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第六話 夕陽の激闘、そして告げられた別離の宿命

 夕陽を背に、赤きドラゴンが咆哮を上げる。翼をはためかせ、炎の渦を吐き散らしながら。


 刀を構えたルカは炎を避けて、跳躍。

 首元に狙いを定めて一閃を決めるが──やはり鱗に阻まれ、刃が通らなかった。



(まるで、歯が立たない。せめて弱点がわかれば……!)



 滞空中に鋭い爪が迫る。

 ルカは咄嗟に身を捻り、刀で受け流そうと試みたが、腕や肩をかすめて血飛沫が舞う。

 鈍い痛みが走った。



「くぅ……ッ!」



 着地を決めると息付く間もなく、敏速に振り回された尾が追い討ちをかけて来る。

 ルカはスレスレでかわして、距離を取った。


 ドラゴンの一撃は、どれも致命傷になり得るものだ。

 極度の緊張感からバクバクと心臓が脈動し、息が切れた。



「ペイ、力を使え! 【塔】の祝福アルカナを解放しろ」



 エルの声が響く。遠くから聴こえるのに、やけにはっきりと耳に届いた。


 抗えない本能が〝命令〟に従おうとする。けれど、ルカは力を使うことに抵抗があった。


 この力は無差別に振るえばみずからを、そして全てを破滅へと導きかねない諸刃のつるぎ


 それは過去の悲劇が証明していた。



(怖い……私は、この力を使いたくない……っ)



 ルカは刀を握り締めて、再びドラゴンへ向かって行く。

 これが無謀な試みであることは、理解していた。



「あああぁッ!」



 恐怖心を振り払うように腹の底から声を絞り出して、ドラゴンを斬り付ける。


 腹、腕、尾の付け根、どこでもいい。


 弱点となる部位が見つかれば、とその一心で、爪に引き裂かれ、吐き出される高温のブレスに身を焦がされそうになりながら、刀を振るった。


 あの力は災いしか生まない。


 だから、絶対に使ってなるものか──と、半ば意地にも近い思いを糧に、身一つでドラゴンに挑み続けた。


 そうしたところで追い詰められていくのはルカ自身。

 徐々に攻撃がかわしきれなくなり、傷が増えてゆく。


 冷たい汗が流れているのに、炎に焼かれた皮膚は熱い。

 爪で裂かれた箇所が、ジクジクと痛む。

 呼吸をするのも苦しくて、腕に力が入らなくなってきていた。



「はぁ……はぁ」



 息を整えるのに足を止めたルカの脳に、こんな〝声〟が聞こえて来る。

 『我慢することはない』、『思いのまま力を揮え』と。


 だが、これは悪魔の囁きだ。

 従えば過去の二の舞になることを理解していた。



「誰が……、こんな力になど……ッ!」



 ルカは唇を噛んで、刀の柄を力の限り握り締める。

 そして悔恨かいこんを抱いて、また地を蹴り上げようとした時。



「ルカ・フォン・グランベル! お前の覚悟はその程度のものか!!」



 空気を轟かせる怒声が響いた。ルカは驚いて振り返る。

 そこには、眠るイリアを抱き寄せて、怒りに震えるエルがいた。


 眉を吊り上げ、極寒の冬を思わせる瞳の中に憤怒の炎を宿して、彼は告げる。



「お前は何のために女神の使徒アポストロスとなることを受け入れた? レーシュの騎士になった? 己の力を恐れるだけで、御する覚悟もないのなら……姉さんを任せる資格なんかない!!」



 エルの言葉が鋭く、ルカの胸に突き刺さった。


 自分が犯した過去の罪を、彼は知っているのだろう。

 そして、イリアと過ごした時間と、その過程でルカが何を思い、願ったのかさえも。


 いつの日か、怯える自分に「ルカなら大丈夫」と微笑みかけてくれたイリアを思い出す。


 「もしもの時は、私が貴女を止めるから」と、支えてくれた彼女の姿を──。



(そうよ……今度は、私が守るって決めたじゃない……! イリアを守るためなら、どんなことでもしてみせるって。……それなのに、恐れてどうするの!)



 ルカは大きく息を吸い込んで、吐き出す。

 そして、左手に刀を持ち直して、目の前に立ちはだかる巨大な〝敵〟を見据えた。


 赤いドラゴン。何度見ても大きく精強で、畏敬の念すら抱く伝説上の存在だ。


 けれど、これは自分に与えられた試練。今ここで打ち倒さなければならない。


 ドラゴンの口元に炎が集積していく。ブレスがくる。

 ルカはドラゴンを睨みつけ、声高らかに紡ぐ。


 力をふるうための言葉コードを。



「限定封印解除! コード『Ηイータ-TT1103』、目覚めて……〝崩壊ラ・メゾン・デュー〟!」



 左手首に嵌められた金色の腕輪、紅色の魔耀石マナストーンが熱を帯びて、脈打ち始める。

 これは封印具であり、同時にルカの力を制御する鍵でもあった。



『事前承認——許可クリアー。コード確認、要請ようせい受諾じゅだく。限定封印、解放リリース



 魔術器まじゅつきから機械的な音声が響き、腕輪の魔輝石マナストーンが色を変えて金色に輝く。

 腕輪からあふれ出た赤色まじりの金の波動が、ルカの左腕にまとわりらめいた。


 一瞬でも気を抜けば、力に飲まれてしまいそうだ。


 ルカは恐怖に抗うように歯を食いしばる。

 すると、不意に「大丈夫だよ」という彼女の優しい声が聞こえた気がした。



(イリア……そうよ、私は一人じゃない。彼女のために戦うの)



