登城命令は原則すぐに向かわなければいけないことになっている。
それなのにシャノンが皇城に着いたのは、正午を過ぎた頃だった。
シャノンたちを乗せた馬車は、大きく重量のありそうな外門を潜り、このさらに先にある正門へと向かっていた。
「まだ正門に着いたわけじゃないのに、人がたくさんいるんですね。ほかにも馬車が走っているし」
窓のカーテンの隙間から様子を窺っていたシャノンが、圧倒されたように呟く。
「そうだな。私たちの登城は前もって城の人間たちに報せていたんだろう。いつもよりも衛兵の数も多い」
「…………」
ヴァレンティーノ家当主であるダリアンは、皇族とそれに連なる傍系一族の毒素を吸収する務めがあるため、事ある毎に城には来ていたようだ。
「ルロウもよくお城には顔を出しているんですか?」
シャノンが尋ねると、煙管を咥えていたルロウは、少し間を開けて口を開いた。
「……正式な手続きを踏み入ったことはない。いちいち正門など通らずに、直接皇太子宮へ向かっていたからな」
「それはつまり、不法侵入」
「こいつは今まで公に姿を見せるのを避けていたから、目立つ正門を通ることは絶対になかったんだ。皇太子の許可があってできることだが、それでも見つかれば即地下牢行きだろう」
当主として君臨するダリアンと違い、ルロウは領地に滞在するのがほとんどで、自分が次期当主だと周りに名乗ることもなかった。
ルロウは以前、必要なときがくれば社交界にも出席するし、顔を晒すこともあると言っていたが……もしかして、とシャノンは察した。
(今回の登城は、ルロウにとって初めてヴァレンティーノ家次期当主、ルロウ・ヴァレンティーノとして顔を出すということなんだ……)
ことの重要性を改めて認識したシャノンは、申し訳ない気持ちで隣に座るルロウを盗み見た。ルロウはその視線の意味を理解したのか、ふっと不敵に笑い「また顔がおかしなことになっているぞ」と言ってのけた。
やがて馬車が正門を抜け皇城内に停まると、ヴァレンティーノの家紋が描かれる馬車を目にした衛兵たちの顔つきが、一気に緊張感あるものに変わった。
外から扉が開けられ、まずはダリアンが先に降りていく。
続いてルロウ、最後にシャノンという順だ。
(杖は持ってきたけど、それでも転ばないように気をつけないと)
ぎゅっと杖を握りしめて馬車を降りようとしたシャノンは、目の前に差し出されたルロウの手に気がついた。
前に一度、中心街に出かけたときもエスコート(あの時は婚約者ごっこ中で妙に優しくされた)をされたのを思い出しながら、シャノンはありがたく手を置かせてもらった。
「え……!?」
だが、なぜか突然手を前に引っ張られたことで、体勢を崩したシャノンは、馬車から転げ落ちそうになってしまう。
せめて足から着地できるようにと備えていたら、地面に足が触れる前に、体がふわりと宙を浮いた。
(これって)
顔をあげ、少し斜め横を向くと……すました顔のルロウと視線が重なり、シャノンは目を見張った。
「どうしてわたしを抱えているんですか!」
「おまえの歩行を待っていたら日が暮れる」
「だとしてもこんなところではっ」
抗議を入れようとしたところで、大きな咳払いが聞こえてくる。
いつの間にかシャノンたちの目の前には、貴族の風格溢れる四十代半ばの男性が立っていた。
「ヴァレンティーノ伯爵家当主、並びにご子息。登城に応じて頂き感謝する」
続いてシャノンに目を向けた男は、少しだけ瞳を見開くと、二人と同じように礼をとった。
男性はルロウがシャノンを抱えていることに関しては一切触れず、すぐに城内へ通され、謁見の間まで案内される。
案内の途中、シャノンは城内にいる多くの貴族や官僚らの視線を浴びることになった。
シャノンの存在もだが、詳しい事情を知らない貴族たちのほとんどは、優美な華衣を纏うルロウに釘付けだったように思う。
ヴァレンティーノ家当主と共にいる華衣も着た麗人。
今まで具体的な風貌すら知らなかったわけだが、貴族らは彼こそが次期当主のルロウ・ヴァレンティーノであると、確信付けていたのだった。
***
謁見の間に入ると、そこにはすでに皇帝と皇太子の姿があった。
シャノンの想像では、もっと仰々しい作法やしきたりがあり、跪いて会話するものだと思っていたのだが、そんなことはなかった。
「待っていたぞ、ヴァレンティーノ。次期当主も息災のようだな。して、その者が……聖女殿か?」
「はは、ルロウとは随分仲が良いみたいだ」
皇帝はシャノンをじっくり見据え、隣に立つ皇太子は愉快そうな笑みを浮かべている。
ルロウはというと、ここへきてようやくシャノンを降ろし立たせてくれた。
「はじめまして。シャノンと申します。以前は教国で……聖女をしていました。今はヴァレンティーノ家にお世話になっています」
「シャノン殿、会えて光栄だ。そのドレス、とても似合っているよ」
「……あ、ありがとうございます」
シャノンのためにタウンハウスの使用人らが用意したのは、細やかなレースが美しく、静かな夜の空を彷彿とさせる深い藍色のドレスだ。スカートが揺れるたび、小さく散らばった宝石が星の瞬きを演出しており、髪には以前ルロウが贈ってくれたリボンが結われている。お守りだといって、出発間際にハオが付けてくれたのだ。
そしてヴァレンティーノの家門色である「暗闇」と同系統の色のドレスをシャノンに着せて登城させるということは、シャノンがヴァレンティーノ側の人間だという主張を暗にほのめかす効果にも繋がっていた。
シャノンも薄々そうではないかと感じていたので、皇太子のお褒めの言葉になんとも言えない気持ちになってしまう。
立ってする話でもないからと、それぞれ椅子に腰をかける。
給仕に茶を用意させたあとで、皇帝は人払いをした。
「これで互いに遠慮せず話せるだろう。さて、とんでもない事実を隠していたものだな、ダリアン」
人払い後、空気を和らげた皇帝は、くつくつと喉を鳴らし笑いかけた。
ダリアンは苦い顔を……いや面倒臭そうにため息を吐いている。
それを見た皇太子はクスクスと笑って話に混じった。
「陛下、秘密主義の伯爵に意地悪したい気持ちも分かりますが、まずは事実確認をしましょう。シャノン殿……君は毒素を浄化できるという話だが、それは本当なのかい?」
「はい。本当です」
シャノンは素直に認める。皇帝と皇太子の表情が、ほんのりと真剣味を帯びていく。
「……事実だ。この体に蓄積されていた毒素も、浄化によって消えた。城に来てまで無駄な虚偽を並べるつもりはない」
「ああ、君はそういうやつだね。それは友人である僕が保証しますよ、陛下。そして僕にはシャノン殿も無意味な嘘をつくような人間には見えない。理解するためにも、順を追って話を聞かせてくれないかな」
それから、これまでの経緯をすべて話すことになった。