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第35話 急成長



 落ち着いたら、シスターに手紙を出そう。

 困難はたくさんあったけれど、何とか乗り越えて元気にやっていると。


 聖女の刻印が解除されたシャノンは、一応クア教国の「聖女」という称号を無くしたことになる。

 とはいえ、癒しの力や浄化の力が消えたわけではない。闇属性の魔力を扱う闇使いのように、これからも能力による呼称のひとつとして聖女と呼ばれることもあるだろう。


 これで晴れて完全解除に至ったシャノンだが、直後ということもあって特に変化を感じることなく拍子抜けしていた。




「さ、そろそろ夜会が始まるよ。ルロウもシャノン殿も、遠慮せず楽しんでくれ」

「なぜ、参加の流れなんだ?」

「もちろん、今皇城でもっとも噂されているのが君のことで、誰もが次期当主のルロウ・ヴァレンティーノを一目見たいからだよ」


 シャノンとルロウが皇城に来た理由は、青年長との面会のほかに、本日皇城主催で行われる夜会に出席するためでもあった。

 正式に公表せず入国していた青年長の存在も、今宵改めてクア教国からの客人として出席者に紹介する予定だという。


 そして、ルロウが正式な手続きを踏んで登城し、公の場に姿を現したことで貴族たちは騒然としている。

 ようやく今回の夜会で姿を拝見できるのだと、皆期待しているのだ。


「今回の件もそうだが、いつもヴァレンティーノの我儘に目を瞑っているんだ。たまには君たちも、皇族の体裁を保つ手伝いをしてくれないかな」

「…………」


 ルロウは眉を寄せて無言を貫く。

 何も言わないものの、夜会には出席するつもりのようだ。


「別室を用意しているから、二人とも着替えて大広間に行くんだよ。ルロウ、誰彼構わずその目つきで圧することないように注意してくれ」

「おれを獣か何かと思っているのか?」

「ほかの貴族……特に女性陣を怖がらせないでくれと言っているんだよ。君の見た目に釣られて近づいてくる者は多いだろうからね」

「……では、怖がらせずに黙らせてやろう」


 ルロウは最後まであまりいい顔をしていなかった。



 ***



 会場はすでに多くの出席者で溢れていた。

 彩り豊かな女性陣のドレスを目にすると、シャノンはまるで花畑の真ん中にいるような錯覚に陥る。


「ねえ、あの方がもしや」

「そうよ。ヴァレンティーノ家の次期……」

「闇夜の一族の、覇王……」

「当主様も端正なお顔立ちだけれど、あの方も相当よ」

「ええ、予想外ですわ」

「ああ、なんて」


「「――惚れ惚れするほど麗しい御方なの!」」


 会場中の女性たちの視線がすべて集中しているような、重々しく色を含ませた視線。シャノンは気づかれないように口端をひくつかせた。

 しかし、ルロウは一切気にした様子なく涼しい顔をしている。


 畏怖の対象であるヴァレンティーノだが、ルロウのように美貌に優れた男を前にした女性陣の反応は素直なものだった。

 我先にと声をかけようと動く気配がする。


(このままだとわたし、潰されちゃいそう)


 身の危機を感じとったシャノンは、ルロウから離れて壁の花になるべく後退る。

 だが、ルロウはそれを許さなかった。


「おまえの場所は、ここだ」


 女性たちがルロウ目掛けて足を進めた瞬間、シャノンの体はすっぽりとルロウの腕の中に収まっていた。


(また……!!)


 さすがにこの場で声を上げることは躊躇われ、シャノンは思い切りルロウを凝視することで対抗する。が、ルロウにはちっともきかず何処吹く風だった。


(どうしてわたしを抱えるのっ)


 シャノンは一人で焦っているが、傍から見た二人は年の離れた兄妹に見えなくもない。シャノンの年齢を知らないままなら、そこまで驚愕するような光景でもないのである。


 その証拠に、ルロウの元に一番乗りでやって来た令嬢からは、


「初めてお目にかかります、ルロウ・ヴァレンティーノ様。……そちらのお嬢様は、ご兄妹ですか?」


 という質問がされた。


「そちらの珍しい衣服は、西華国のものですわよね。細やかな刺繍がお揃いで、とても素敵ですわ」


 本日のシャノンのドレスは、形は帝国の流行りを押さえてはいるが、柄は全く異なっていた。

 帝国貴族の子女がまず着ることはない華衣の刺繍や飾りをふんだんに取り入れた、ハオ傑作のドレスなのである。


 そしてルロウはというと、皇城主催の夜会にも関わらず、耽美な華衣で全身を揃えていた。

 この会場で華衣を身に纏うのはルロウだけ。けれど持ち前の風貌と艶やかな衣装を合わせれば、それは決して異質ではなく誰もが目を惹く特別なものとして多くの目に映った。


 衣装がお揃いに見えるからか、毛色は違くとも余計にルロウとシャノンは兄妹に見えてしまうのだろう。



「……お褒めいただき光栄に存じます。ご紹介が遅れましたが、彼女は私の、婚約者に望む唯一の女性です」


 時が止まったような心地がした。

 聞き慣れないルロウの滑らかな発言に、「誰ですかそれ」と言ってしまいそうになる。


「こ、婚約者」

「そうでしたの、婚約者……」

「婚約者」


 妖艶に微笑むルロウを前に圧倒されてしまった令嬢たちは、似たような反応をして顔を赤らめている。

 ルロウが皇太子に言っていたとおり、無駄な詮索を言わせずに黙らせてしまった。

 たった一瞬、表情を緩めただけで。


(ルロウ、急に楽しそうな顔してどうしたんだろう。さっきまでは不機嫌そうだったのに)


