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第10話 街中の心がかり




 ルロウに買ってもらった杖を手に、シャノンは店を出た。


「ルロウ、ありがとうございます。この杖、歩きやすいです」

「ああ、そうか」


 ルロウは軽く頷いて、口に煙管を咥えた。

 リボンは丁寧に包装されていたので、屋敷に戻ってからあけることにして、いまはハオに預けてある。

 そうして少しずつ施設への道を歩いていると、シャノンはあることに気がつく。


(……見られている?)


 ルロウと双子は街中でもかなり異質な存在である。

 見た限り、道を歩く人の中に西華国の華衣を着ている者はいない。

 鮮やかな色彩の華衣は、自然と通行人の目を奪っていた。


 先ほどから止むことなく感じる視線は、老若男女と幅広い年層だが、もっとも多く感じたのは――


(ルロウ様……じゃくて、ルロウ、すごく目立ってる)


 ルロウの姿を見た街の女性たちの瞳が熱を帯びはじめる。

 誰がみても納得する美しい容姿に加えて、どこか影のある色香を醸し出したルロウに、異性は一様に頬を染めていた。



「――なにを惚けているんだ?」

「それが……って、ルロウ、それは……」

「あの屋台で売っていた」


 少し目を離した隙に、ルロウは近くの屋台で何かを購入したらしい。彼の手には、小袋が収まっていた。


「それで、おまえはなにをぼんやりしていた?」


 周りの様子に思うところがあったシャノンは、素直に質問してみることにした。


「この街の人たちは、ルロウがヴァレンティーノ家の人だと知らないみたいですね」


 ここまで歩いてきて、華衣や端正な容姿が注目されることはあっても、誰一人としてルロウをそういった目で見ていなかった。

 ルロウはそんなことかと言いたげに、それでも答えてくれる。


「街の人間に限らす、次期ヴァレンティーノ家当主の顔を知るものは少ない。帝国に身を置き始めて数年だが、表に出る機会はそれほど多くはなかった」

「貴族の方は、よくパーティー? などに参加されているものかと思っていました」


 教国でも上位階級の人間が参加する社交界などがあったような気がする。立場上、ルロウの顔は広く知れ渡っているとばかり思っていたが、そういうわけではないのだという。


「いまは、顔を晒して生じる不便を極力減らしている。おまえの言う社交界とやらは、必要な時がくれば嫌でも出席するさ」


 ルロウはつまらなそうに言う。


 ヴァレンティーノ家は、帝国になくてはならない家門。クロバナが絡んでいるため他に伯爵位を賜る貴族よりもはるかに格上で、皇室からも特別視されている。

 そんな一族の次期当主とされているルロウの顔が堂々と公に知られると、色々不自由になることもあるらしい。


(もう容姿の面で目立ってはいるけれど、そこにヴァレンティーノの名が加わると……たしかにもっと動きづらくなりそう。はっ、それならあまりわたしも大声でルロウと呼ぶのは控えないと)


