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第13話 「つまらない」




 外出した日から五日ほど時間が経過した。

 杖を与えられたシャノンは、屋敷内の行動範囲が以前よりもうんと増えて、自分の力で中庭に足を運べるようになった。


 ヴァレンティーノ家の人間は、シャノンにとても良くしてくれる。ルロウの婚約者という立場にあるからこその対応だということは理解しているけれど、その優しさに絆されつつあった。


 ルロウとも、なんだか親しくなったような感じがする。

 うぬぼれかもしれないが、シャノンに向ける仕草の端々には優渥さがあった。

 ルロウの態度には、彼の部下も目を見張るものがあったようで、影で「少し感じが変わったな、ルロウ様」と囁かれているのも聞いた。


 親しくなれているのかな、そうだったら嬉しいな。早く万全の状態にして、この恩を返せるようになりたい。――そう、このときばかりは前向きに思っていた。



 その日は、中庭で双子の打ち合いを見学していた。

 双子は闇使いではないが、ルロウがそばに置くことを許すほどの実力がある。

 少しなら魔法も扱えるようで、ハオは風、ヨキは火を攻撃にうまく織り込みながら打ち合いを続けていた。


(もう、部屋に戻らないと)


 吹き抜ける北風の冷たさが、日暮れを知らせる。

 頃合いを見て双子に声をかけようとしたシャノンは、どこからか聞こえてきた争う声に、騒ぎの出処を探した。


「……」

「……」


 夢中になって武器を振り回していた双子の勢いが止むと同時に、建物の角からは大勢の人々が姿を現す。

 ほとんどがシャノンと顔見知りの、ルロウの部下だった。

 しかし、シャノンとティータイムをするときに見せている柔らかな顔つきとは違い、皆が険しい面持ちで歩いてくる。


 向こうはまだ、シャノンたちに気づいていないようだ。


「ヨキ。シャノンを部屋に連れていこ」

「うん、そうだねハオ〜」

「シャノン、立てる?」

「うん、いま――」


 いつもならば彼らに挨拶を交わしていた。

 それが躊躇われたのは、あきらかに様子が違うことに気づいたからである。


「離せって言ってんだろうが!!!」


 シャノンが備え付けの椅子から立ち上がろうとしたとき、中庭全体に男の怒声が響き渡った。

 ピリリと空気が張り詰め、残響が消えるまでのわずかな時間、辺りは静寂に包まれる。

 立ち上がったシャノンが、声の男を見捉えるには十分すぎる時間だった。


「暴れんじゃねぇ!! 教国のドブネズミが!」


 数人に拘束された男の腹を蹴りあげたのは、この前、シャノンに菓子を与えてくれた人だった。


「手を煩わせやがって。覚悟はできてるんだろうなぁ?」


 ドブネズミと呼ばれる男の髪を乱暴に掴んで脅しをかけるのは、シャノンが菓子を頬張る姿に「癒されるなぁ」と目尻を緩めていた人である。

 そこには誰一人として、シャノンと接する優しい顔を浮かべる人間などいなかった。


「……クソがっ!!」

「おい、待て!!」

「逃がすな!!」


「あ、やば」

「こっち来るじゃん〜」

「シャノンはちょっとさがってて」


 一瞬の隙をつき拘束から逃れた男は、もつれた足を必死に動かしてシャノンたちのほうへ駆けてくる。

 一連の流れを眺めていた双子が、手に持っていた武器を構えて男を迎え撃つ体勢をとった――その時、


「ぎゃああああああ!」


 聞くに堪えない絶叫が、シャノンの鼓膜を震わせた。

 ――ぼとっ。

 同時に生々しいかたまりが、空から降ってきて、シャノンの足元に転がった。


「「あ」」


 双子が目を見開いて、こちらを肩越しに振り返っている。

 部下たちも放心した様子でシャノンのほうを見つめ硬直していた。


 なにかある。つま先に触れる、形容しがたいなにか。

 シャノンは視線を、ゆっくりと下降させる。


 どくどくと出来上がりつつある血溜まり。

 目眩がした。呼吸が速くなり、だけど一度目に映してしまえば金縛りのように動けなくなってしまう。


 それは、切断された男の片腕だった。


(……っ)


 途端に粟立つ肌。

 頭の奥深くを抉る鈍痛と、首裏が熱されたようにヒリついた。



「――ネズミの動きを封じることも、ままならんのか」


 咎める言葉とは裏腹に、声には機嫌の良さが滲み出ていた。

 足音すら鳴らない静かな歩みが、少しずつシャノンとの距離を詰めていく。


「ル、ロウ……」


 いまにも途切れそうな声音で呼ぶ。

 双子が佇むその先で、肘から先を失くしてのたうち回る男の前にやってきたルロウは、容赦なく足で体を踏みつけた。


「痛いか?」

「…………っ!!」

「何も、喋らないのか? おまえたちがこそこそと嗅ぎ回っていた、ルロウ・ヴァレンティーノとは、おれのことだが。こうして相見えた感想を聞いてみたいと思って連れてきたんだぞ?」


