痛む。
呼吸をするのも苦しくて、腕に力が入らなくなってきていた。
「はぁ……はぁ」
息を整えるのに足を止めたルカの脳に、こんな〝声〟が聞こえて来る。
『我慢することはない』、『思いのまま力を揮え』と。
だが、これは悪魔の囁きだ。
従えば過去の二の舞になることを理解していた。
「誰が……、こんな力になど……ッ!」
ルカは唇を噛んで、刀の柄を力の限り握り締める。
そして
「ルカ・フォン・グランベル! お前の覚悟はその程度のものか!!」
空気を轟かせる怒声が響いた。ルカは驚いて振り返る。
そこには、眠るイリアを抱き寄せて、怒りに震えるエルがいた。
眉を吊り上げ、極寒の冬を思わせる瞳の中に憤怒の炎を宿して、彼は告げる。
「お前は何のために
エルの言葉が鋭く、ルカの胸に突き刺さった。
自分が犯した過去の罪を、彼は知っているのだろう。
そして、イリアと過ごした時間と、その過程でルカが何を思い、願ったのかさえも。
いつの日か、怯える自分に「ルカなら大丈夫」と微笑みかけてくれたイリアを思い出す。
「もしもの時は、私が貴女を止めるから」と、支えてくれた彼女の姿を──。
(そうよ……今度は、私が守るって決めたじゃない……! イリアを守るためなら、どんなことでもしてみせるって。……それなのに、恐れてどうするの!)
ルカは大きく息を吸い込んで、吐き出す。
そして、左手に刀を持ち直して、目の前に立ちはだかる巨大な〝敵〟を見据えた。
赤いドラゴン。何度見ても大きく精強で、畏敬の念すら抱く伝説上の存在だ。
けれど、これは自分に与えられた試練。今ここで打ち倒さなければならない。
ドラゴンの口元に炎が集積していく。ブレスがくる。
ルカはドラゴンを睨みつけ、声高らかに紡ぐ。
力を
「限定封印解除! コード『
左手首に嵌められた金色の腕輪、紅色の
これは封印具であり、同時にルカの力を制御する鍵でもあった。
『事前承認——
腕輪から
一瞬でも気を抜けば、力に飲まれてしまいそうだ。
ルカは恐怖に抗うように歯を食いしばる。
すると、不意に「大丈夫だよ」という彼女の優しい声が聞こえた気がした。
(イリア……そうよ、私は一人じゃない。彼女のために戦うの)
握り締めた刀から金の閃光が迸る。ルカは腕が熱くなるのを感じながら、ドラゴンへと突撃。
次の瞬間、炎のブレスが放たれた。
「は、あああぁァ!!」
刀を薙いで、ブレスを
ルカは勢いのまま、ドラゴンへ肉薄する。
「──
両手で刀の柄を握り締め、
ルカの刃が鱗に触れると、溢れ出た金の波動がドラゴンを浸食していった。
ドラゴンは咆哮を上げてもがき苦しんでいるが、止める術などない。
金の濁流がドラゴンを覆いつくしてゆく。
やがて、力が行き渡ると、その体躯は彫像へと姿を変えた。
刹那の静寂が訪れ──その後、ドラゴンの彫像はバキリと音を立ててひび割れ、血潮を噴き出すこともなく砕けて崩れた。
吹き付ける風に砂となった残滓が舞い上がり、塵となって消えてゆく。
その様子を見届けて、ルカは力を収めた。
「限定解除、終了……」
『要請受諾。
金色の輝きを宿していた腕輪の
瞬間、意識が白く染まった。耳鳴りがして、視界の端が赤く滲む。
力を使った代償だ。
ルカは倒れ込みそうになったが、地面へ刀を突き刺してなんとか踏みとどまった。
周囲を見渡すと、規則正しく敷かれた石畳が崩れ、噴水が壊れている。植えられた樹木も、ところどころ焼けてしまっていた。
けれど、不思議なことに死傷者は出ていない様子だ。
ルカは片膝をついて、荒い息を吐き出した。
全身に火傷や切り傷がある。痛みで意識が遠のきそうだった。
「やればできるじゃないか。できればもっと早く、本気を出してもらいたかったけどね」
淡々とした声が降る。
ルカが顔を上げると不敵に笑うエルがいた。
イリアはどこに──と視線を彷徨わせると、いつの間に駆け付けたのか、がたいの良い聖騎士の男が彼女を抱きかかえていた。
他にも多数の聖騎士が、被害の状況などを確認しているようだ。
「僕より姉さんの心配とは、いい度胸してるよ。でも、これで少しは安心できるな。姉さんを預ける相手が、口先だけじゃないとわかったから」
エルが口元にフッと笑みを浮かべる。
最初は少し訳アリなイリアの弟だと思っていたのに、今や彼の言動には疑問しか浮かばない。
ルカは汗を拭い息を整えて、問う。
「……エル。貴方、何者なの……?」
彼の
感情が読めない。だが、口元には笑みが浮かんだままだ。
「改めて自己紹介しよう。僕の名はノエル・ルクス・アルカディア。女神の代理人にして、このアルカディア教団の頂点たる教皇だよ」
ルカは目を見開いた。
ただ者ではないとはないと思ったが、予想だにしていなかった人物だ。
反射的に礼を取っていた。
「聖下とは存じ上げず、数々の無礼を……」
「畏まらなくていい。その代わり、今日のことは他言無用だよ」
「はい。しかと胸に刻みます」
「だから畏まるなって。周りにバレたら面倒なんだ」
大きなため息を吐く音が聞こえて、ルカは下げた頭を持ち上げる。
そこには威厳ある〝教皇〟ではなく、面倒くさそうに顔を歪める〝少年〟ノエルの姿があった。
「……わかったわ。エルも色々と大変なのね」
「血筋と
ノエルが憎悪を滲ませた表情で、ギリッと奥歯を噛みしめる。
その恐ろしい形相に、背筋が寒くなった。
彼にこうも負の感情を抱かせる要因とは何なのか。
自分の知らない何かがあるのだと予感した直後、その言葉は告げられた。
「お前に一つ教えておく。……姉さんは、世界のために死ぬつもりだよ」
思考が止まる。
言葉の意味が理解できず、頭が真っ白になった。
(なに……? イリアが……なんて言ったの?)
悪い冗談だ。
聞き間違いかもしれない。
そう思ったが……ノエルの、今にも泣き出しそうな悲痛な面持ちを見て、確信する。
これは〝真実〟であると。
身体が震えた。ルカは叫び出しそうになる衝動と、込み上げて来る感情を抑えようと、両手で口元を覆った。
〝世界のために死ぬ〟——イリアが、そんな宿命を背負っているだなんて、誰が想像出来ただろうか。
(……どうして? 嘘でしょう……。イリア、イリア……!)
ノエルは「いま僕に言えるのはこれだけだ」と述べて、イリアを抱きかかえる聖騎士と共に、その場を去っていった。
あまりに残酷な真実を告げられて、ルカは動けない。
彼らの背をただただ、見送ることしか出来なかった。