 シャノンが腑に落ちた様子で気を引き締め直し、ルロウを見上げたところで――


「シャノン」

「はい……んぐっ!?」


 言い終える前に、ルロウはシャノンの口の中に何かを入れた。

 舌に乗った砂糖の甘みと、温かく柔らかな食感。


「おいしいか?」

「おいしい、です……」


 ルロウの手にする小袋の封が開いている。先ほど屋台で購入したものだ。それを無防備に口を開いていたシャノンに食べさせたのだ。


「あっ、それミニドーナツってやつでしょ。フェイロウ……ほんとにシャノンに食べさせるの気に入ってるね」

「ヨキも食べたいな〜ちょっと買ってくる〜!」

「ちょっとヨキ! 財布持ってるのぼくなんだから、ヨキだけ行っても意味ないってばっ……も〜、フェイロウ、シャノン、少し待ってて!」


 賑やかな双子が屋台のほうへ走っていく。

 そこまで遠い距離ではないが、少し待ちそうなのでシャノンは建物の壁に背を預けて待機することにした。


「あの、ルロウ」

「……?」

「ルロウは、食べないんですか? たぶん、揚げたてのほうがおいしいですよ?」


 ルロウは一向にミニドーナツに口をつけない。

 自分だけ食べてしまったのもなんだか悪いと聞いてみたシャノンだが、思いもよらない言葉が返ってきた。


「もう、大方満足したところだ」


 ちらりと小袋に目を落としたあと、ルロウはしっかりシャノンの目を合わせて言ってくる。

 理解できない、と表情に出ていたのだろう。ルロウはなにを思ったのか、袋からまた一つミニドーナツを指で掴み、シャノンのほうに近づけた。


「わっ!!!」


 それがシャノンの口に放り込まれることはなく、小さな衝撃が伝わったルロウの指先から、ミニドーナツはするりと落ちて地面に転がった。

 細い路地から子供が飛び出し、思い切りルロウにぶつかってしまったらしい。ルロウの影に収まるほどに小さく痩せた少年は、泣きそうな顔で尻もちをついていた。


「ご、ごめ、なさっ」

「大丈夫? どこか怪我はしていない?」


 シャノンは急いで駆け寄り、少年を立たせようと手を伸ばす。

 体中汚れてはいるが怪我はしていないみたいだ。


 シャノンは安堵するものの、差し出した手を、少年はいつまでも取ることはない。そこでようやくシャノンは気がついた。少年の唇と手の爪が黒く染まっていることに。


「あなた、もしかして」

「――過剰有毒者、だな」


 後ろから窺っていたルロウが言い当てると、少年はビクッと震えた。ルロウの雰囲気に圧倒されたのか、少年は動くこともできず固まってしまう。

 ルロウは赤々と輝く瞳を眇め、シャノンをさがらせるようにして前に出た。


「動くな」


 短く告げると、ルロウは広がる袖をたくしあげ、大きな掌が少年の頭を覆うように鷲掴んだ。

 小さな悲鳴をあげる少年を無視して、ルロウはしばらくその状態を保ち、一定の時間が過ぎると何事もなく手を離した。


(唇も、爪の色も、変わってる……!)


 目を見開くシャノンを見て、少年は自分の身に何が起こったのかを理解したらしい。爪の先を食い入るように見つめ、驚愕の面持ちをルロウに向けた。


「双子が戻ってきたようだな」


 ルロウはすでに少年のことが眼中になく、シャノンに声をかけてその場を離れようとしていた。

 追いかける前にもう一度少年の様子を確認する。地面に座り込んだままの少年の横には、彼の手にあった小袋が置かれていた。


「ルロウ、待ってください。毒素を……吸収したんですよね?」

「それが、どうかしたか」

「なんとも、ないですか……?」

「ああ、もちろんだ」

「……」


 闇使いによる毒素の吸収。それをシャノンは初めて間近で目にした。

 ルロウはなんともない様子でいるが、そんなはずはない。

 闇使いは毒素を体内に閉じ込めることができ、その分身体には大なり小なり負担がかかってしまう。

 毒素を過剰に吸い込んでしまう過剰有毒者の毒素なら、なおさら吸収後に平然としていられないはずなのに――


(……笑ってる)


 ルロウの満悦した横顔が、ひどく不気味に感じた。

 なぜこんなにも爛々と瞳が鋭く輝いているのか、シャノンには訳がわからない。


「――すぐに鎮まる」

「ルロウ、」


 小さく呼んだ声に、ルロウの真っ赤な双眸がシャノンを捉えようと揺れ動いた、瞬間。


「フェイロウ、シャノン、おまたせー」

「意外と混んでて遅くなった〜」


 屋台から戻ってきた双子は、シャノンとルロウを交互に見たあと、動きをとめた。


「ハオ、ヨキ。おれはしばらく離れる。ここからは、シャノンのそばを決して離れるな」

「了解」

「了解〜」


 何かに突き動かされるように、ルロウは人混みの中に消えていく。

 ルロウの様子が心配になったシャノンは、振り返ってその背に声をかけようとするが――


「シャノン、ダメだよ。いま、フェイロウに話しかけたら。ちょっと用があるみたいだから」


 知ったような口ぶりで笑いかけるハオは、しっかりとシャノンの手首を掴んで制止する。


「だけどルロウ、様子が」

「……毒素、吸収したんでしょ。ここを離れたってことは、ぼくたちと同じ過剰有毒者の」

「そう。だから、一人にするのは心配だよ」


 シャノンの真っ直ぐな眼差しに、ハオは眉を下げて力なく笑った。


「いまのシャノンが行ってもなにもできないよね。体の中の魔力を空っぽになるまで使って、それどころじゃないって話聞いたもん」

「……」

「だからこそ、シャノンは近づいちゃダメ。ああいう状態のフェイロウは、本気になられたらぼくたちでもかないっこないから」

「状態……闇使いが毒素を吸収すると、体調が悪くなるんでしょう? かなわないって……?」

「うーん、色々と」


 引っかかる言い方をしたハオに聞き返しても、それ以降は曖昧な返答が続くだけだった。きっと、勝手には言えないことだったのだろう。


(二人は、いつも元気で、無邪気で、わたしと仲良くしてくれる。だけどいつも、目の前に見えない線を引いている。その違和感は、なんだろう?)


 結局、ルロウの行き先はわからないまま、シャノンは双子とともに施設へ向かうのだった。



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