ダリアンに抱えられて三階の食堂に入ったシャノンは、テーブルに並べられた食事に首を傾げた。
(あれは、リゾット? でも、ちょっと違うような)
漂う香りもリゾットよりサッパリとしている。ほかの食器や料理もシャノンが出されているものとは異なっていた。
すでに食事を開始しているルロウと、その右隣で同じく丸くて白い生地の何かを頬張っているヨキ、そして二人の飲み物を注いでいるハオ。これが彼らが過ごす朝の日常のようだ。
ダリアンは備え付けの椅子を二脚引くと、シャノンに座るよう促し、もう片方の椅子に腰を据えた。
「ねえ、シャノンは足が悪いの?」
ハオの質問に、シャノンはこくりと頷いた。
「何度か怪我をしてしまって、その後遺症でまだちゃんと歩けないんです」
「こうい、しょうー? フェイロウ、なにそれ」
『後遺症』
『ああ、後遺症のことか〜!』
尋ねたヨキは、納得がいった表情を浮かべる。
西華国のものと思われる言語にシャノンは聞き入っていた。
「シャノン。ハオとヨキは西華国出身だ。ルロウは帝国出身だが、長く西華の暗黒街に身を置いていた影響で西華語が堪能に扱える。あの服装も食事も西華のものだ」
「食事もそうですけど、西華国の服は初めて見ました。こんなにきれいなんですね」
「シャノン、気に入った?
「え、わたしに?」
「ぜったいに似合うと思う。ぼく、シャノンをおめかししたいな。ねえフェイロウ、いい?」
「好きにしろ」
見た目も女の子らしいハオは、近い年頃のシャノンを着飾りたいようだ。さらっとルロウの許可までとってしまった。
「だってさ、シャノン」
嫌というわけではないが、いまはダリアンが話そうとしているし……とシャノンが内心悩んでいると、食堂の外から慌てた男の声が聞こえてきた。ダリアンの部下だ。
なにやら急ぎの要件らしく、ダリアンは「すぐに行く」と扉の外に告げておもむろに席を立った。
「ということだ。私はしばらく戻らないが、シャノンは置いていく」
(置いていく!?)
突然の無慈悲にシャノンの体が凍りつく。
「と、当主様……」
「迎えに来るまで、うまく交流を深めておけ。いいな、ルロウ」
ダリアンは軽くシャノンの頭に手を乗せると、ルロウに目配せをして、すぐに食堂からいなくなってしまった。
残されたシャノンは、恐る恐るルロウへと視線を向ける。
「――それで、おれの婚約者とやら。どうしておまえは、ここにいる?」
黙々と食事をとっていたルロウが、そう言葉を投げかけた。
肌が粟立つ感覚に、手の力をぎゅっと込める。
シャノンがここにいる理由。
それはたったいまダリアンに置いていかれたからで、シャノンがルロウの婚約者だからだ。
けれど、ルロウが聞いているのは、そこじゃない。
(ルロウ様は、どうしてわたしが婚約者になったのか、それを聞いているんだわ)
シャノンがクア教国の聖女だったこと、そしてクロバナの毒素を浄化できる特別な人間であること。これらはいまのところ当主であるダリアンを除いて誰も知らない事実である。
(当主様は、まだルロウ様に伝えていない……?)
紹介したい子がいるという話はしていたようだが、ルロウがシャノンの素性を知っているかはわからない。
「なにを、黙っている? おれの言葉は、伝わっていないか? 生憎、西華語が身に染み付いているおかげで、こちらの言葉は不慣れなんだ」
「そんなことありません。伝わっています……」
独特なテンポをもってはいるが、不慣れというわりにルロウの言葉はとても流暢だ。
「では、答えられるだろう?」
形の良い唇に薄ら笑いを湛えるルロウは、まるでシャノンを試すような口ぶりで返答を待っていた。
なんの温度も感じられない紅の眼は、氷のように冷ややかだ。
考えを、思考を覗かれているような居心地の悪さに喉が渇いていく。
(答えないと)
怖気づいていても、ダリアンのようにルロウ相手に会話の主導権を握れるわけがない。
シャノンはどきどきと鼓動を鳴らしながら、慎重に答えた。
「当主様の意向だからです。だからわたしは、婚約者として、ここにいます。それ以外に、理由が必要でしたでしょうか」
「――そうか」
刹那の沈黙のあと、無感情なルロウの眼差しが楽しげに揺れる。
口端を釣り上げて、身を竦ませるシャノンに言った。
「ろくに思考せず、素直に口を滑らせようものなら、思わず手が出て殺すかもしれなかった」
ルロウは愉快そうに表情をやわらげる。
背筋がひやりとした。
「え……」
「おれが、そのような人間を大人しく婚約者にするわけがない」
問われた意味はわかるけれど、あまり理解が追いつかなかった。
きっと素性を素直に話すことは、ルロウの意に沿わないものだったのだろう。
ただすでに晒された事実だけを改めて口にしたシャノンを、双子は好意的な様子で見ていた。
「あはは、シャノン。実はぼくたち知ってたよ」
「毒素を消せる、聖女だって〜!」
「そう、だったの?」
くすくすと笑いを堪える双子は、揃ってうなずく。
つまり、あらかじめダリアンから教えられていたということなのだろう。双子まで知っていたというのは予想外だったが。
唖然としたシャノンに、双子はさらに付け足す。
「心配しないで、シャノン。シャノンのことは絶対に秘密にするから」
「うんうん。バラしたら、舌を切って死なないといけないもんね〜!」
「し、舌を切る!? さすがにそこまでは」
「そんなに驚く? だって、当然でしょ。フェイロウの命令を破ったことになるんだから」
さも当然のように言って、ハオは「ね、フェイロウ」と彼を呼ぶ。
ルロウは、ここにきて一番の笑みを浮かべた。
「おれの命令が聞けないやつは、いらない。それだけだ」
それは甘美で、狂気的な、魔性の微笑み。
「……」
「さっすがフェイロウ! ぼくたちの香主だね」
「ヨキ、フェイロウのそういうところ大好き〜!」
言葉に詰まるシャノンとは正反対に、双子のはしゃいだ声がやけに食堂をこだましたのだった。