「最近、ルロウや双子たちと仲良くやれているそうだな」
「当主様!」
ルロウの婚約者としてヴァレンティーノ家に世話になること、ひと月が過ぎた。
あのティータイムの日から、ルロウは気まぐれにシャノンに菓子を与えてやるようになった。手渡しで口に入れるのも少なくはなく、そんなルロウがなにを考えているのか誰もわからない。
ルロウとシャノンの話はヴァレンティーノの屋敷中に伝わっており、もちろん当主であるダリアンにも筒抜けだった。
「ここには気性が荒く乱暴な言い草のヤツらばかりだが、うまくやれそうか?」
「はい! みなさん、とても優しくしてくれます。ルロウ様の部下の人たちも、怖くないです。ヴァレンティーノ家の人なので、もっと殺伐としているのかと思っていたんですけど」
皆もシャノンの存在に慣れてきたのだろう。この前は「小さい子がもぐもぐ食べている姿は癒されるなぁ」と温かい目を向けられた。まるで孫を見るような扱いに、彼らは自分の年齢を知っているのだろうかと疑問になった。
(でも、受け入れられているみたいで、うれしい)
可愛らしい笑顔を浮かべるシャノンに、ダリアンは少々微妙そうな面持ちだった。
「……優しい、か」
「当主様?」
「いや、まあいいだろう。メイドから報告は受けているが、体調もかなり回復したようだな?」
「はい。歩行も前より難しくなくなりました。コツをつかめたみたいで」
そう言って何歩か歩いて見せたシャノンに、ダリアンは優しげに笑った。
それをくすぐったく感じるのは、これまで気遣われる経験をあまりしてこなかったからだろうか。
ダリアンを見ながら、父親とはこんな感じなのかな、とシャノンは考える。
ヴァレンティーノの当主相手にそんな想像をしてしまうなんて、絶対に本人には言えないけれど。
「…………当主様、なんだか顔色が悪くありませんか」
ダリアンの隈は、出会った当初よりもまた濃くなったようだ。
「なに、お前が気にする必要はない」
軽くかわそうとしているが、それがクロバナの毒素のせいだということをシャノンは知っている。 毒素から発生する不浄の気配を、聖女であるシャノンは感じとることができるからだ。
「……わたしが癒しの力を使えば、少しは楽になりますか?」
ほぼ拒否権なく提案されたルロウの婚約者としての立場。ダリアンには明確な目的があってシャノンをヴァレンティーノ家に居座らせたにすぎないが、それでも感謝している。
闇夜の一族ヴァレンティーノ家。
暴虐の限りを尽くす恐ろしい一族と、見世物小屋の男は怯えていたけれど――
死すら望んだ場所から救い出してくれた。
おいしい食事、暖かな寝床、安らかな時間。
十分すぎる待遇に、なにか恩返しがしたいと思わずにはいられない。それが聖女として『癒しの力』を使うことで返せるのなら、シャノンは引き受けるつもりだ。
「そもそも貧弱な状態でおこなってもお前が倒れるだけだろう。まだ早い。それにまずは、私よりもルロウの浄化が先だ」
「…………はい」
シャノンは肩を落とす。
見世物小屋での無理が祟り、保護されたときにはシャノンの体にはほとんど魔力が残っていなかった。
魔力は魔法や癒しの力を使うための源。それと同時に生命力に直結するものである。
それがほぼ空っぽということは、体中の血液が失われているのと同じこと。
極限を超えてしまっていたシャノンの体は、少しの衝撃でも強い影響を及ぼすほど脆く、全快しないうちに力を使うとすぐに危うい状態になってしまうのだ。
(本当に、あのときルロウ様が見世物小屋に乗り込んでいなかったら……二十日眠りっぱなしだけじゃ済まなかったんだ、わたし)
その後、気を取り直したようにダリアンがべつの話題を振った。
「お前が気にしていたあの件だが、先方に連絡は済ませてある。いつでも様子を見に行けるぞ」
「えっ……本当ですかっ!」
その朗報に、シャノンは気持ちを切り替えるのだった。
***
運良く保護されたシャノンには、見世物小屋のことで一つ心残りがあった。それは、同じく囚われていた自分よりも小さな子供たちのこと。
ダリアンからヴァレンティーノ領内の施設に送ったという話は聞かされていたが、ずっと気にしていたのである。
