その日は、ハオとヨキに抱えられて三階の談話室に来ていた。
帝国に午後のティータイムが風習としてあるように、西華国にも似たような文化があるらしい。
西華茶を飲みながら菓子や軽食をつまむのが毎日の習慣にある双子は、シャノンを談話室に招待してくれたのだ。
談話室には、双子のほかにルロウと、彼の部下が数人いた。
みんなが思い思いに休息をとる中、ハオとヨキに運ばれてきたシャノンは、ルロウの右隣に座らされていた。
「シャノンはフェイロウの婚約者だから、ここに座って!」
「ヨキたちもここに座ろ〜っと」
座席はいくつかのテーブルに分けられている。
シャノンは強制的にルロウと、双子がいるテーブルにつくことになった。
「ルロウ様、お邪魔します」
シャノンはおずおずと挨拶をする。
「そう、緊張するな。おれはおまえを食ったりしない」
「はい……」
ルロウは恐縮しているシャノンを見てほんのり瞳をすぼめる。
ティータイム中、ルロウは特定の誰かと会話をすることはなく、一人で静かに西華茶と菓子を口にしていた。
ルロウのような立場の人間と部下が同じ空間でお茶をするというのも不思議な感じだが、これが彼らの通常らしい。部下たちはルロウが近くにいることに気を使ってはいるものの、思い思いに茶を楽しんでいる。
これも西華国の文化なのだろうか。
(ルロウ様が隣にいる……みんなと同じように焼き菓子を食べている……選び取っているのは濃そうなものばかり。かなり甘党なのかしら)
「シャノン、これ食べてみて」
なにか気の聞いた会話でもするべきかと考えていると、隣に座ったハオが
「中身は餡子っていう、豆を甘く煮詰めて練ったものが入ってるよ。これもぼくが作ったんだ」
「ハオが? ありがとう、いただきます」
表面から蒸気が上がっている包子を受け取り、シャノンはひと口かじる。
口に入れた瞬間広がるやさしい甘みに、シャノンの頬がほのかに染まった。
「甘くて、とってもおいしい」
これまで味わったことがない甘味に驚きと感激が同時に押し寄せる。思わず黙々と食べ進めていると、横から視線を感じてそのまま動きをとめた。
(見られてる……ルロウ様に……)
先ほどまで我関せずな態度でいたルロウが、珍しく少しはしゃいだ声を出したシャノンに反応を示したのだ。
「…………」
席も隣である。自分の視線をシャノンが気づいていることも察しているんだろう。ルロウはあえて何も話さずに、シャノンが自分のほうを向くのを待っているようだった。
シャノンが意を決して横をちらりと向くと、すぐにルロウの赤い瞳が視界に入ってきた。ばちっと目が合い、捕食される獲物のような気持ちでシャノンは固まった。
「おいしいか?」
気でも向いたのだろうか。
問いかけるルロウの声調が、いつもよりやわらかく響いたような気がして、シャノンは急いで口に入れていた包子を飲み込む。
「っ、はい、おいしいです」
「そうか。なら、これもやろう」
ルロウは一口サイズのクッキーを指でつまむと、躊躇もなくシャノンの唇までもっていく。乾いたクッキー生地が下唇に当たり、ビクッと肩が揺れる。
――瞬間、談話室には静寂が包まれた。
(これは)
目と鼻の先には、芳しくちょうど良い焼き目がついたクッキー。
「ほら、どうした?」
(食べろということ? このまま、みんなの前で?)
そう、これはいわゆる「あーん」と口を開けて、相手から食べさせてもらう行為。しかし、あくまでも親しい者同士でおこなってはじめて成り立つものだ。
いくらシャノンがヴァレンティーノ家の人間に婚約者として名が通っているとはいえ、周りが考えるような甘い関係を築いているわけでもない。
(挨拶はするようになったし、たまに朝食を一緒に摂るようにもなった。でも、周りの人が思っているような、親しくなった感触はまったくないのに)
双子の昔話を聞いてから思っていた。
ダリアンが婚約者の立場をシャノンに提案したのは、おそらく通常の闇使いよりも多く吸収しているルロウの毒素を浄化するためのもので、そのために近づかせたのだろうと。
マリーとサーラの話によれば、ルロウは単独でクロバナの蔦が生える国境に赴き、繁殖スピードをあげている箇所の毒素を吸収したり、毒素によって凶暴化した魔物の討伐をこなしているという。
いくら覇王という異名まであるヴァレンティーノの次期当主とはいえ、さすがに抱える負担は度を超えている。それをダリアンは危惧しているのだ。
秘密の漏洩や保護も目的のひとつなのだろうが、ダリアンの目的はシャノンがルロウの婚約者となって彼に近づき、うまく浄化をおこなうこと。
(でも、ルロウ様はいつも一定の距離でわたしに接している。自分の婚約者ということで面白がってはいるけど、必要以上に近づかせようとはしない……)
だからこそ、ルロウからこうして近づいてくるのは稀なことだった。
(わたしがどんな反応をするのか観察しているみたい。恥ずかしいけど、ここは――)
周囲の視線を一身に浴びる中で、シャノンは目の前のクッキーを口に含んだ。
直後、肝が冷えたような、感心したような、複数の息づかいが聞こえてくる。
シャノンは羞恥心に耐え抜き、もぐもぐと咀嚼し、すべてを飲み込んでからルロウを見上げた。
(あ、あれ?)
てっきりすでに興味が失われているか、含み笑いをされているかと思っていた。けれど、予想に反して虚を突かれたようにほんのりと瞠目したルロウがそこにいた。
「あの、ごちそうさまでした、おいしかったで、す……?」
お礼を言い終わる前に、シャノンの唇には再びクッキーが当てられる。
「これも食べるか? うん?」
「は、はあ」
無表情に戻ったルロウに、またしても進められてしまう。
一度も二度も同じだと、シャノンはまた口に含む。すると、食べ終えた頃にまた次のクッキーが用意されている。
クッキーを差し出される、食べる、差し出される、食べる。その繰り返しだった。小粒のクッキーなので無理なく食べられるのだが、ルロウの感情が読めずシャノンは動揺を隠すことができなかった。
「わ〜! フェイロウとシャノン、仲良しだね〜」
「それもぼくが作ったクッキーだよ。シャノン用に小さく焼いたけど、ぴったりだねー」
いつも通りの双子の騒がしさに加え、部下の異様な雰囲気が伝わってくる。
(雛だ……)
(雛鳥だ……)
(雛鳥の餌付けだ)
(まさか、あのルロウ様がこんなこと……)
一同を驚かせたルロウの妙な行動は、ティータイムが終わるまで続いたのだった。