 握り締めた刀から金の閃光が迸る。ルカは腕が熱くなるのを感じながら、ドラゴンへと突撃。


 次の瞬間、炎のブレスが放たれた。



「は、あああぁァ!!」



 刀を薙いで、ブレスを。と、瞬く間に炎という物質が〝崩壊〟を起こし、まるで元から存在していなかったかのように消し飛んだ。


 ルカは勢いのまま、ドラゴンへ肉薄する。



「──くずれ去れ!」



 両手で刀の柄を握り締め、下段より切り上げた下弦・一閃


 ルカの刃が鱗に触れると、溢れ出た金の波動がドラゴンを浸食していった。

 ドラゴンは咆哮を上げてもがき苦しんでいるが、止める術などない。


 金の濁流がドラゴンを覆いつくしてゆく。

 やがて、力が行き渡ると、その体躯は彫像へと姿を変えた。


 刹那の静寂が訪れ──その後、ドラゴンの彫像はバキリと音を立ててひび割れ、血潮を噴き出すこともなく砕けて崩れた。


 吹き付ける風に砂となった残滓が舞い上がり、塵となって消えてゆく。


 その様子を見届けて、ルカは力を収めた。



「限定解除、終了……」


『要請受諾。解放終了リリース・ピリオド



 金色の輝きを宿していた腕輪の魔輝石マナストーンが、本来のあか色を取り戻し、光が収束する。


 瞬間、意識が白く染まった。耳鳴りがして、視界の端が赤く滲む。


 力を使った代償だ。

 ルカは倒れ込みそうになったが、地面へ刀を突き刺してなんとか踏みとどまった。


 周囲を見渡すと、規則正しく敷かれた石畳が崩れ、噴水が壊れている。植えられた樹木も、ところどころ焼けてしまっていた。


 けれど、不思議なことに死傷者は出ていない様子だ。


 ルカは片膝をついて、荒い息を吐き出した。

 全身に火傷や切り傷がある。痛みで意識が遠のきそうだった。



「やればできるじゃないか。できればもっと早く、本気を出してもらいたかったけどね」



 淡々とした声が降る。

 ルカが顔を上げると不敵に笑うエルがいた。


 イリアはどこに──と視線を彷徨わせると、いつの間に駆け付けたのか、がたいの良い聖騎士の男が彼女を抱きかかえていた。


 他にも多数の聖騎士が、被害の状況などを確認しているようだ。



「僕より姉さんの心配とは、いい度胸してるよ。でも、これで少しは安心できるな。姉さんを預ける相手が、口先だけじゃないとわかったから」



 エルが口元にフッと笑みを浮かべる。


 最初は少し訳アリなイリアの弟だと思っていたのに、今や彼の言動には疑問しか浮かばない。


 ルカは汗を拭い息を整えて、問う。



「……エル。貴方、何者なの……?」



 彼の灰簾石タンザナイトのように美しい瞳が、深い青に色を変える。

 感情が読めない。だが、口元には笑みが浮かんだままだ。



「改めて自己紹介しよう。僕の名はノエル・ルクス・アルカディア。女神の代理人にして、このアルカディア教団の頂点たる教皇だよ」



 ルカは目を見開いた。

 ただ者ではないとはないと思ったが、予想だにしていなかった人物だ。

 反射的に礼を取っていた。



「聖下とは存じ上げず、数々の無礼を……」


「畏まらなくていい。その代わり、今日のことは他言無用だよ」


「はい。しかと胸に刻みます」


「だから畏まるなって。周りにバレたら面倒なんだ」



 大きなため息を吐く音が聞こえて、ルカは下げた頭を持ち上げる。


 そこには威厳ある〝教皇〟ではなく、面倒くさそうに顔を歪める〝少年〟ノエルの姿があった。



「……わかったわ。エルも色々と大変なのね」


「血筋と祝福アルカナによって定められた人生なんて、地獄でしかないからね。本当に、忌々しい」



 ノエルが憎悪を滲ませた表情で、ギリッと奥歯を噛みしめる。

 その恐ろしい形相に、背筋が寒くなった。


 彼にこうも負の感情を抱かせる要因とは何なのか。

 自分の知らない何かがあるのだと予感した直後、その言葉は告げられた。



「お前に一つ教えておく。……姉さんは、世界のために死ぬつもりだよ」



 思考が止まる。

 言葉の意味が理解できず、頭が真っ白になった。



(なに……? イリアが……なんて言ったの?)



 悪い冗談だ。

 聞き間違いかもしれない。


 そう思ったが……ノエルの、今にも泣き出しそうな悲痛な面持ちを見て、確信する。


 これは〝真実〟であると。


 身体が震えた。ルカは叫び出しそうになる衝動と、込み上げて来る感情を抑えようと、両手で口元を覆った。


 〝世界のために死ぬ〟——イリアが、そんな宿命を背負っているだなんて、誰が想像出来ただろうか。



(……どうして? 嘘でしょう……。イリア、イリア……!)



 ノエルは「いま僕に言えるのはこれだけだ」と述べて、イリアを抱きかかえる聖騎士と共に、その場を去っていった。


 あまりに残酷な真実を告げられて、ルカは動けない。

 彼らの背をただただ、見送ることしか出来なかった。

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