 ゆったりと、独特な自分のペースで話を進める。

 こんなときでもルロウの話し方は変わらない。


「っ、華衣の、服……ほ、本当にお前が――」

「その反応は、全く新鮮味もない」

「な、あ……ぎやぁあああ!」


 男の体に添えられていたルロウの足が、無慈悲に傷を抉る。

 それでもルロウの表情は虚空を見つめるように冷めたものだった。


「おまえは、もう助からないだろう。だが、おれもおまえたちが言うところの悪魔? ではない」

「ぐっ、う……なにが、言いたい」

「一瞬であの世へ渡るか、時間をかけてあの世へ渡るか。選ばせてやろうと言っている」


 ルロウは、そっと囁く。


「ネズミの親玉は、誰だ?」

「……」


 口を割らない男に、ルロウは「ふーん」と目を細める。

 それから思い出したような素振りを見せた。


「ああ、自分の女を数日も放置することは、あまり薦めない」

「なにを、言って……」

「キーリクの5番裏通り。おまえの女は、おまえよりも自分の身が可愛かったようだぞ?」


 その発言を皮切りに、男は瞬時に青ざめ、視線が左右にぶれ始める。


「なんで、知って……ど、どうしてバレて……おい、おい! あいつをどうした!? どうしたんだよ!?!?」

「――ああ、どうだったか。おまえのことなどどうでもいいと、撓垂れ掛かってきたところまでは覚えているが」

「あ、あいつは、生きて……るのか」


 ルロウは「どうしてそんなことを聞く?」という顔で、首を軽く傾けた。

 足蹴にされた男の目は血走り、殺気を孕んでいる。


「いまごろ魔物の餌になっているだろう。ネズミを手引きする反逆性を持ち合わせていたにしては、思った以上につまらん女だった」

「てめぇ……イカれてるやがる。ふざけるなよ、帝国の駄犬がぁ!」


 悪びれもないルロウの態度に、男は声を荒らげる。

 だが、ルロウはそれ以上男に目を向けることはなかった。




 ***




 腕を切られた男は、ルロウの部下たちによってどこかへ連れていかれた。

 いままで与えられてきた平穏な生活は夢だと、そう錯覚するほどに生々しく、強烈な光景。

 すべて、現実だった。これまでの信じられないような柔らかな日々も、たったいま見せられた惨たらしい出来事も。


(靴が……)


 靴の裏に血の染み込む感覚がおぞましい。

 手足は冷たくて、けれど靴の革越しに感じる生温かさに吐き気がした。


「――シャノン」


 いやに耳に馴染んだ呼び声。

 目の前にルロウが立っていることに気づいて息を呑む。


 切られた腕は道端の石を蹴るように、中庭の端に飛ばされていた。


「あ、の……」

「うん、どうした?」


 わかっているはずなのに。ルロウは敢えて尋ねてくる。

 血の匂いが不快で、冷静に言葉を紡ぐことはできなかったが、心は波のない海のように徐々に沈静していく。


「ルロウ、いまのは……どうしてあの人の、腕を切って?」

「なにを、震えている。おれに歯向かうドブネズミと、少し遊んだだけだろう?」

「あの人は、どうなるんですか?」

「ここはヴァレンティーノ。ドブネズミが何匹死のうと、どうでもいい」


 闇夜の一族ヴァレンティーノ。

 当主は密かに『覇王』と呼ばれ、皇室も手出しができない家門。

 ヴァレンティーノは、自分たちに歯向かう勢力を許さない。

 帝国に仇なすものには容赦しない。


 だから多大なる畏怖を抱かれ、恐れられている。

 ヴァレンティーノ家の殺しは、世間で決して正当化はされないが、不当化されることもない。


 それが、ヴァレンティーノ家。


(どう、言えば……どうしよう、口が乾いて、ルロウはわたしに、なにを言わせたいの?)


 赤い瞳が射抜くようにこちらを窺っている。

 期待と嘲笑に溢れた眼差しを前に、シャノンが考えていたのは、自分ではなく――ルロウが求める答えだった。


 その時点ですでに、彼の興味は失われていたというのに。



「――つまらん」


 期待はずれと、ルロウの鼻白む声が告げていた。


「聖女とは、人の善も罪もすべて受け入れ、慈悲の笑みを浮かべる清い存在――と、聞いていた。だから、興味があった。豚小屋のような場所から救い出され、親切に触れ、周りが優しい人間ばかりだと錯覚した聖女が、どんな顔をするのか」

「興、味……?」

「随分、おれを慕っているようだったから、気になってしまってな。婚約者への接し方とはこういうものかと試行したが、とてもそれらしかったろう?」


 やけに饒舌に、まるで最後の手向けとでも言うように滔々と語る。


 婚約者を「要らん」と言ったルロウが、気まぐれのように構ったり、優しさを見せてきたのは、一緒に過ごして仲が深まったからだとばかり考えていた。


 だけど、違った。

 ルロウは常に見定めていたのだ。


 聖女であるシャノンが、ほぼ飼い殺しのように手厚い待遇を受けて、錯覚して――ヴァレンティーノの本質に触れたとき、どんな顔をするのか。


 それだけのために、ルロウはシャノンと接していた。

 それが果たされたいま、ルロウの興味は失われてしまった。



 ――イカれてやがる。


 片腕を切られ、憎悪の燃やす声が、シャノンの脳裏で反響した。



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