「おでかけおでかけ〜!」
「ちょっとヨキ、あんまりシャノンから離れちゃダメだよ。ぼくたち護衛なんだから」
「わかってるって〜! 変なヤツがシャノンに触ろうとしたら、ヨキがぜーんぶ追っ払ってあげる〜」
無邪気に鼻歌を鳴らすヨキは、シャノンとハオの少し前を軽快に歩いていた。
ヴァレンティーノ領の右端にある地区『キーリク』。
領内一の人口を誇る商業中心地には、多くの人が行き交っている。
ヴァレンティーノの屋敷からほどよい距離にあり、他領からの観光者向けの娯楽施設も多い。
シャノンが気にしていた子供たちが身を置く施設も、このキーリク内にあり、シャノンは子供たちに会うためにダリアンの許可を得てこの街にやって来ていた。
そして――
「でも、フェイロウがわざわざこんな時間に街に来るなんて珍しいね。ぼくたちは嬉しいけど」
「……たまにはな」
煙管を片手に後方を悠々と闊歩するルロウは、ハオの言葉のあとにそう短く言った。そしてどこか楽しそうな笑みで続ける。
「もちろん、当主殿のご命令も忘れてはいない」
「シャノンを施設まで連れて行って、無事に屋敷に帰らせる、でしょ。大丈夫、ぼくとヨキがいるんだから」
「そうだよ〜」
自信満々にうなずく双子。
ハオの腰の両端には短めのナイフが隠れており、ヨキの背には丸みを帯びた刃が光る斧のような武器が収まっていた。
双子はこれからキーリクの施設に訪ねるシャノンの護衛役だ。また、ルロウも同行者として一緒に来ている。
「ルロウ様……わざわざお時間をとらせてしまって、すみません」
いくらシャノンが婚約者といえど、それはほとんど名ばかりのようなもの。だというのに次期当主のルロウの手を煩わせている現状に、本当に大丈夫なのかな、という不安が出てくる。
「構わん。そろそろ、ネズミ捕りの具合が気になっていたところだ」
「ネズミ?」
「…………。ところで、」
一体なんのことだろうと不思議そうにするシャノンと、無言のまま感情をもたない瞳で見返すルロウ。
シャノンの疑問が解消されることはなく、ルロウはほんのり首を傾けながら次の話を始めた。
「いつまで、ルロウ"様"と呼ぶ? おれの婚約者なのだから、かしこまった言葉も必要はない」
「お名前を呼び捨てに? け、敬語も……」
「西華では、よほど高貴な身分でない限り夫婦は同等に扱われるものだ。ご丁寧に"様"を付けるのは、王やそれに連なる妃といった者たちばかりだ」
思い返せば、西華出身の双子もルロウに敬称を付けて呼ぶことはない。年齢的にまだ子供だから許されているのだとばかり思っていたが、これも文化の違いなのだろう。
「でも、ルロウ様をいきなり呼び捨てにするのは、まだ慣れないといいますか……」
シャノンが遠慮すると、ルロウはふむ、と息をついてニヤリと笑んだ。悪戯を思いついた子供のような顔つきで。
「それは、慣れてしまえば問題あるまい。いまから数えて百を言い切る間に、自然と呼べるようになるだろう」
「イイね! ぼく数えるから、練習してみなよ」
「ハオまで、そんな急にっ」
「そんなに恥ずかしい? でも、フェイロウの言うことは絶対だから、フェイロウが満足するまで付き合ってあげなきゃ」
盲信双子の片割れであるハオは、もちろんルロウの意思を優先する。逃げ場はなく、ルロウの催促するような視線だけが突き刺さった。
どうしてそこまでこだわるの、と思ったシャノンだが、それは彼の暇つぶしだったのだとすぐに知ることになる。
「ル、ルル、ロウ……」
(様……)
「いち」
まさかのカウントは、ルロウの口から伝えられた。
名前を呼ぶたび、反応を堪能するように注がれる眼差し。
「ルロウ……」
「に」
「……、ルロウ」
「さん」
一種の拷問のような名前呼びのカウントが50を超えたころ、すっと興味をなくしたルロウは、近くの店に吸い寄せられるようシャノンから離れて行ってしまう。
(なんて気分屋なの)
解放はされたものの、なんだか釈然としないままシャノンはため息をつく。
(ルロウ)
結局、話し方については深く触れられなかったので敬語が継続となったが、呼び方については見直されたのだった。