 近い距離にあるルロウの顔を見上げれば、すぐに視線を返される。

 やっぱりどこか機嫌がいい。


「否定は、しないのか?」

「……!」


 にやっと笑うルロウの顔に、ハッとさせられる。


 ルロウはシャノンのことを「婚約者に望んでいる人物」と紹介したのだ。それはもうほとんど婚約者と言っているようなもので。


 発言の結果そうなってしまったのか、それとも確信犯なのか定かではないが。ルロウが機嫌よくなったのはそういうことかとシャノンは察する。


(そういえば、まだちゃんとルロウに言っていなかった)



「否定も、なにも……」


 そのとき唐突に、瞼が重くなる感覚がした。


「……? シャノン」


 ルロウはすぐに不敵な笑みを消し去り、シャノンの様子の変化に顔を顰める。


(もう、記憶返りで眠くなることも少なくなったのに……また、こんなに急に眠くなるなんて)


 貴族ばかりのこの場で意識を落とすのはまずい。

 それなのに体は石のように動かなくなり、ぎりぎりまで保っていた思考は瞼の裏の闇に溶けていった。




 ***




 つまらん夜会に参加してしまったな、とルロウは胸の内で吐露した。

 理由は明白、先にシャノンが寝落ちしてしまったからだ。


 会場に入って早々に眠りに落ちてしまったので、ルロウは皇太子が予め用意していた客室にシャノンを寝かせに戻った。

 双子がシャノンのそばについて見張ってくれているので心配はない。だが、パートナー不在となった今一人で会場に戻る意味などないだろうと思う。


(鬱陶しい)


 それでも皇太子から言われていた皇族の体裁を配慮し、会場に戻ってきたルロウは、捌いても捌いても寄ってくる貴族の女性たちにうんざりしていた。


(それにしてもあの顔は、実に見物だった)


 公共の場で「婚約者に望む女性」と言ったルロウの意図に気がついたシャノンは、丸く愛らしいオリーブ色の瞳を震わせていた。


 あの間の抜けた表情を反芻していれば、貴族女性の群れの中にいようとルロウはイライラせず儀礼的な笑みを浮かべていられる。

 自分が考えるよりもずっと、シャノンという人間は、ルロウの緩和剤としての役目を果たしていた。


(…………なにを、言おうとしていたんだ?)


 ルロウはシャノンが眠る前に言いかけていた言葉を考える。


 否定も、なにも。

 その先なにを言おうとしていたのだろう。


(唐突に眠ったのは、刻印解除の反動だろう。…………そろそろ、頃合いだな)


 時刻はすでに日をまたごうとしていた。

 出席者のほとんどはいまだ帰る様子はなく、思い思いに楽しんでいる。


 なによりも、女性たちから感じる熱視線にルロウは嫌気がさしていた。

 以前の自分であったなら、良さそうな女を捕まえて後腐れない夜を過ごしていただろう。

 しかし今はどうだ。濃すぎるくらいの香水も、肌に染み付いた白粉も、すべてが鼻について仕方がない。



「ルロウ様の婚約者様……とても幼い印象を受けましたが、一体どちらのご令嬢なのでしょうか?」

(それをおまえに教える必要はあるのか?)


「デビュタントもお済みでないのでは? ルロウ様はとても女性の扱いに慣れていらっしゃいますし、物足りないのではなくて?」

(こいつ、死にたいのか)


「ルロウ様。わたくし、ヴァレンティーノを誤解していました。まさか次期当主となられる御方が、こんなにも素敵なお人だったなんて」

(……聞くに絶えんな)


 ルロウのそばを離れようとしない女性たちは、自分たちの売りをよく理解している。

 細くしなやかなくびれ、豊満な胸部、柔らかな肌。

 女性特有の武器を使って撓垂れ掛かり、ルロウを誘惑しようとしているのだ。


 少し前の自分は、彼女たちのように割り切った関係を求めてくる連中を好ましく思っていた。特別を知らなかったから。



(……人の気も知らず、あどけない顔で、眠っているんだろう)


 重症だ。こんなときでも思い出してしまうのは、シャノン以外にいないのだから。



『フェイロウ!! 大変!!』


 血相を変えて会場に飛び込んできたのは、ヨキと一緒にシャノンの護衛を頼んでいたはずのハオだった。


 緊急の際は一人がルロウの元に走って知らせることになっている。

 ここに来たということは。


『シャノンの体が……様子が……!!』

「…………!」


 焦って西華語を話すハオの声が聞こえた瞬間、ルロウは脇目も振らずに女性たちの間をすり抜け、素早く会場を出ていく。

 ハオから詳細を聞くよりも早く、ルロウはシャノンの元へ急いだ。




 ***



 シャノンが眠る客室の扉を乱暴に押し開いたルロウは、寝台横で佇むヨキを視界に捉えた。


「なにがあった」

『シャ、シャノンが……シャノンが……』


 いつも気が抜けるような口調のヨキも、西華語を話して口をパクパクさせている。

 ルロウは寝台にいるシャノンに目を向け、言葉を失った。




 薄暗がりの寝台の上、呑気な寝息が聞こえる。



「……おまえはいつも、おれの想像を超えてくる」


 窓から入る淡い月光に包まれ眠っているのは――大人びた空気をまとい、美しく変貌した、シャノンの姿だった。



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